麗しの国のアリス
秋梨夜風
第1話 加古川有朱
「わー、すごい!めっちゃキレー!」
「ねー!ヤバいよね!早く写真撮ろ?」
「綺麗だね。君と来れて嬉しいよ」
「うん、わたしも」
「もしもし?うん、大丈夫ケーキ受け取れたよ。あと十分くらいで帰るから」
ザワザワ……ガヤガヤ……
クリスマスイブ。煌びやかな電飾に彩られた帰り道の駅前広場は、既に夜の十時を回っているのにまるで渋谷のスクランブル交差点かと思うほど人の多さと活気で賑わっていた。普段は人通りの少ない片田舎のこの駅も、毎年クリスマスシーズンにはイルミネーションのイベントを見に人が集まる。様々なオブジェの中でも一際目を引く大きなツリーを中心に、幸せそうな人達で溢れかえっている。
仲睦まじい子連れの夫婦。親は想い出作りにわざわざ子供を連れて来たのだろうが、当の本人は退屈そうに黙々とゲームをしている。反対側にはキャピキャピした女子高生のグループ。ツリーと自分、どちらを見せたいのか分からない画角でシャッターを切り続けている。こんな時間に若い子だけで親は心配しないのか?補導されやしないだろうか。
少し離れたベンチに座る大学生らしいカップルは大人しそうな見た目に反して、熱い愛の言葉を囁き合っている。そのままキスしそうな勢い、二人だけの空間が出来上がっていた。若いって良いな。クリスマスを一人で過ごしたく無いって理由だけで付き合ったんじゃなきゃいいけど。
ケーキの箱を持ったスーツの男は少し駆け足だ。彼はよく退勤の電車が被るから見覚えがあった。普段はくたびれたサラリーマンの彼もイベントに胸を躍らせているのか、今から帰る温かい家庭を思って頬が緩んでいる。
普段、明らかにこういう場を嫌ってそうな死んだ目をした人達も、雰囲気に呑まれたらしく人目を気にしながらツリーへ一瞬スマホを向けると、皆悪い事でもしたかの様にそそくさと立ち去って行った。
絶対SNSに載せるために撮ったな……と私は想像する。普段は陰鬱な事しか呟かないアカウントで煌びやかな写真をツイートすれば、ギャップでいいねが付くだろう。或いはその輝きにそぐわない自分の現状を嘆きながら、文面と真逆の綺麗な写真を乗せてエモさを演出するのかも知れない。
――ピロリン♪
仕事終わりに自宅の最寄駅で一人、クリスマスに興じて駅前に屯する人達を眺めながらくだらない妄想に耽っているとケータイの通知音が鳴った。夫からだ。
『残業お疲れさま!晩御飯の用意は無事に完了してます。気をつけて帰ってね!』
夫は作家で、会社勤めの私と違って仕事の為に家から出る必要がほとんど無い。私が外で働いている間、制作の合間に家事や買い出しを済ませてくれる。「有朱さんは仕事の拘束時間長くて大変だから」と主夫の様に努めてくれているのだった。
追加で送られてきたあざといスタンプに同じくスタンプで返信し、家路を歩み始める。憂鬱だ。これから家で夫の用意してくれた温かい食事を食べ終えたら、プレゼント交換をする予定だった。私がそんな浮かれた事を望まない、もう落ち着いたアラフォー女性だということは重々承知だろうに、彼は何故か今年はプレゼント交換をしよう、と言い出したのだ。
夫(四十二歳男性)に贈るプレゼントを考えるのも骨が折れたが、私が憂鬱なのは彼からプレゼントを受け取ってからの私自身のリアクションだった。そもそもあまり物欲がないし、仮に貰って少しは嬉しいものだとしても何かを受け取ると分かっている状況で喜んで見せるのは苦手だ。まぁその点に関してはサプライズの方が苦手であるから、夫は予め伝えておいてくれたのだろうけれど……しかし計画されてしまうと逆に、それを楽しみにしておかねばならないというのも面倒だった。大して欲しくも無いモノに大袈裟に喜ぶのは最悪だが、それより淡々とプレゼント交換を済ませて、少しは私を楽しませようとしてくれた夫の気持ちを無碍にしてしまう事も避けたかった。
