第3話 クマのぬいぐるみ"マクガフィン"と麗しの国
――あれからどれくらい経っただろう。相変わらずポカポカと柔らかい日差しに、真っ青な背景。そしてそこに浮かぶ真っ白でふわふわの、綿菓子のような雲……絵本そのままの平和な空が何処までも続く。下を見ても、緑の草原が延々と続いているだけで村や動物、地面にいた時は確かに見えた山すらも見当たらない。最初の数十秒は輝かしく思えた飛行体験は変化に乏しく退屈なものへと認識が変わり、今や数分が数時間にも思えてくる。
もう土埃は遠い彼方へと見えなくなり、あの恐ろしい地鳴りも聴こえない。そろそろ逃げ切れたと判断したのか、落ち着いたところにクマのぬいぐるみが声を掛けて来た。
「……危ない所だったが、間に合って良かった」
先程ド・タイプと戦闘を繰り広げていた最中に相手を煽っていた荒々しい口調とは打って変わり、私に呼び掛ける際の彼の口調は優しいものだった。だが、私はどう返事をして良いか分からない。暫く待っても返答の無い私の様子を確かめると、彼は更に言葉を続けた。
「大丈夫か?まだ状況が理解出来てないんだろ、無理もない」
「ごめんなさい。混乱してて……そういえば、助けて貰ったのにまだ御礼を言ってなかったわね。ありがとう」
「イイってことよ。姫を守るのがオイラの使命だからな」
「さっきから私の事を姫って呼ぶけど、その呼び方は……いやそれよりも、そもそも一体アナタは何者なの?この状況についてもよく分かってるみたいだし」
「まぁな」
「まさかとは思うけど、アナタが私をここに連れて来たわけじゃ無いわよね?」
「……どうしてそう思うんだ?」
「だって私は今夜、いつも通り残業を終わらせて、いつも通り終電手前の電車に乗って、いつも通り家に帰って、いつも通り夫の作った晩御飯を食べてたんだもの。世間ではクリスマスイブって特別な日だったけど、私はいつもと全く変わらない日常を過ごしてた。唯一特別に思い当たるイベントと言えば、夫が私にアナタをプレゼントしたって事以外にないのよ」
「なるほど」
「で、どうなの?こうして私を助けてくれてるって事は、さっきの騎士と違ってアナタは私の味方なのよね?怒らないから知ってる事を全部、正直に教えて貰えないかしら?」
「分かった。先ずはアリス姫、姫がこの世界に飛び込んでしまったのは確かにオイラのせいだと思う。けれどそれはオイラの力によるものでも意思でもない。オイラにはただ、姫を見守るだけの役割しか与えられていないんだからな。だが、今夜オイラがプレゼントされた事で結果的に、姫は現実世界からこっちの世界に飛ばされる事になった。現状コレだけは間違いない」
「じゃあ、やっぱりここは私が生きてた世界とは違う、いわゆる異世界なのね。まぁこれだけメルヘンな世界観だと現実離れしてて薄々は察するけど……ここはどういう世界なの?さっきの騎士は理想が云々って言ってたわ」
「そうだな。説明するのは少し難しいが……ここは“理想像”だけが存在する世界なんだ。ある強大な力によって、この世界に住む者は誰もが好きなモノへと姿を変えられて、そのイメージ通りに振る舞う事が出来る。ヤツらは自分が一番素敵だと信じる存在そのものになり切って、各々が自由気ままに過ごしているんだ。言ってみりゃ努力せずとも夢が叶う文字通りの《理想郷》ってワケだ」
「なるほどね。道理であの騎士は私の事を醜いだの年老いただの言ってたワケだわ。確かに私は、自分が理想に思う年齢から随分と歳を食ってしまったもの……」
「あぁ、その理解で正しい。この世界じゃ存在そのものの客観的な要素は殆ど評価されないんだ。アリス姫がいくら現実の世界で美人と評されていたとしても、その心の内に想い描く理想像との乖離があれば、ここのヤツらには弱い存在として扱われる。理想との差がそのまま美醜の差、力の差として受け取られるからな。そしてこの世界では美しい者しか存在を許されていない。ヤツらは理想を体現している自分達が最高に麗しい存在であると信じて疑わないし、理想と乖離したまま生きる者は世界に必要無いとすら考えている。時には積極的に、ヤツらにとって麗しくない存在を自らの手で排除しようとする事だってあるんだ」
