第20話 聖クロスティナ教会
◇◇◇◇◇◇◇◇
「はい。もう起き上がっていいわよ。具合はどう?」
「あ、ありがとうございます」
ココアは胸元を手で隠しながら体を起こした。
発展途上のつつましいふくらみは、片腕で押さえるだけで完全に隠れてしまった。
中年女性――教会の治療師は、ココアの汗ばんだ背中を布で軽く拭いながら説明した。
「あなたも冒険者なら知ってると思うけど、治療魔法は病気の元となる邪気は殺せても、邪気が生み出した毒までは消せないわ。しばらくは無理は控えて安静にしておく事。いいわね?」
「――はい」
ココアは破傷風の治療のため、教会を訪れていた。
医術の未発達なこの世界では、病気を引き起こす細菌やウイルスはまだ発見されていない。
しかし、経験上、魔法でそういった病気の元を殺せる事は知られていた。
その技術を体系化し、人々の救済に役立てているのがここ、女神クロスティナを信奉する宗教団体。聖クロスティナ教会なのである。
ちなみにここで詳しくは触れないが、女神クロスティナは日本人、
治療師の言う「邪気」とは、病気の原因となる細菌やウイルス――ココアの場合は破傷風菌(ないしはそれによく似たこの世界固有の細菌)――の事だ。
魔法で体内の菌は殺せても、菌由来の毒素までは消せない。
体内で分解されるか、排泄されるのを待つしかなかった。
女性治療師はココアの背中の傷口に包帯を巻きながら、懐かしそうに呟いた。
「あなた冒険者なんでしょう? 女の子で冒険者をやっていくのは大変だと思うけど頑張ってね」
「あの、ひょっとしてあなたも冒険者だったんですか?」
「ええ、そう。でも私はモンスターと戦うとか向いていなくて。幸い【
女性治療師の言葉に、ココアはふと自分の親友を――エミリーの顔を思い浮かべた。
彼女の性格も戦いに向いているとは思えなかった。
(もし、エミリーに発現したジョブが【
その想像は彼女を寂しい気分にさせた。
「でも『竜の涙』だっけ? 今はこの町にも女性ばかりのSランクパーティーがあるんでしょ? 私の時とは時代が違っているんでしょうね。――はい、終わったわよ」
ココアは、教会の治療師の間にも、Sランク勇者パーティー『竜の涙』の名が知られている事実に軽い驚きを感じた。
(そこを追放された人と一緒にダンジョンに行っていた、なんて言ったらこの人は驚くかな)
ふとそんなイタズラ心が芽生えたが、何となく口にするのはためらわれた。
アキラとダンジョンに入る前なら、自慢げに喋っていたかもしれない。
しかし今は、興味本位でアキラの事を根掘り葉掘り聞かれるのは不快な気がした。
(まあいいか)
ココアは女性治療師に頭を下げた。
「ありがとうございました」
「お大事に」
ココアはシャツを着直すと、診療室を後にしたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
俺達は依頼を達成すると、その日はダンジョンで一泊。
翌日にはダンジョンを出て町に戻っていた。
「・・・ココアは大丈夫でしょうか?」
「ここの治療師に任せておけば大丈夫だ」
俺達がいるのは聖クロスティナ教会の礼拝堂。
町に戻った俺達は、その足で真っ直ぐこの教会に向かった。
ココアの破傷風の治療をして貰うためである。
俺達は礼拝堂でココアの治療が終わるのを待つ事にした。――というか、ここでは礼拝堂が待合室代わりのようなものなのだ。
実際に俺達以外にも家族の治療を待つ者が、あちこちで落ち着かなげに座っている。
そんな彼らを見ていて不安になったのだろう。先程からエミリーは何度も俺にココアの無事を確認していた。
(気持ちは分かるが、俺に聞かれても困るんだが)
ちなみに、この礼拝堂を見てもらえば分かるが、教会は医療団体だが、同時に、女神クロスティナを信仰する宗教団体でもある。
医者と宗教がセットになっているというのは、前世の記憶――日本人、
学問のハードルがまだ高かった時代、文字が読めて書物に触れる事の出来る宗教関係者は、それだけ
(まあ、この世界の場合、実際に神様がいるんだが)
俺は祭壇の向こう、壁に飾られた女神クロスティナの像を見上げた。
女神は慈愛に溢れた笑みで、不安に怯える俺達を優しく見下ろしている。
(実物を見てたらこうは作らないよな)
むしろあの女神なら、この光景を見て大笑いしそうだ。
その様子を想像して、俺は思わず顔をしかめた。