あと十年若ければ、もっと素直にこういうイベントに興じられただろうにと私は悩む。鏡を見た時、不意に映る皺が気になり始めたのはいつ頃からだろうか。ここ最近、どうにも自分の”老い“を意識せざるを得なくなっっていた。
私は顔立ちが良く、幼い頃からよくモテた。もうオバさんと呼ばれても仕方のない歳になってからも変わらず美人扱いを受けるし、その自覚があるからどれだけ仕事が忙しくても、美貌を保つ為の努力をずっと続けていた。
それなのに。
私が必死に美しさを維持しようと努力しているのに夫は違った。彼は何の努力もせず、のほほんと老けていったのだ。夫だけではない。女友達だってそうだ。大学同期で美人グループとして仲良しだったあの子も、結婚して子供を産んでからタガが外れた様に老け、オバさんになっていった。家事に育児と忙しいのだろうが「いつまでも綺麗で羨ましいわ〜」なんて台詞、彼女から聞きたくはなかった。同じように周りの人達が何もせず時間に流されていくのを見るとイライラした。周囲が変化していくのを見ると、花が枯れていく様に感じて虚しくなる。私は今でも、一番自分の魅力が花開いていたあの頃を、必死に引き留めようと努力しているのに。
一方で、その努力や意識は私の勝手だという事も理解していた。同じ姿勢を強いるのはお門違いだとも当然分かっているのだが、近頃その事を考える度にどうしても惨めな気持ちになるのだ。特に夫とは毎日顔を合わせるから、考えたくなくても家に居るだけでネガティブな感情が脳裏を過ってしまう。大学の先輩として出逢った頃の夫は間違いなくイケメンだった。それこそ少女漫画に出てくる様な、凛々しい顔付きで体型もすらりとした王子様で……
「ただいま」
「有朱さん、お帰りなさい!お疲れ様!」
「ありがとう」
玄関を開けると、リビングから夫が元気よく飛び出してきて、私の手から荷物を受け取るとリビングまで運んでくれる。結婚してからずっと変わらない光景だ……夫の体型を除けば。結婚してから数年で、彼は体型がだらしなくなった。きっと家から出ないせいだ。ギャグ漫画かと思うくらいずんぐりむっくりとした夫を見ると思わず溜息が出てしまう。
大学生の頃の私は常に高嶺の花として扱われ、私もそれを当然として振る舞い大抵の男とは連みもしなかった。自分の美貌に釣り合う相手の条件に①顔②スタイルの良さ③私への特別な愛情④性格の良さ⑤将来性……など様々な項目を設定し、総てに合格した今の夫を選んだ。夫は大学の頃から評判のイケメンだったが、私と知り合ってから誰とも付き合わず、大学を卒業して社会人になってからも交流を続け私を立て続けていてくれたのだ。
私を好きになった理由を聞くと、一目惚れだと言ってくれた。性格も合ったし、私はそんなにも長く自分に向けてくれた純粋な好意が嬉しくて、彼と一緒になった。それから暫くは自他共に認める完璧なカップルだったが、夫は基本的に自分の見た目に気を遣っていなかった。最低限の身嗜みはあるものの保湿や美容ケアといった事には疎く、天然の遺伝子が成せる容姿端麗の時期を過ぎ去ると、夫は順当に“おっさん化”した。運動するように仄めかしたり、出てきたお腹をポヨンと触ったりして彼に節制を促したが、効果は無かった。以来、私は夫が外見ではなく私への奉仕で釣り合おうと努力してくれていると解釈する事でなんとか過ごして来たのだが、私はその関係性にも不安を感じていた。いつかきっと、私の努力も老いに負けてしまう。私が醜い老化を隠せなくなった時、彼は何を持って私を愛してくれるのだろうか――
クリスマス仕様でいつもより豪華な夕食を食べ終えると、夫はおもむろにリボンで包まれた箱を取り出し片付けられたテーブルの上に置いた。一瞬、デザートのホールケーキかと思ったが、私の好きなケーキ屋の箱とは違ったからそれがプレゼント交換の品なのだと分かった。
「随分大きなプレゼントなのね」