「全員が自分の理想通りに生きている世界だなんて、とても素敵に思えるけど……なんだか殺伐として聞こえるわね」
「理想を叶えて一人で生きる分には問題無いだろう。だが皆が自分こそ一番だと思って自己中心で生きているから、理想とする方向性が違う住人同士は歪み合ってる。自分の思考に取り憑かれて他を受け容れる事が出来ないのさ。本当に多種多様な色んなヤツらが居るが、互いに助け合ったり理解し合おうとするみたいな、他人と関わり合う為に必要な多様性は無い。そういう憐れな麗しの国なんだ」
「なるほどね。この世界の事はなんとなく分かったわ、じゃあ次の質問。アナタに異世界への扉を開くような力が無いのなら、私が今のタイミングでこの世界に飛ばされたのは何故?」
「それは……そうだな、それも早い内に言ってしまおう。オイラには扉を開く力は無い、けれどアリス姫にはその力があるんだよ」
「まさか!三十八年間生きてきて、今まで一度もこんな経験はした事がないわよ?私にそんな素質があったなんて信じられないわ」
「すまん、言い方が悪かったな。特別な事じゃない。向こうの世界で生きている者には皆その力がある……つまり、この世界に飛ばされる可能性があるんだ」
「可能性?って事は、誰もがこんなおかしな世界に迷い込んでしまうことがあるって言うの?」
「そういうことだ。理由は様々だが、生きている者は誰でも必ず一度は飛ばされる」
「それっておかしいわよ。そんな大袈裟な話なら現実世界でもっと存在が公になってもいいはずだわ。私はこんな世界、おとぎ話でしか――」
“おとぎ話でしか知らない”そう言い掛けて、はっと気が付く。逆に考えると、もしかして《おとぎ話》という形でこの世界の存在は、現実世界に伝えられている……?
「気付いたみたいだな。お察しの通り、この世界はあっちで《おとぎ話》として扱われている類の物なんだ。マトモに相手されないのも無理はない。基本的にこっちの世界に飛んでしまった人間は元の世界に帰る事は出来ないからな。この世界を体験しても、元いた世界に帰れなきゃ存在を伝える事は不可能だ」
「そんな!私、一生こんなヘンテコな世界で生きていかなきゃならないの?」
「まぁ、落ち着いてくれ姫。“基本的に”と言ったろ?帰る手段が無いワケじゃない。実際におとぎ話として伝わる程度には元の世界に戻った人達も居るのがその証拠だ。オイラが何のためにここに居ると思う?姫を安全に、元の世界に帰す為だよ」
「安全にって……もうさっき殺されかけたんだけど」
「それは悪かった。姫がこの世界に飛ばされる時になんとかしようと一緒に飛び込んだのに、衝撃で別の場所に飛ばされてな。あの騎士の大声を頼りになんとか駆け付けたんだが……」
「嘘よ、怒ってないわ。言ってみただけ。ちゃんと救って貰ったし感謝もしてる」
「そ、そうか。良かった」
「ところでまだ名前を聞いてなかったわね。アナタは私の事を姫って呼ぶけど、私はアナタの事をなんて呼べば良いのかしら?」
「あぁ、名前か。えぇと、ちょっと待ってくれ。護衛……ナイト……はさっきのヤツと被るな、うぅんクマ……マク、爪……いや?フィンガー、ガー……フィン……」
「まさか、いま考えてるの?」
「まさか!うっかり忘れてただけさ!改めて、オイラの名前はマクガフィンだ!綴りはM・A・C・G……」
「あぁもう!良いわよ、わざわざ綴りで信憑性出そうとしなくても!クマとフィンガーのアナグラムね、単純ったら。けど咄嗟に考えたにしては良い名前ね。カッコイイわ、よろしく。マクガフィン」
「そうだろ!オイラ、そういうセンスだけはあるんだぜ」
マクガフィンは少し得意気だ。どこに自信持ってるんだか……
