第43話 テンプレート

 俺の頭上。うなりを上げてガーディアンの巨大な尻尾が振り下ろされていた。

 瞬時に肌が泡立ち、体が硬直する。


「アキラ!」


 恐怖で引き延ばされた時間の中、ココアの悲鳴だけが妙に遠くに聞こえる。

 俺は辛うじて頭上に盾を構えた。

 だが、それに何の意味があるだろうか? そんなものでガーディアンの尻尾を――目の前の大質量を受け止められる訳はない。


 ゴッ!


 インパクトの瞬間、俺は腕の骨がパキンと折れる音を聞いた。

 ひしゃげた盾が顔面にめり込み、視界が暗転する。

 鼻の骨が潰されたのか、呼吸が出来なくなった。

 次いで全身の至る所の骨がペキペキとへし折れ、内臓が破裂した。

 意外な事に痛みは思っていた程ではなかった。一度に全身が壊れすぎて、脳内の痛みを感じるキャパシティーを超えてしまったのだろう。

 とにかく強い衝撃が連続して俺の体を襲っていた。そして体がぐしゃぐしゃになっていく恐怖。


 俺は死ぬ。いや、死んだ。


 こうして自分の死を意識するのは前世の記憶――日本人、狩野かのう明煌あきらの最後の記憶以来の事になる。

 真っ暗な視界の中、目に映るのはステータスボードだけ。(※ステータスボードの情報は脳内で処理されるため、目をつぶっても――それこそ眼球が潰れていても見る事が出来るようだ)

 巨大なダメージにMPの数字がみるみるうちに溜まり――180の所でピタリと止まった。

 なんだ? これでカンストなのか? また中途半端な数字――


【スキル・絶対防御の使用条件を満たしました。発動しますか?】


 それは久しぶりに聞いたクソ女神の声だった。




 俺はガーディアンの巨体に押しつぶされた。

 死に至る巨大なダメージに、ダメージ量に応じて増える謎の数字MP(※おそらくマゾポイントの略)が一気に溜っていった。

 しかしその数値は、なぜか180の所でピタリと止まった。

 その瞬間、俺を日本からこっちの世界に転生させた女神クロスティナ――この世界では創造神として知られる女神――の声が俺の脳内に響いた。


【スキル・絶対防御の使用条件を満たしました。発動しますか?】


(スキル・絶対防御? 何だそれは?)


 死の間際にスキルが発動して何の意味があるのだろうか?

 いや、意味などないのだろう。

 あの女神らしい悪趣味なジョークだ。ただの嫌がらせ。人が苦しむ姿を見て楽しんでいるだけなんだろう。

 やはり俺のジョブ【七難八苦サンドバッグ】はハズレジョブだ。

 最後の最後まで役立たずだった。


(勝手にしろ。発動させたきゃ発動すればいい)


【スキルを発動します】


 ズシン!


 次の瞬間、俺はガーディアンに押しつぶされていた。


 ・・・・・・。


 いや、なんで何も起きないんだ?

 真っ暗なだけで何も無い。体の痛みが全くないので死んだのは間違いないのだろうが、その割には妙な圧迫感があるだけだ。

 息苦しいし、生臭い。ぶっちゃけ不愉快極まりない。

 とにかく、こうして意識がある以上、いつまでもこうして寝ていても仕方がない。

 俺は折れて・・・動かない・・・・はずの手で・・・・・、体を包む何かを押しのけた。

 その何かは意外とあっさり動き、俺は視界を取り戻した。


 えっ? どういう事だ?


