第2話 謎の騎士"ド・タイプ"

 若い頃の夫の顔を見た瞬間、私は自分が学生時代にタイムスリップしたのかと思ったが、すぐに冷静になる。よく考えれば過去に夫が中世騎士の甲冑を着ていたことなんて一度も無かった。他人の空似、まるっきりの別人らしい。それにしても似ているが……


「我はこの広大なハンサム地方を一手に担う領主であり、同時にそこに住まう善良な住人たちを守るハンサム騎士団の団長でもあり、更にはハンサム国の国王でもある……そう!我こそは《ナイト》ド・タイプ七世!」


 その男はすぐそばまで歩いて来ると、けたたましい大声でそう叫んだ。さっきは距離が空いていたからちょうど良い声量に思えた彼の声も、この距離で聞くと頭に響いて鼓膜が痛くなるくらいだった。喋り方は相変わらず中世の騎士みたいな大仰な口調ではあったが、どうやら話が通じない訳では無いらしい。私は耳を塞ぎながら彼との対話を試みる。


「ド・タイプさん、丁寧な自己紹介ありがとう。私の名前は加古川……」

「貴様!たった今名乗ったというのにもう我が名を忘れたのか!」

「えっ?ごめんなさい!確かにそう聞こえたんだけど、私の聞き間違いじゃなければアナタの名前はド・タイプ七世よね?」

「何度も言わせるな!決して違えるでないぞ。我が名は《ナイト》ド・タイプ三世だ!」

「あぁ、えぇと、ごめんなさい。ド・タイプさん。さっきは確か七世って言ってたと思うんだけど……三世か七世か、どっちなの?」

「ええぃ!無礼者め!!三でも七でも関係無い!数字なんかどうでも良いであろう!我が名は《ナイト》ド・タイプ五世!名誉ある騎士の称号を勝手に外すでない!!!」


 私が余計な事を聞いたのが癪に触ったのか、或いはただ本当に称号を外して呼ばれたことが我慢出来なかったのか、彼は目を血走らせていよいよ怒り出した。いちいち《ナイト》と付けるのは面倒臭くて仕方なかったがこのままでは埒が開きそうにないので、私は彼の要求を呑む代わりに、この状況に関して必要な情報を集めるべく幾つかの質問をしてみた……当然、彼に合わせた言葉遣いで。


「これはこれは大変失礼致しました。《ナイト》ド・タイプ五世殿。ところで此処はどういった場所なのでしょうか?言語は日本語で問題無く通じているみたいですが、どう見ても日本の景色には見えないですし……」

「ここが何処かだと?ここは我、ハンサム国王が直々に治める土地、ハンサム地方である!そろそろ最初の質問に答えぬか!一体貴様は何処から我が領地に入り込んだのだ!」

「そう訊かれましても困るのです。私は気付いたらココに寝転んでいたのですから……取り敢えず《ナイト》ド・タイプ五世殿の国土に無許可で立ち入っているのが良くないということですよね?出て行きますから何処までが《ナイト》ド・タイプ五世殿の領地なのか、国境を教えて下さいませんこと?すぐにそこまで行って、《ナイト》ド・タイプ五世の国から出て二度と立ち入りませんから」

「おかしな事を言う奴だ。我がハンサム国に国境などないぞ?我に見える土地の全てがハンサム領だからな。貴様は我が馬に乗って移動している最中に見つけたのだ」


 おかしな事を言ってるのはそっちの方だろう、という台詞を慌てて抑え込む。残念。上手くやり取りを進められそうだと思ったが、いよいよ無茶苦茶な事を言い出した彼に私は愛想を尽かした。

 これ以上この人と喋っていてもまともな情報は得られそうにない。そう判断し早々に演技を止めて立ち去ろうとしたが、よく考えると彼は馬に乗れるのだ。逃げられそうにない。かくなる上は……


「えっと、ごめんなさい。もういいわ。アナタの言う通りならこの土地……というか、ここの大陸は全てアナタのものなのね?あの途方もなく先に見える山脈の向こう側も?」

「それはまだ分からんな。だがあの山脈もいつかは馬で越えられるだろうから当然、我が領土であるな」

「じゃあアナタがその目で見る前は、その土地はハンサム領ではないということなのね?」


 私はこの《ナイト》ド・タイプなる男を“論破”しようと決意したのだった。伊達に社会人を十年以上経験して来た訳ではない。クレーム対応や上司、取引先からの無茶振りを受け流し、時には真っ向から楯突くことで女性ながら中堅の役職を得た私は、こういう輩を納得させる為の話の取り回し方にはある程度の自信があった。