「それでマクガフィン、元の世界に帰る方法っていうのは?」
「あぁ、異世界には必ず《出口》があるんだ。《出口》を見つけて通り抜ければ、こっちから元の世界に飛べる」
「なるほどね。じゃあ今はその《出口》に向かって飛んでるってワケね?」
「いや?オイラは《出口》の場所なんて知らないぜ?」
「ちょっと!じゃあ一体、さっきから私達は何処に向かって飛んでるのよ!」
「まぁまぁ姫。焦らなくて大丈夫さ。この世界には広さとか距離とか、そういう概念は無いんだ。さっきは地震が起きて危険なエリアが生まれたから逃げたけれど……」
「えぇ?どういう事?」
「つまりだな、この世界はとっても狭くて、同時に無限に広がってもいるんだよ。アテもなく彷徨いてたら、その世界に取り込まれちまう。代わりに目的地を考えて移動すれば、何処からでも直ぐその場所に行けるのさ」
「なら《出口》を念じれば直ぐ出られるんじゃないの?」
「それは違う。世界は出来るだけ自分の世界に住む住人を逃さない傾向にあるんだ。だから《出口》は基本的に隠されてる。幾らイメージしたところで座標には出ないんだ。登録されてない建物をネット地図で検索しても出て来ない、って感じだな」
「そんな……どうすればいいの?」
「先ずは地道に聞き込みだ。この世界の地理に詳しいヤツを探し出す。人が集まってる場所があれば良いんだが……」
「あっ!見てあそこ、何だか人集りが出来てるわよ」
「本当だ!降りてみよう」
小高い丘の上には大勢の人影があった。近くに街や村は見えないが、広い野原に囲まれてわらわらとそこだけ賑わっている。まるでパワースポットの観光地のようだ。
――ザワザワ……
「わー!すごいめっちゃキレー!」
「ねー!ヤバいよね!早く写真撮ろ?」
ギャル言葉が飛び交う人混みに、思い切って声を掛ける。
「あのー、すいません!この中に、この辺り一帯の地理に詳しい方はいらっしゃいませんか?」
――ザワザワ……
「あのー……」
「おい!お前ら!聞こえてんだろ!」
「なんだか皆んな何かを熱心に眺めてるみたいね」
「けっ、何にそんな集ってやがんだ。オイラが注目を奪ってやるぜ!」
マクガフィンは声を掛けるのを諦め、人混みの中に突っ込んでいくと大勢の人影はサーッと左右に彼を避けた。人影が分かれた事で出来た道を通り、私も後ろをついて行く。
群衆の視線を集めている丘の上には、一つのオブジェが鎮座していた。いや、飾られている様に見えたが、どうやらそれは自然物のようだ。ハートの形をした岩である。バスケットボール程度の大きさをしたそれは、ハートマークの下の部分が地面に突き刺ささり、絶妙なバランスで立っていた。丘の向こうには海。ちょうど良い時間なのだろう。空には夕陽が浮かんでおり、空一面がロマンチックなピンク色に染まっていた。
「シャッターチャンス!」
「本当に最高!!!」
「自然の神秘って素晴らしい!」
そんな声が周りから口々に聞こえてくる。皆、このハート型の岩と海岸の景色に夢中の様子だ。痺れを切らしたマクガフィンは彼らの視線を遮る様に岩の前に立つと、群衆へと呼び掛けた。
「おいお前ら!一度だけで良いから反応してくれ!オイラ達はこの世界の《出口》を探してる!誰か知ってる奴は居ないか?それか、街でもいい!住人の集まる場所を知ってるヤツは……」
「残念ね、この人達はみぃ〜んな、アタシの魅力に取り憑かれてるの。まぁ虜になるのも仕方ないわよね?こんなに素敵な景色なんだもの。あなた達も、アタシに見惚れてシャッターを切っても構わなくってよ♡」
「えっ!誰?」
「アタシよ。ア・タ・シ♡」
その声は人混みからではなく、誰も居ないはずの岸壁……私達の背後からその声は聞こえた。またしてもクセの強い口調に少しうんざりしながら恐る恐る振り向くと、案の定、喋っているのはハートの形をした岩だった。
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