第47話 破壊神

 俺は夢を見ていた。

 自分が夢を見ている事を自分で自覚している状態。いわゆる明晰夢めいせきむというヤツだ。

 その夢の中で、俺は俺の運命を変えたあの日の出来事を思い出していた。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 俺は――日本の大学生、狩野かのう明煌あきらは、あの夜、婚約者である女性にナイフで刺されて死んだ。

 何かの口論の末、刺されたんだったと思うが、その辺は良く覚えていない。

 ハッキリと覚えているのは俺を見下ろす彼女の視線。

 俺をさげずみ、ゴミクズのように見下す氷のような冷たい視線。 

 比較的容姿と生まれに恵まれた俺は、女性からあんな目で見られた事は一度もなかった。

 朦朧としていく意識の中、俺は自分の心に芽生えた新たな感情に翻弄されていた。

 そう。それは被虐性愛マゾヒズム

 俺は死の間際、心の奥底に眠っていた性癖に、初めて気付いたのである。


 それから何があったのかは分からない。

 ふと気が付いた時、俺は西洋風の遺跡の中に立っていた。

 遺跡とは言ったが、廃墟と言い直した方がいいかもしれない。

 壁は崩れ、柱は折れ、床はひび割れていた。


 そんな人気のない廃墟に、巨大な女が横たわり、こちらをジッと見つめていた。

 俺はなんとなく、タイに家族旅行に行った時の際に寺院で見た、ワット・ポーの巨大な黄金の涅槃像を思い出した。

 ただし、目の前の女はあんな神々しいものではない。

 何と言うか、まるでピカソの絵画のようにちぐはぐな、見ているだけで心を不安にさせるアンバランスな姿――それでいて不思議と目が離せない、そんな姿をしていた。


「意識が戻ったようじゃな」


 巨大な女は、癇に障る軋んだ声を出した。

 とても声とは思えない音に、俺は一瞬、女が言葉を喋ったという事に気付かなかったくらいである。


「ここは・・・? あなたは一体? 俺はなんでこんな場所にいるんですか?」


 口を開く事でようやく俺の頭が回り始めた。

 俺は謎の女に立て続けに質問した。


「ここは神域。と言ってもお前が暮らしていたのとは別の世界じゃがな」

「しんいき・・・神域? するとあなたは神様か何かでしょうか?」


 女は俺から目を離さずに頷いた。

 相手が巨大なせいだろうか? 何と言うか、心の奥底まで覗き込まれているような、人を落ち着かない気分にさせる不快な視線だった。


「そう。我は破壊神クロスティナ。呪われし命食らい」


 女は――破壊神はそう言うと大きな声を上げて笑った。

 キイキイと耳障りな、笑い声と言うよりも騒音のような声だった。




 ここは俺のいた地球のある世界ではない。破壊神クロスティナの世界。

 婚約者に刺されて死んだ俺は、クロスティナによってこの場所まで連れて来られたんだそうだ。

 俺は自分の体を見回した。

 死んだときの姿、そのままだ。ただしどこにもナイフで刺された跡は無い。


「死んだって・・・確かに刺された記憶はありますが」

「そうだ。お前は死んだ。今の体は我が作った仮初かりそめの物。質量を持つ物は世界間の壁を通過出来ん。死んで魂になった者だけが界を渡る事が出来るのじゃ」

「こ、この体が作り物? どこからどう見ても元の体にしか見えませんが」


 俺は驚きに目を見張った。

 試しに手の甲をつねってみると痛みがある。ならばこれは夢ではない――じゃなくて、痛覚まで再現しているのか。

 人間一人の体を完全に再現する。それがどれ程の難易度なのか、俺には想像する事すら出来ない。

 なる程。確かに目の前の存在は、神を名乗るに相応しいだけの力を持っているようだ。


「そのくらいの事、創造神の力を使えば訳はないわ」


 創造神の力? クロスティナは破壊神じゃなかったのか?

 混乱する俺に、破壊神は――女神クロスティナはゆっくりと頷いた。


「創造と破壊は表裏一体。我はこの世界で命の創造と破壊を繰り返しながら生きて来たのじゃ」




 俺をこの場所に呼び寄せた謎の存在――女神クロスティナ。

 彼女はこの世界で命の創造と破壊を、ずっと繰り返して来たのだという。


「我はこの宇宙に数多の命を生み出した。その時の我は確かに創造神であった。我は命を導き、成長させ、繁栄させた」


 生物は自然発生しない。

 これはイタリアの博物学者であり、実験動物学の祖と呼ばれるラザロ・スパランツァーニの実験によって証明されている。

 彼はフラスコ内の有機物溶液を加熱した後、フラスコの口を完全密閉した。

 すると有機物はいつまでも腐らない――つまりは有機物を分解する微生物が発生しなかったそうだ。

 我々が良く知っている缶詰。その原理である。


 では、自然発生しないはずの生命はどうやって誕生したのだろうか?