「うん。きっと驚いて貰えると思う……開けてみて!」
夫は無邪気な笑顔でそう言った。私は自分の用意したプレゼントが片手サイズである事を少し恥じながら、リボンを解いていく。すると中から出てきたのは……
古ぼけたクマのぬいぐるみだった。
「どう?驚いた?大掃除してたら物置きの段ボールから出てきて、前にご実家でお義母様にアルバムを見せて頂いた時の事を思い出したんだ。まさかこっちにあるとは思わなかったよ、取れそうな所は修繕して、中の機械も修理したから……」
「やめて!」
ぬいぐるみのお腹を押そうとした夫の手を払い除け、そのまま乱暴にぬいぐるみを掴み取るとリビングを飛び出す。暖房の効いたリビングと違ってひんやりとした廊下で、私は動揺による激しい動悸を感じた。まるでパニック障害だ。この歳になってこんな振る舞いをしてしまうなんて……そんな後悔と共に気が付けば、何の感情が溢れたのか分からない涙で視界が潤んでいく。
このクマのぬいぐるみは、幼い頃に父からプレゼントされた物だ。幼少期をずっと一緒に過ごした思い出の品だったが、小学校に上がって直ぐに父が他界したのを境に私がこのぬいぐるみを見る度に泣き喚いてしまうので、母が目の届かない所に隠したのだった。もうとっくの昔に何処かに棄ててしまったものと思い忘れていたのに……
初めて父から受け取った時のふわふわで綺麗に輝いていた紺色の毛並みは、ゴワゴワと毛羽立っている。柔らかくて大好きだった肉球のスポンジも経年劣化でベタついて気持ち悪い。ストーブの近くに置いた所為で焦げてしまった背中の一部は、変わらず硬くて冷たかった。記憶の中で取れかけていた右目の白いボタンは夫の修繕によってか、赤い糸で縫い付け直されている。
……捨ててしまおう。その方がいい。ぬいぐるみを眺めた数秒の思案を経て、私は玄関へと走る。
「有朱さん⁉︎」
リビングから夫の焦った声と、追い掛けてくるスリッパの足音が聞こえる。夫は恐らく母からこのぬいぐるみが“思い出の品”だとしか聞かされていなかったのだろう。ただ私を喜ばせたくてやっただけ。分かってる。アナタは悪くないのよ、けれどこの衝動は止められないの。後でゆっくり説明するから、今は放っておいてちょうだい。
頭の片隅でそんな冷静な事を考えながら、とにかくこのぬいぐるみを捨ててしまいたい。その気持ちに支配されていた。
靴を突っ掛けてドアを開ける。一番近くのゴミ捨て場は家の前の道路を右に曲がれば直ぐだ。取り敢えずそこに辿り着けさえすれば良い、そう思っていた。だが家から道路に出ようと二、三歩進んだ途端、いきなり私の視界は真っ白な光に包まれた――
「……おい、おい!貴様!起きろ!」
「へっ?」
気がつくと、眩しい日差しが目に入る。直前に感じていた真冬の染みるような寒さと逆で、春先の心地良い暖かさが体を包み込んでいるのに気付く。どうやら今、私は大の字に寝転んでいるらしい。首を横に動かすと頬に柔らかな草の感触。辺り一面、柔らかい芝生が広がっている。一体、ここは何処?その疑問を口に出す前に、私を起こした声の主が話し掛けて来た。
「起きたか。では質問に答えて貰おう。何故我が領地に、貴様の様な醜い者が寝転んでいるのだ!一体何者だ、何処から入り込んだ!」
「ちょっ……醜いですって⁉︎いきなり失礼ね!アナタこそ何様よ!」
慌てて身体を起こし、ハキハキとした発声で謎の言葉使いをする男の声の方へ視線を向けると、少し離れて立派な甲冑に身を包んだ騎士が馬に跨っているのが見えた。馬はまるで中世を舞台にしたラブロマンスに出てくる王子様が乗る、立派な立て髪の白馬だ。騎士は私の言葉を聞くと馬から降りて更に近付いて来た。兜の中の顔が見え、私は息を呑んだ。紛れも無く、出逢った頃……二十年前、まだイケメンな夫の顔がそこにはあった。
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