第18話 見えないダメージ

 何度目かの攻防。


「ココア! 来るぞ!」

「――うん。分かった」


 俺はココアの前に出て盾を構えた。

 腕の感覚はとっくに無くなり、盾のグリップを握っているのか、握っていないのかも分からない。

 腕だけではない。肩や腰、それに膝。その他体の諸々が鈍い痛みを発している。

 盾の表面はベコベコに波打ち、抉れ、今にも割れてしまいそうだ。

 それもそのはず。俺はもう五度も重装蜂メタル・ビーの突進を受け止めているのである。


「今度こそ・・・」


 ココアが小さく呟いた。


 ドシンッ!


(・・・ぐっ!)


 相変わらずの激しい衝撃に、体がバラバラに砕けそうになる。

 ココアは俺の後ろから素早く駆け出すと、「しっ!」と一声。鋭い蹴りを放った。


「ギイッ!」

「やった! 当たった!」


 俺達の後ろで固唾をのんで見守っていたエミリーが、歓声を上げた。

 重装蜂メタル・ビーはココアの蹴りをまともに食らって、地面に転がっていた。

 無防備な敵にエミリーが襲い掛かる。


「やっ! はっ!」


 ココアは重装蜂メタル・ビーに追撃。サッカーボールキックを叩き込んだ。

 一発。二発。しかし、重装蜂メタル・ビーは体勢を立て直すと、そのまま空中へと逃れた。


「ああ~っ」

「くそっ! もうちょっとだったのに!」


 ココアは悔しそうに手に拳を叩きつけた。

 確かに今のは惜しかった。

 俺は痛みを堪えながら、震える手で目に入った汗をぬぐった。


 最初は重装蜂メタル・ビーの威容に怯えていたココアだったが、攻撃を当てる事で次第に自信を取り戻して来たらしい。ここになってようやくいつもの彼女らしい動きになっていた。


(さっきのは惜しかった。あのまま決めて貰いたかったが・・・)


 俺の体も限界が近いが、それよりも盾の方がヤバイ。

 あちこちが大きく抉れて、いつ壊れてもおかしくなかった。


(もう何度も受け止められないだろう)


 早ければ次の攻撃で壊れてしまうかもしれない。

 それは最悪の可能性だった。

 流石に予備の盾までは持っていないし、持っていたとしても、今回は持って来なかっただろう。荷物になるからだ。

 Sランクパーティー『竜の涙』にいた頃は常備していたが、今は金もないし荷運び人ポーターも雇っていない。

 そもそも今回の依頼は浅層だけで済ませる予定だったのだ。

 荷運び人ポーターを雇えばそれだけで赤字になってしまっただろう。


 今の俺の状態をココアに教えておくべきかどうか。


(いや。言うべきじゃない)


 ココアのジョブ、【闘技者モンク】は、戦闘中、周囲の味方や敵に意識が向かなくなる欠点がある。

 しかしこれは逆を返せば、それだけ目の前の敵に集中している、という事に他ならない。

 せっかく重装蜂メタル・ビーという格上の相手に健闘しているのだ。

 ここで余計な情報を入れて、彼女に妙な気を回させない方がいい。


 俺はギリギリまでココアには黙っている事に決めた。

 しかし、ここでエミリーが俺のためらいに気付いてしまった。


「アキラさん。――もしかして盾がもうもたないんじゃ?」

「えっ?!」


 ココアはハッと我に返ると慌てて俺に振り向いた。


(くそっ。余計な事を)