 太古の地球に海が誕生した時、水を溶媒とした化学反応が起こり、炭素を中心とした有機化合物が合成された。

 今ではこの有機化合物が全ての命の源になったと考えられている。要は生物は海の中で自然に生まれたのだ。

 これを『化学進化』と言う。


 だが、生物は単なる有機化合物の塊ではない。命を――意志を持っている。

 こちらの世界で、クロスティナは創造神として、その意思なき有機化合物に命を吹き込み、生物へと進化させた。

 つまり、この世界の生命は、全て彼女によって生み出されたのだ。

 まさに創造神と呼ぶにふさわしい存在であると言えよう。


「もちろん、上手く育たずに死滅した惑星も数多くあった。しかし、足りない分はそれよりさらに多くの数で補えば良い。そして何億年も経つと、多くの惑星が命で溢れ返った。我は破壊神へと変貌すると、それらの命を刈り取った」

「えっ?!」


 どういう事だ? 話の繋がりが分からない。

 破壊神と化したクロスティナは、この宇宙から大量の命を奪ったという。

 これがこの宇宙における最初の大絶滅である。

 クロスティナは絶滅を生き抜いた僅かな生き物を集め、育み、惑星上に生物が溢れると、やはり無慈悲にその命を奪った。


 繁栄と大絶滅。

 このサイクルが何度か繰り返される中、とうとう人類が誕生した。


「我は人間を導き、知恵を授け、その繁栄を助けた。人類は我を創造神として崇めた。そして現在、この惑星には数多あまたの人間がはびこり、幾多いくたの国に分かれて暮らしておる」


 女神クロスティナの説明によると、この星の人類は、地球で言えば中世程度の文明レベルに達しているらしい。


「そして人類が栄えると共に、私は再び創造神ではなくなった」


 女神クロスティナの本質は創造神であり破壊神。世界に命が溢れると心は壊れ、破壊衝動に突き動かされるようになるのだという。


「今の我は半分以上が破壊神となっておる。いずれは完全な破壊神となり、破壊への衝動に理性は飲み込まれるだろう。理性を失った我はまた惑星上の生き物を大量虐殺するであろうな」


 そして命が消えるのと反比例して破壊衝動は消えて行く。

 最後は完全に破壊衝動は消え、女神クロスティナはわずかに生き残った命を助け、再びこの星に命の数を増やして行くのである。創造神として。


 ・・・酷いマッチポンプだ。

 俺は湧き上がって来る不快感に歯を食いしばった。

 本人に悪意が無いだけに余計にタチが悪い。

 俺は最初にクロスティナを見た時から、ずっと彼女に対して嫌悪感を抱いていた理由を理解した。

 俺はこの世界の人間ではない。しかし、同じ命を持つ者として、運命を弄ぶこの絶対者を、本能的に”生き物の敵”だと認識していたのだ。


「なぜそんな事をするのですか?」

「我はそのように生まれたから、としか言えんな。

 生物が生み出す生命力。生きる力、生きる喜び、そういった正の感情は私の中に蓄積され、破壊衝動へと変化する。

 逆に生物が死ぬ間際の恐怖や怨嗟といった負の感情は、私の破壊衝動を満足させ、理性を芽生えさせていくのじゃ」


 なんという身勝手な理屈だ。

 あまりの悪趣味さと怒りに、俺は吐き気を覚えた。

 そんな俺にクロスティナは表情を歪めた。――いや、違う。興味深そうに見ていたのだ。


「そう我を否定するな。お前の中にも我と似たようなものがあるではないか」

「俺の中に?!」


 どういう事だ? 俺のどこにそんな邪悪な心が存在している。


「生物の生の充実。生物が生きるための正の感情は、逆に我を命を奪う負の感情――破壊衝動へと掻き立てる。

 そしてお前は異性が自分に向ける負の感情を、逆に正の感情へと――繁殖のための快楽へと変化させる。

 正と負の違いはあれど、我らは一部とはいえ似た心を持つ者同士。そうは思わんか?」


 繁殖のための快楽?

 その時俺は、死の直前のあの光景を――俺を見下す婚約者の冷たい視線を思い出した。それと同時に、ゾクゾクと背筋が痺れるようなあの感覚も。


「い、一緒にするな! ていうか誰がマゾだ! 勝手な事を言うな!」


 この時の俺は、自分に目覚めた性癖を受け入れるだけの余裕が無かった。

 クロスティナは唐突に俺から興味を失い、視線を外した。


「はあ。もう良い。飽きた」


 クロスティナはそう言うと小さく手を振った。

 その途端、俺の体がボロボロと崩れ始めた。


「なっ?! なんだ、これ・・・?!」

「他の世界に我と似た魂を見つけたのでな。好奇心でこの世界まで引き寄せたが、もう十分じゃ。下界に戻るがいい」

「下界にって――ここは俺の元いた世界じゃないんだろう?! そんな場所に放り出されても困るんだが!」


 ましてやここはイカレた破壊神が支配する世界だ。

 大量絶滅に巻き込まれるなんて冗談じゃない。


「も、戻せ! 俺を元の世界に戻してくれ――ぶふっ!」


 足が崩れ、俺は地面に倒れ込んだ。その衝撃で体が潰れ、声が出せなくなる。

 懸命に体を捻ってクロスティナの方を向くと、彼女は完全に俺に興味を失くしたらしく、顔を背けていた。


(ふざけんな! ふざけんなよこのクソ女神がああああああっ!)


 俺は激しい憤りを覚えたが、クロスティナの冷たい態度に少し気持ち良くなっていたのも事実だった。

 落ち着いて考えられるようになった今なら、あの時の自分の気持ちが分かる。

 クロスティナはピカソの絵のような崩れた顔だったが、強大な存在はそれだけで人の心を捉えて離さない、魔性の魅力も兼ね備えていたのである。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 こうして俺は神域を追放された。

 身勝手な理由によってこの世界に連れて来られ、飽きられてその場でポイ捨てされる。

 全く、最悪な運命だ。

 魂だけになった俺は、元の世界の戻ることも出来ずにこの世界で転生。

 冒険者アキラとなったのである。


 そこまで思い出した所で俺は夢から醒めた。


「・・・くそっ。朝から最悪な気分だ」


 俺は苦々しく舌打ちをすると、借家のベッドで体を起こしたのだった。

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