第3話 受付嬢フレドリカ
酒場での一件を終え、俺は寝床にしている借家に帰った。
別の店で飲み直そうにも懐に金は無い。
明日をも知れない冒険者にツケで酒を出す店なんてないし、ぶちまけた料理で汚れたシャツも着替えたかった。
借家とは言ったものの、日本人、
あるいは時代劇で見た事のある江戸の長屋か。
「とはいえ、俺は前世でもアパートに住んだ事なんて無いんだが」
ちなみに享年二十一歳。大学四年生。
卒業後は親の経営するリゾートホテルの運営会社に就職する事が決まっていた。
そう。俺は結構いいトコのボンボンだったのだ。
最後の記憶は、婚約者のマンション。彼女と二人きりで飲んでいた時、突然背中を刃物で刺され、殺された。
死の直前、俺を見下ろす彼女の目は、人生で一度も向けられた事の無いほど冷え切った目で――
「――いや、今はあまり具体的に思い出すのはよそう。興奮してしまいそうだ」
前世ではずっと実家暮らしだったとはいえ、俺にはこの世界のアキラとしての知識と経験がある。
村を出て冒険者になってから五年。町での独り暮らしにも慣れたものである。
俺は共同炊事場で湯を沸かすと、部屋に持ち込んで服を脱いだ。
この部屋には風呂どころかシャワーすら付いていない。
面倒だが、体の汚れを取るには、こうしてお湯にタオルを浸して拭くしかなかった。
「そういえば、記憶が戻った事に驚いて忘れていたが、何かジョブを得ていたんだったな」
お楽しみに夢中になっていたせいで忘れていたのでは? というツッコミは無しで。
俺もさっきは調子に乗り過ぎたという自覚はあるのだ。
ジョブというのは冒険者の適正のような物で、ゲームで良くある「戦士」や「魔法使い」のようなものだと思って貰えばいいだろう。
ダンジョンでモンスターを相手に戦っていると、いつか勝手に覚えるものである。
「そういうものだと思って今まで疑問にも感じた事がなかったが、これって一体どういう原理なんだ? 体に悪いものじゃないだろうな? 前世の記憶を思い出した今だと謎でしかないんだが・・・これか。ほう。初めて見るジョブだな」
俺の得たジョブは【
聞いた事も無いジョブである。
「サンドバッグ? サンドバッグってアレか? ボクシングや格闘技の練習道具の。前世の知識で知ってはいるが、アレがジョブってどういう事だ?」
知らないジョブだが、なぜだろう、妙に心に――芽生えたばかりのM感覚に――訴える物を感じる。
俺は少し悩んだが、まあいい。
詳しい事は明日、冒険者ギルドで聞けば分かるだろう。
冒険者は冒険者ギルドに登録する事が義務付けられている。
つまり、どんなに珍しいジョブであっても、ギルドには資料が残っている、という事になるのだ。
俺は体の汚れを拭うと、真新しいシャツに袖を通した。
「どの道、金を下ろすため、冒険者ギルドには行かなければならないしな」
手持ちの金はさっき、衝動的に酒場で使い切ってしまった。
冒険者は冒険者ギルドに口座を持っている。
手数料だけ取られて金利も付かないクソ仕様だが、この世界の治安の悪さは平和な日本とは比べるべくもない。
信頼出来る場所に財産を預けておけるのは、それだけでも十分にメリットが大きかった。
「アキラが冒険者ギルドに金を預けていて助かった。Sランクパーティーを追い出されてしまったが、少なくとも即座に路頭に迷うような事はなさそうだ」
俺は前世ではかなり恵まれた生活をしていた。着の身着のままで路上生活、なんてのは勘弁して欲しかった。
俺は汚れたお湯の片づけは明日する事にしてベッドに横になった。
(何にせよ、今日は色々な事が起き過ぎた。パーティーを追放されたり、前世の記憶を思い出したり。今後の事は明日になってから考えよう)
俺は目を閉じると、さっきの酒場での興奮の余韻に浸りながら、眠りについたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
カーネルの町の冒険者ギルドは、盛り場の入り口に位置する大きな石造りの建物だ。
まだ朝の早い時刻だが、既に多くの冒険者達が集まり、素材採取の依頼を受注したり、仕事仲間を探したりと賑わっている。
冒険者は基本的には男も女も、粗暴な者達が多い。
会話に興奮したり、話に興が乗ったりすると、ついつい声も大きくなり、最後は大声で怒鳴り合うようになる。
度が過ぎるとギルドの職員に注意を受けるが、しばらくするとすぐに大声で話すようになるのだ。
そのため、ギルド内はいつも喧噪に満ちていた。
「いらっしゃいませ。今日は何のご用でしょうか?」
ギルドの受付嬢、フレドリカはいつものように受付の窓口で冒険者の相手をしていた。
やや垂れ気味のぱっちりとした目。赤みがかったストロベリーブロンドの髪を
年齢は十九歳。三人いる受付嬢の中では最年少。一番背が低く、そして一番胸が大きかった。
そのためか男性冒険者からの人気が高かったが、本人は密かに自分の体型にコンプレックスを抱いていた。
ザワッ。
(えっ? 何?)