 俺は内心で舌打ちをした。


「ほ、本当だ! その盾、ボロボロでもう壊れそうになってるじゃない!」

「・・・そうか? 大分やられているがまだ耐えれるだろう」


 俺は空っとぼけると、ココアに背を向けて盾を彼女の視線から遮った。


「ウソ! 端っこなんて穴が開いているし! そんなのでどうやってあの攻撃を防ぐのよ!」


 穴が? 確かに。言われてみればその通りだ。俺は慌てて手で穴を隠した。

 ココアはさっきまでの様子から一転。不安に怯える目で俺を見ている。

 自分を守ってくれる盾に不安が出来た事で、重装蜂メタル・ビーに対する恐怖がぶり返してしまったようだ。


「(チッ・・・)大丈夫だ。このまま戦い続ければ倒せる。自分に自信を持て」

「無理よ! さっきだって何度も攻撃を当てたのに倒せなかったじゃない!」


 それは・・・。

 俺は返事に詰まってしまった。

 実は俺も内心では彼女と同じ事を思っていたのである。


 ひょっとして、ココアの力ではいくら攻撃しても重装蜂メタル・ビーを倒す事は出来ないんじゃないだろうか?


 それは決して口に出来ない――口にしてしまったが最後、気力が折れて二度と戦えなくなってしまう最大の禁句だった。


 この時、俺はココアと会話をしつつも警戒を続けていたつもりだった。

 しかし、彼女の動揺が俺の精神にも影響を与えていたのだろう。

 俺はその時、戦いの中でほんの少しだけ集中を切らしてしまった。


 しまった!


 そう思った時には遅かった。重装蜂メタル・ビーは既に突撃の体勢に入っていた。


(間に合わない)


 俺は咄嗟に盾を構えたが、その構えは今までの中では一番中途半端で、敵の恐るべき突進を止められる体勢ではなかった。

 俺の脳裏に、盾が砕け、自分の腕がへし折れる光景が浮かんだ。

 それは予知めいた未来像ビジョンだった。

 一瞬のうちに血の気が引き、絶望が心を塗りつぶす。

 だからだろうか? 俺はその時、自分に何が起きたのか、咄嗟に理解出来なかった。


(盾が光った?)


 そう。盾は確かに紫色の薄い光に包まれていた。

 そう思った次の瞬間だった。ゴツン! という激しい衝撃と共に、俺の体は地面に転がっていた。


「アキラ!!」


 ココアの悲鳴が聞こえる。

 しかし俺は呆気に取られていた。

 盾は壊れる事なく無事だった。そこはいい。そこはいいのだが、重装蜂メタル・ビーの攻撃を受け止めたとは思えない程、さっきの衝撃は軽い――いや、軽くはないのだが、今までのような体の芯に来るような衝撃ではなかったのである。


(紫色の光――そうか! エミリー!)


 この時になって、俺はようやく盾を包む光の正体に気が付いた。


「エミリー! 盾に強化魔法を使ったのか?! というかお前、武器以外にも強化魔法が使えたのか?!」


 そう。それはエミリーが得意とする魔法――強化バフの放つ光だったのである。




 エミリーのジョブは【小賢者セージ】。

 その特徴は自分の装備に強化バフを乗せ、前線で戦うもので、魔法剣士とも言うべきかなり尖ったジョブである。

 引っ込み思案でややどんくさい所のあるエミリーには、宝の持ち腐れ感もなくもないが、それでも仲間の武器を強化出来るという点では非常に優れたジョブと言えた。


「わ、私も盾に魔法をかけたのは初めてでした。上手くいって良かったです」

「ぶっつけ本番だったのか・・・」


 武器を強化出来るなら、防具だって強化出来るだろう。言われてみれば当たり前だ。

 しかし、彼女が今までそれを試した事すらなかったのは、冒険者は(以前の俺を除いて)全員、魔力装甲マナ・アーマーが使えるからだ。

 それにしても、咄嗟にそれを思い付くとは・・・


(エミリーはああ見えて意外と土壇場に強いんだな)


 俺は彼女に対する印象を少し改めた。

 エミリーは重装蜂メタル・ビーが攻撃態勢に入ったのを見て、俺の盾がもうもたないと考えた。

 そこで彼女は咄嗟に俺の盾を強化したのである。

 強化された盾は重装蜂メタル・ビーの攻撃を無事に受け止め、俺は尻餅をついただけで済んだのだった。


(おいおい、これはスゴイんじゃないか?)