 この男の持論は元から破綻しているが、彼にも思考の根幹となっている理屈があるはずだ。その根本の理論を私が解釈し直して利用する事で、彼の思考に則って反論する事ができるというわけである。


「それはそうだ、幾ら《ナイト》の称号を持つ我でも、見たことの無い土地までは守れぬからな。だが一度目に入れば、それらは等しくハンサム領として我が《ナイト》ド・タイプ九世の庇護を受けるのだ」

「じゃあ、アナタがこっちに来ずに反対側に移動してたら、ここら一帯はまだハンサム領じゃなかったというワケ?」

「まぁ、そういう事になるな」

「ならおかしいわよ!元から定められていた領地というならまだしも、私はこの土地がアナタの見回りによってハンサム領になるよりも前から、ずっとココに寝転んでいたのだわ。私は移動してないんだから、少なくとも侵入した事にはならないでしょう?」

「それは貴様が中心で考えた理屈だろう?我の目から見れば、貴様は大胆にも、寝転んだ状態で我が領土の中へとずかずかと入ってきたならず者なのだ!しかもよりによってこの世界には存在しない筈の、理想とかけ離れた姿で……」


 相手が納得せざるを得ないはずの私の完璧なる反論は、《ナイト》ド・タイプの理屈を超越した意見によって意図も容易く無効化された。この男、本当にダメかも知れない……


「アナタの理屈にはついていけないわ、いたちごっこになりそうだもの。それにしても存在しない筈ってどういう意味よ?」

「その言葉通りの意味だ。我は今まで長いあいだ領地を見回り続けてきたが、お前の様に老けた、疲れて見える者には会った事が無い。人型の者は大抵、若くて一番麗しい時の姿をしておるし、仮に人の形をしていなくとも基本的に皆キラキラとしていたり、ふわふわとしていたり、ピカピカしておったからな」

「な、なによそれ……」

「ともかく!この世界では皆輝いた存在を理想として自由に生きておるのだ。綺麗でなければ存在を許されないからな。我はそんな彼らを守る為にもこうして見回りを……」

「そんなことってあり得ないわ!アナタだってあと二十年もすればどんどん老けて醜くなるんだから!」

「老けるだと?この我がか?ふはははは!面白い事を言う。それこそあり得ないと言うものだ。ここでは誰も老けんよ、永遠に思い描いた理想の姿で生きていくのだから。しかしその反応……そうか、貴様もしや魔女だな?ネガティブによって生み出された理想は麗しい我らに敵対する存在だと聞くぞ。最初に見掛けた時から怪しいと思っていた、我が領地に侵入したのはハンサム国を脅かすのが目的か!」

「だ!か!ら!侵入って言うのも結局アナタが勝手に私に近付いて来ただけでしょ!私は悪くないわ!」

「おぉ!貴様また我の事をアナタと……いや、いつからそう呼んでいた?とにかく名乗った騎士の名を称号抜きに呼ぶことは許さんぞ!」

「そもそもアナタさっきから言ってる事がおかしいのよ!称号称号って言うけどアナタの経歴なら一番偉い国王を選ぶべきじゃないの?《ナイト》って称号は眷属してる国王から与えられるものじゃなくって?」

「国王は称号ではないだろう!職業だ!」

「違うわよ!国王にも“君主号”って称号が与えられるのよ!アナタは領主様で、騎士団の団長でもあって、国王でもあるんでしょ?到底信じられないけど、国王から騎士の称号を与えられた後に、選ばれて国王になったのかしら?それとも元から領主であり国王でもあって、自分で自分に《ナイト》の称号を与えちゃったの?」

「えぇい黙れ黙れ黙らんか!ややこしいことをごちゃごちゃと抜かすな!そうやって煙に巻くからアナタ呼びに気付かなかったのだ!間違い無い、貴様魔女だな!魔女ならばその年老いた容姿も納得だ、魔女は"化け"おるからな」

「アナタねぇ!さっきから初対面の相手の事を醜いだの年老いただのって、失礼よ!《ナイト》ってもっと紳士的な人の事を言うと思ってたのに、がっかりだわ!」

「なっ!?」

「それにハンサム地方なんて聞いたことない!一体ここはどこなのか教えなさいよ!」

「聞いた事が無いのは貴様が無知だからだ!無知な貴様が我の意見に歯向かうなど言語道断!」

「無知ですって?ならアナタはどうなのよ!“君主号”も知らなかったくせに!それに私は醜くなんかないわ。これでも東京に出たら、油断してるとすぐナンパされるくらいにはまだ魅力的なんだから……」