「あっ! ココア!」
治療室から黒髪ポニーテールの少女――ココアが姿を現した。
俺は駆け出したエミリーの後を追うべく立ち上がった。
「大丈夫だった?」
「うん。病気の治療は終わったけど、まだ体に毒が残っているから、しばらくは安静にしておくように言われた。あっ。アキラありがとう」
ココアは俺が預かっていた荷物を受け取ると背中に担いだ。
「まだ昼前だし、このままギルドに報告に行こうか」
そこで報酬を分配する。
仮パーティーの解散。お試し期間の終了である。
「うん。私達はそれでいいわ」
「討伐依頼も完了させたし、きっと、今までダンジョンに入った中で一番稼ぎになってるよね?」
ギルドで受け取る報酬を思い描いているのだろう。二人の顔に笑みが浮かぶ。
稼ぎ・・・か。
俺は背中の荷物を担ぎ直した。
その中にはボロボロになった盾が入っている。
(こんな事なら、最初に頭割りの条件を呑むんじゃなかった)
後悔先に立たず。
俺はため息をつきたくなった。
(今回は仕方が無いが、二人がパーティーメンバーになった後は、装備の修理代は必要経費にして貰えるように交渉しないとな)
俺はこの後、ココアとエミリーを正式にパーティーに誘うつもりでいた。
二人がOKしてくれるかどうかは分からないが、もし、今後もパーティーとしてやっていくなら、金の事はちゃんと決めておかないと後々トラブルの元になる。
中学生くらいの子供に見えても、彼女達は社会に出て働いている大人――冒険者ギルドに所属する冒険者なのだ。
「まあ、先ずはギルドで報酬を受け取らないとな。じゃあ行こうか」
「「はい」」
俺達は教会を出て冒険者ギルドへと向かった。
無事に町に戻って来て気が緩んでいたのだろう。
俺はこちらをジッと見つめる、黒尽くめの女の存在に気付いていなかった。
まだ昼前とあって、ギルドの建物の中は人が少なかった。
(・・・ちっ。まだ噂が続いているのか)
周囲から好奇の視線が突き刺さる。
俺がSランク勇者パーティー『竜の涙』から追放された話は、未だに彼らの話題になっているらしい。
エミリーが俺の後ろで体を固くした。
人見知りの彼女には苦手な雰囲気なのだろう。
「エミリー。みんなが見ているのは俺だ。君が気にする事は無い」
「あ、あの。は、はい」
ココアがエミリーの前に立って、周囲の視線から彼女を守った。
「――アキラ。早く終わらせようよ」
「そうだな」
こんな場所に長居する意味はない。
幸い、俺の馴染みの受付嬢、フレドリカの窓口は空いていた。
俺は彼女の前に立つと、依頼用紙を取り出した。
「報酬を受け取りたいんだが」
「ご苦労様ですアキラさん。それにココアさんとエミリーさんもお疲れ様」
フレドリカはココア達二人の担当者でもある。
二人は強張っていた表情を緩めると、嬉しそうに笑顔を見せた。
「今回は大変だったよ!」
「私達、討伐依頼を達成したんですよ!」
「討伐依頼?」
フレドリカは何か言いたそうに俺の顔を見上げた。
俺は依頼用紙を窓口のカウンターに置いた。
「その事だが、
「Sランクパーティーだ!」
誰かの声と共に、ギルド内にざわめきが広がった。
俺の心臓がドクンと脈打った。
「『竜の涙』だ。Sランク勇者パーティー『竜の涙』がやって来たぞ」
「スゲエ、俺初めて見たぜ。ホントに美女揃いなんだな」
「銀色の髪。あれが【
――イクシア。
その名に俺の心は激しくかき乱された。
イクシアがいるのか。
俺は完全に固まってしまった。
どうする? 話しかける? 何を? なら黙ってこの場を去る? だが、彼女達に見付かったらどうする?
そんな考えがグルグルと頭を駆け巡る。
呼吸が乱れ、背中がじっとりと汗ばむ。
この町で冒険者を続けていく以上、いつかはこうして出会う日が来るとは思っていた。
だがそれがまさか今日になるとは。
俺にはまだ、彼女に向き合う覚悟が出来ていなかった。
ココアとエミリーが不安そうに俺を見上げた。
「ねえ、アキラ。『竜の涙』って――」
「あっ、いたいた! ほらね、カルロッテ。私が言った通りでしょ。あそこにアキラがいるじゃない!」
笑いを含んだ女の声。全身黒尽くめの【
「教会で見かけた時に荷物を背負っていたからさ。ダンジョンから帰った所だと思ったのよね~」
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