その時、いつものようにうるさかった部屋が、どよめきと共に静まり返った。
建物の入り口。冒険者達の視線を浴びながら入って来たのは、中肉中背の軽装の青年だった。
人好きのする割と整った顔。ブラウンのクセ髪は冒険者らしく短く刈っている。
「アキラさん」
フレドリカの顔がパッと明るくなった。
アキラはこの町で唯一のSランクパーティー、『竜の涙』の一員。
何かのはずみでフレドリカと年齢が同じと知ってからは、いつも彼女の窓口に並んで仕事を受注していた。
アキラは周囲から集まる視線に煩わしそうに顔をしかめると、いつものようにフレドリカの窓口の列に並んだ。
(何かあったんでしょうか?)
建物内の不穏な空気にフレドリカの胸中はザワついた。
確かにアキラは目立つ存在――というよりも、Sランクパーティー『竜の涙』はこの町の冒険者ギルド内でも特に注目を集める存在だった。
ダンジョン踏破者にのみ与えられる栄誉ある称号、Sランク。
そのSランクパーティーを率いるのは【
【
ましてや現役の冒険者はイクシアただ一人という話だ。
その能力は身体能力の向上に剣技の向上、魔力の向上に様々な耐性の向上という、正に壊れジョブである。
『竜の涙』はそんな【
しかも全員が若い女性――美女揃いとあって、ギルド内でもカリスマ的な人気を博していた。
アキラはその『竜の涙』に所属する唯一の男性冒険者。
しかも冒険者五年目でありながら、未だにジョブを発現していない”無能”である。
自然と周囲からの風当たりは強くなり、表に裏に、嫉妬を含んだ嘲笑が彼には浴びせられていた。
しかし、フレドリカは、そんな状況にあっても自分の仕事を寡黙にこなすアキラを密かに尊敬し、応援していた。
(それにしても、何なんでしょうかこの雰囲気は。いつものやっかみとも違うようですが)
フレドリカはアキラに向けられる冒険者達の視線を気にしつつも、テキパキと仕事をこなしていった。
そして列が動き、いよいよアキラの順番が来た。
「いらっしゃいませアキラさん。今日は何のご用でしょうか?」
フレドリカはいつものように明るくアキラに声をかけた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
冒険者ギルドに足を踏み入れた途端、建物の外まで聞こえていた喧騒がピタリと止んだ。
それと同時に、同業者達の無遠慮な視線が俺に集中する。
(ちっ。こうなると分かっていたが、思っていたよりも噂が広まるのが早いな。もう昨夜の話が伝わっているらしい)
俺は舌打ちをしたい気持ちを堪えた。
Sランク勇者パーティー『竜の涙』は良くも悪くも注目の的だ。昨夜の出来事は、前世で言えばアイドルユニットのスキャンダル、といった所だろうか?
俺が追放されたというニュースは、既に冒険者達の間に共有されているらしい。
(こんな事なら無理して朝早く起きるんじゃなかった)
『竜の涙』は昨日、ダンジョンへのアタックを終えて町に帰って来た所だった。
ギルドで依頼の報告をして、酒場で打ち上げ――を始めようとした所で昨日の一件が起きたのだ。
本当なら今日はオフの予定だった。しかし、噂が広まる前に用事を済ませておきたい。
そう思った俺はわざわざ早起きまでして冒険者ギルドにやって来たと結果が、この有様である。
どうやら俺は『竜の涙』ネームバリューを甘く見積もり過ぎていたようだ。
(知っていた事だが、コイツらに蔑まれても別に楽しくはないな)
楽しいどころか不快なだけだ。
やはり俺のM感覚は女性――それも美女にしか反応しないらしい。
(それが確認できたのがせめてもの収穫か。どんな苦痛にも喜びを感じるなら、このストレスでしかない時間も楽しめただろうに)
世の中上手くいかないものだ。
俺は顔をしかめると、馴染みの受付嬢――フレドリカの列に並んだのだった。
「次の方どうぞ」
苦痛な時間は覚悟していたよりも早く終わった。
やはりフレドリカは優秀だ。俺は内心で安堵のため息をついた。
「いらっしゃいませアキラさん。今日は何のご用でしょうか?」
彼女の明るい笑顔に心が洗われる思いがした。
(本気で涙が出そうだ。やっぱり女性からは蔑まれるよりも、好意的に接してもらう方がいいな)
「アキラさん?」
「あ、ああ。今日は相談があって来た。実は昨日の晩、俺にジョブが発現したんだ」
「えっ?! そうなんですか?! おめでとうございます!」
彼女が驚くのも当然だ。ジョブは早ければモンスターと一~二度戦った程度で発現する者もいる。
Sランク勇者パーティーの一員でありながら、五年間ずっとジョブが発現していなかった俺がいかに異常か分かるだろう。
俺はフレドリカの祝いの言葉が心にしみると同時に、「とうとう俺もジョブを得る事が出来たんだな」と今更ながら実感していた。
「それで、ジョブの相談との事ですが、一体、何のジョブが発現したんでしょうか?」
おっと、しみじみと浸ってばかりはいられない。
「それが知らないジョブだったんだ。だからギルドに聞きに来たんだ」
「珍しいジョブだったんですね?」
「そうだ。【
「は? サ、
フレドリカは少し垂れ気味な目を驚きに大きく見開いた。
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