「さっきから日本だの東京だのナンパだのと、何を言うとるかまるで解らん!呪文を唱えおって!アナタ呼びもこれ以上は辛抱ならん!我が名は《ナイト》ド・タイプ八世だああぁぁぁ!」


 《ナイト》ド・タイプはそう叫ぶと腰にぶら下げた鞘から剣をスルリと抜き、振りかぶると私目掛けて一直線に振り下ろした。

 あまりに唐突なその剣撃に私の体は反応することが出来ない。ダメだ、もう避けようが無い。こんな事なら下手に口論でこの場を切り抜けようとせず、さっさとがむしゃらに逃げていればよかった。

 私の人生が、何処か分からない場所の、こんな意味の分からない男との口論の果てに起きた癇癪の一撃で終わってしまうなんて。恐怖よりも虚しさが勝る死の間際で、ただ笑うしかなかった。くだらない。呆気ない。

 鈍く光る銀色の軌道で、私は頭から真っ二つに――


 ガチン!


「え?」

 助かった、と安堵するもその理由に気付くまでは時間を要した。私の前に突然、小さな影が飛び出してきて《ナイト》ド・タイプの振り下ろした剣を受け止めたのだ。


「アリス姫!もう大丈夫だ、ここはオイラに任せて早く逃げろ!」

「な、なんで……」


 言葉が出なかった。私を守る為に飛び出して来たその影をまじまじと見つめる。両手から伸びた爪で剣を受け止めている“それ”は、どこからどう見ても……


   あのクマのぬいぐるみだった


理解が追いつかない私を置いてきぼりにして、二人のやり取りは続く。


「アリス姫だと!まさか!あり得ん!最も高貴なあのお方がこんな姿のはずが……」

「うるせぇな!お前にゃお喋りしてる暇なんてねぇんだよ!」


 クマは対空したまま受けた剣を押し返す。物理的にあり得ない挙動だが、そもそもぬいぐるみが爪を生やして騎士と戦っていること自体があり得ない。ド・タイプは一歩引いて間合いを取ろうとするも、彼が体勢を構え直す前にクマが素早く飛び掛かる。ド・タイプは必死に応戦しようとするが、剣一本ではクマの両手から繰り出される素早い連撃を防ぐだけで精一杯らしい。


「オラオラそんなもんかよ!“理想の騎士像”様ぁ!」

「ぐっ!我が名は《ナイト》ド・タイプだあぁぁ!」


 クマの斬撃はその小さな体躯から繰り出される割に意外と威力が高いらしい。みるみるうちにド・タイプの立派な甲冑がボロボロになっていく。こんな激しい戦いの中でも《ナイト》の称号を誇示しようとする姿は感服に値するが、相手が小さなぬいぐるみということもあってかどうしても滑稽に映るのであった。


 さて、一瞬にも永遠にも思える二人の戦闘は激しい火花を散らして暫くの間続いたが、意外な形で終わりを迎える事となる。

 "それ"は唐突に始まった。


――ズズズ……ガクン!ドドドドドド!


「きゃっ!な、なに?地震!?」


 唐突な地鳴りと共に、身体に伝わる振動。そして大きく地面が傾く感覚。小刻みに揺れ続ける大地は土埃を上げてひび割れていく。唐突な出来事の連続に立ち尽くす私を、いつの間にか戻って来たクマのぬいぐるみが背後から優しく抱き抱えた。


「アリス姫今だ、逃げるぜ!」


 先程振るわれていた凶暴な両手の爪は何処かに仕舞われていて、私の背中が柔らかい綿の感触に包まれる。感触とクマの声にどこか懐かしい感覚を憶えながら身を委ねると、クマはそのままひとっ飛びに空を駆け抜けた。

 風圧や重力による負荷は一切感じない。幼い頃に見た夢のように、ただただ都合良く飛んでいたのだった。


「こらぁ!貴様ら待てぇ!我を置いて行くな!待たんかぁ!」


 聞こえてきたド・タイプの声に焦って後ろを振り返るが、さっきまで私達が居た場所は膨大な量の土煙で覆われており、既にあの厄介な騎士の姿は見えなくなっていた。

 ただ一匹の白馬が煌々と輝く立て髪を揺らして、迫り来る土煙から逃げているとは思えないほど優雅に、どこまでも続く草原を走っているだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る