 俺は今の状況が理解出来ずに固まってしまった。

 どうやら俺は死んでいないようだ。

 目と鼻の先にはガーディアンの巨大な尻尾が横たわっている。

 まるで壁のように視界いっぱいに広がる尻尾。その真ん中には人間一人がスッポリ収まるくらいの穴が開き、赤黒い肉が覗いていた。


「アキラ! ・・・って、あれ? さっきは潰されたみたいに見えたんだけど。ガーディアンの尻尾が動いたと思ったら、アキラが現れたんだけどどういう事?」


 ココアの不思議そうな声が聞こえた。

 潰されたみたい、じゃない。俺は確かに潰されたはずだ。体中の骨がバキバキに折れたし、内臓だって――


「――何ともなってないな」


 俺は自分の体をポンポンと叩いて確認した。

 その衝撃でボロボロになった装備が体から剥がれ落ちた。

 装備の金属部分はひしゃげ、潰れている。

 シャツとズボンだけになった俺は(いや、例のSM的な魔力装甲マナ・アーマーは身に纏ったままなのだが)、立ち上がると自分の体を見回した。

 骨折どころか、かすり傷一つ見当たらなかった。


「そうだ! 【七難八苦サンドバッグ】! 確かスキルがどうとか・・・えっ?!」


 今まで何のためにあるのか分からなかった、謎の数値MP。

 さっき潰された瞬間に180まで増えていたその数値が、今は162まで減っていた。


「162。いや違う、161。160・・・これって一秒間に一づつ減っているのか?」


 どうやら180スタートのカウントダウンが始まっているらしい。

 その時俺は、ステータスボードに見た事の無い文字がある事に気が付いた。


「絶対防御――さっき聞いたスキル名だ。ひょっとして【七難八苦サンドバッグ】がレベル5になった時に覚えたスキルはこれなのか? 点滅しているって事は使用中という事でいいのか? 確かに、発動させたきゃ発動させろ、とか思った覚えはあるが・・・。あれで使った事になったのか?」


 何から何まで分からない事だらけだが、どうやら今の俺は【絶対防御】とやらを使用中らしい。

 MPが減り続けている事から、おそらく効果時間は180秒――三分間だと思われる。


「ていうか、俺のケガはどうなったんだよ。ここまでの戦いで負ったケガすら見当たらないんだが」


 ひとまず一度スキルを切って――って、自分の意思では切れないのか。相変わらず俺のジョブは融通が利かないな。

 MPが切れるまで三分間はこのままの状態でいろ、という事か。


「まあ、それでも別に困りはしないんだが。スキル名から考えて、何かの防御系スキルだと思うんだが、それだとケガが治った事の説明が付かない。さっき押しつぶされたと同時に――」

「アキラ! 逃げて!」


 ココアの声にハッと我に返ると、巨大な蛇が――ガーディアンが鎌首をもたげて俺を睨み付けていた。

 バカか俺は。

 今日の俺は余程どうにかしていたらしい。モンスターの目の前でボンヤリと考え事をするなんて。

 そう思った次の瞬間、ガーディアンは俺に襲い掛かっていた。

 赤くテラテラと濡れそぼった口が、俺の視界いっぱいに広がる。


「ヤバイ! アイツ食われたぞ!」

「アキラ!」


 冒険者達とココアの悲鳴が上がった。

 生きたまま捕食される。

 野生の世界では当たり前だが、自分の身に降りかかればこれほど恐ろしい死に方もないだろう。

 俺は咄嗟に両腕を前に突き出した。

 意識しての行動ではない。そもそも俺が腕で突っ張ったからといって、この巨大なガーディアンの突進を受け止められるはずもない。

 受け止められない。

 ・・・そのはずだった。


「あ、あれ?」


 ズドドーン!


 巨大な質量が大地を揺らした。

 俺に払いのけられたガーディアンが、勢い余って横転したのである。

 俺は呆気に取られたまま自分の手を眺めた。

 何が起きたのか分からない。

 全然手応えは無かった。

 いや、正確に言えば、この手で何かを払いのけた感触はあった。

 しかしそれはせいぜい子犬を持ち上げた程度の力で、とてもではないがこの巨大な怪物を相手にしたものとは思えなかった。


「ちょ、アキラ! えっ?! えっ?!」

「おい、アイツ今、何をやったんだ?!」

「俺の目にはガーディアンが勝手にアイツを避けたように見えたが・・・」


 ココアの声に振り返ると、ココアが――そしてこの場にいる冒険者達が全員俺に注目していた。

 みんな自分の目で見た光景が信じられないのか、逃げる事も戦う事も忘れて俺を凝視している。

 その気持ちは良く分かる。

 俺も全く同じ気持ちだったからだ。


 何が起きているのかは分からない。

 自分が何をやったのかも分からない。

 だがこの場面で言うべき台詞だけは分かっている。

 前世の記憶が覚えている。

 俺は周囲を見回すと、目を半眼に、そして口をだらしなく開いた。


「・・・オレ、何かやっちゃいました?」


 シン、と空気が凍り付いた。

 ココアが「へっ?」とマヌケな声を出した。


「やっちゃいましたって――アキラ何言ってるの?」

「いや、テンプレと言うか、ネットミームと言うか・・・コホン。スマン、何でもない。今の言葉は忘れてくれ」


 や、や、やっちまったあ――っ!


 どうやら俺はまだ混乱していたようだ。

 混乱のあまり、つい、自分のキャラに合わない事をやってしまった。

 そしてあり得ない程滑ってしまった。

 周囲の視線に、俺の羞恥はレッドゾーンを振り切っていた。


(こ、このまま消えてなくなりたい! というか、もしこれが『竜の涙』のメンバーからの視線なら、むしろ気持ち良くなれるのに!)


 俺は今日ほど、自分のマゾヒズムが美女限定である事を残念に思った事は無かった。

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