 さっきは体勢が悪かったために耐えられなかったが、敵の攻撃を受け止めた際のダメージは今までで一番小さかった。

 おそらくエミリーの強化バフの効果は、盾の耐久性以外にも――盾そのものの性能の強化に繋がっているのではないだろうか?

 つまり、盾自体が攻撃の衝撃を何割か受け止めてくれたのだ。


(マジかよ・・・まさか防具まで強化できるなんて)


 俺はこんな状況でありながら、この発見に――エミリーの強化魔法の可能性の大きさに――興奮していた。


「やあっ!」


 ココアの声にハッと我に返ると、彼女が重装蜂メタル・ビーに蹴りを叩き込む所だった。

 重装蜂メタル・ビーは這う這うの体で這いずると、フラフラと空へと逃れて行った。


(? なぜ重装蜂メタル・ビーは今までのようにすぐに逃げなかったんだ? ――いや、待て! そういう事か!)


 そう。俺は――俺達は勘違いしていた。

 ココアの攻撃は重装蜂メタル・ビーに確かに効いていたのである。


 ココアのジョブ、【闘技者モンク】の武器は、両手両足を覆った魔力装甲マナ・アーマーを使った打撃だ。

 剣による斬撃とは違い、攻撃を受けた敵が流血するような事も無いので、どの程度のダメージを負わせたかは、見た目ではやや分かり辛い。

 ましてや重装蜂メタル・ビーは、全身が硬い鎧状の甲殻で覆われている。

 そのせいでココアの攻撃は何の効果も与えていないように見えたのだ。


(今の俺と一緒だ。硬い防具で攻撃を防いでいるようでも、体の中には目に見えないダメージが残っている)


 ダンジョンのモンスターは魔法生物という特殊な生き物だ。彼らの中心であり命の根幹は、”魔石”と呼ばれる魔力の塊である。

 魔石からは魔力糸と呼ばれる細い糸が伸び、体の各部パーツをつなぎ止め、動かしている。

 要は魔力糸は俺達、普通の生き物における神経と血管を合わせたようなもの、と考えて貰えばいいだろう。

 ココアの攻撃は一見、重装蜂メタル・ビーに何のダメージも与えていないように見えた。しかし、目に見えない所ではキッチリとダメージを――モンスターの体を走る魔力糸にはダメージを負わせていたのである。


(ココアの攻撃でダメージが蓄積されていた所に、俺が強化された盾で体当たりを受け止めた。ヤツの体は限界を超え、すぐには動くことが出来なくなった。そこにココアが攻撃を仕掛けたのか)


 俺もボロボロだが、実は重装蜂メタル・ビーもボロボロだった、という訳だ。


「いや、違う。今の俺にはエミリーの強化魔法がある。これからの俺が今までの俺と同じと思うなよ」


 俺は痛みを堪えながら立ち上がった。

 ココアが慌てて俺の下に駆け寄った。


「アキラ! 大丈夫?!」

「ああ。エミリーの魔法は大したものだ。それよりも見たか? 今の重装蜂メタル・ビーの様子を」


 ココアは大きく頷いた。


「アイツ、結構弱ってたね」

「いや、違う。”結構”じゃない。もうフラフラだ。ココア。お前の攻撃はちゃんとヤツに効いていたんだよ」

「!」


 ココアはハッと目を見開くと、興奮に頬を赤く高揚させた。

 俺は紫色の光を放つ盾を構えた。


「さあ、ヤツに止めを刺すぞ。ココア! 引き続き攻撃を頼む! エミリー! 盾の強化が途切れないようにしてくれ!」

「任せといて!」

「わ、分かりました!」


 エミリーは珍しく大きな声で返事を。ココアはいつもの元気を取り戻すと、勢い良く拳と手の平を打ち合わせたのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 それから数分後。

 遂に重装蜂メタル・ビーは力尽きた。

 完全に魔力糸を断たれたモンスターの身体は、グズグズと崩れ落ちたのだった。

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