第2話 転生者アキラ

 俺は激しい衝撃を受けていた。

 突然蘇った記憶。それは俺の前世――日本人、狩野かのう明煌あきらの記憶だった。


(いや、待て。状況を整理しよう。そのためには先ずは落ち着け)


 俺はこちらを睨み付けて来る仲間達から、無理やり意識を反らした。


 女性から冷ややかな目で見られている。


 そう考えるだけで、興奮してたまらなくなるからである。

 そう。俺の性癖はマゾヒズム。

 女性から――特に美人から虐げられる事に興奮を覚える、特殊な性癖を持っているのである。


 俺は記憶が戻ったと同時に、前世の性癖にも目覚た。

 いや、逆か。前世の記憶と性癖は、一緒に紐づけられていたのかもしれない。

 つまりはこの性癖に目覚めたために、同時に記憶も蘇ったのではないだろうか?


(頭にある記憶は・・・前世と今生、両方共にあるな。なんだか不思議な感覚だ)


 日本人、狩野かのう明煌あきらと、こちらの世界の冒険者、アキラ。今の俺には両方の記憶があった。

 そして前世の記憶が蘇った事で――違う視点、異なる価値観を得た事で――今までのアキラがいかに情けない男であったかが分かった。


(客観的に見てダメ男だな。幼馴染のイクシアに精神的に依存していたばかりか、それを当然と思っていたとは)


 これじゃ仲間が俺を軽蔑するのも無理はない。

 それでもさっきの言葉は言い過ぎだとは思うが。


(だが、悪い事ばかりではない)


 俺はパーティーメンバーを見上げた。

 Sランク勇者パーティー『竜の涙』のメンバーは全員タイプの違う美人揃い。

 そんな美女達からゴミクズのように見下されるのは、非常にM感覚が刺激される状況だった。


(そう。悪い事ばかりではない。これはこれでいい感じ・・・・だ)

「おい、アキラ! 急に黙り込んでどうした?! まさか今更自分のクズさ加減に気付いたとか言うんじゃないだろうな!」


 燃えるような赤毛の美女、【聖騎士クルセイダー】のカルロッテが俺に突っかかって来た。

 その罵倒が心に芽生えたばかりのM心を刺激する。


(くっ。不意打ちとは卑怯な)


 俺は瞬時にカッと顔が熱く火照るのを感じた。


「ふん。怒ったか。だが、私が今までお前に対して溜め込んで来た憤りはそんなものじゃないぞ」


 カルロッテは俺の顔色の変化を怒りのせいだと思ったようだ。

 さらに仲間達も、ここぞとばかりにかさにかかって責め立てて来る。


「パーティーから出ていけ」

「さっき辞めるって言ったよね? ちゃんと覚えてるから。ああ~せいせいした。ホラ、早く出て行きなよ」


 うぐっ。よせ。流石にこれは刺激が強すぎる。

 俺は自分の心に芽生えた新たな感覚に翻弄されていた。

 そして強く思った。


 記憶の件を考えるのは後回しだ。今はこの状況を楽しまないと勿体ない――と。


 後で思えば、この時の俺はどうかしていたのだろう。

 あるいは新たに覚えた感覚にハイになっていたのかもしれない。


 俺は衝動に突き動かされるままにゆっくりと立ち上がった。

 その動きで体に乗った料理がペシャリと床に落ちる。

 俺の無様な姿を仲間達があざ笑った。


「・・・いい」

「いい? アキラお前、何を言っているんだ?」


 いかん。つい感極まって声に出てしまった。

 俺は慌ててカルロッテから目を反らした。

 そんな俺の目に自分の装備が映った。

 ミスリルや魔物の皮をふんだんに使った、見栄えの良い高価な鎧だ。

 アキラはこの実力に不相応な鎧を、自費ではなくパーティーの維持費で購入していた。


(冒険者パーティーとしては珍しい話じゃないが、日本人の感覚では微妙だな。例えて言えば、会社の金で自分の車を買っているような感じか。――いや待て、これは使えるんじゃないか?)


 俺は自分の装備を指差した。


「ゴホン。いい、じゃない。いいのか? と言ったんだ。この装備はパーティーの維持費で買った物だ。つまりこの装備は俺個人の所有物ではなく、パーティーの財産とも言える。これを持ったままパーティーを抜けてもいいのか? と、そう言いたかったんだ」

「ふ、ふざけるな! そんな訳がないだろうが! その装備は全部置いて行け!」

「ここでか?」

「そうだ! この場に置いて行け!」


 この場でか? ゴキゲンだな!

 俺はすぐにでも装備を脱ぎたかったが、あえてここで悔しそうな顔をしてみせた。

 すると案の定、カルロッテは満足そうな顔でフンと鼻を鳴らした。

 良い表情だ。実にそそられる。

 それから俺はゆっくりと時間をかけて装備を外した。

 女に命じられて身ぐるみはがされる。これはいい。興奮する。

 こんな時間をすぐに終わらせるなんて勿体ない。


(このアウェイ感がたまらない)


 酒場の客は俺の無様な姿に、バカにしたような笑みを浮かべている。


(・・・こっちは別に面白くないな)


 どうやら俺のM感覚が刺激されるのは、女性相手に限られるようだ。

 また一つ俺は性癖に対する理解を深めた。


 楽しい時間は、しかしすぐに終わってしまった。

 俺は武器と装備を全て外し、シャツとズボンだけの姿になっていた。


「さあ、ここからとっとと出て行け!」


 カルロッテは酒場の出口を指差した。

 これで終わりか・・・

 俺は一度そちらを見て、そして未練がましく振り返った。 


「何だ?」

「もっと他に――いや、これだけでいいのか?」

「これだけ? どういう意味だ?」


 つい、惜しくて口走ってしまったが、そうだな。どうすればいいだろう? これ以上置いて行ける物はないし。・・・そうだ。

 俺は床にぶちまけられた食事を指差した。


「見ろ。他の客の食事を台無しにしているじゃないか。それに店にも迷惑をかけている。これらの代金をお前が払ってくれるのか?」

「そ、そんな訳あるか! お前が払え!」


 よし。延長戦だ!

 作戦成功。俺の心は踊った。

 ここで散財するのは少々痛いが、趣味には金がかかるものだ。前世で趣味人の祖父もそう言っていた。

 俺は表面上はイヤイヤ財布を取り出すと、期待を込めて仲間の様子を窺った。

 期待通り、仲間は嘲りの目で俺を見て――いないだと?! 何故だ?!


(ちょ・・・ウソだろ?!)


 彼女達は嘲るどころか、気まずそうな顔でこちらを見ていた。

 そう。彼女達はあまりにも惨めな俺の姿に、「これは流石にやりすぎなんじゃ」と引いてしまったのである。


(いやいや、それは違うだろ! お前らこのくらいで満足してどうする! いいからもっとガツガツ来いよ!)


 思わぬ状況に焦る俺。あろうことか仲間達はカルロッテを引き留めた。


「カルロッテ。もうそれくらいでいいんじゃない?」

「そーそー。私はもっとやってもいいと思うけど、流石にこれ以上やると私らの世間体に響くかな」


 おい! 何言ってんだお前ら! 誰もそんな展開を望んでいないって! 周りのヤツらを見ろよ、「何だもう終わりか?」って顔をしてるじゃないか! アイツらの方が正しいよ! 空気読めよ!


 俺は一縷の望みを託してカルロッテに振り返った。


「そ、そうかな?」


 そうかな? じゃないし!

 何だよお前! ガッカリだよ! 仲間に引かれたからって日和ってんじゃねえよ!


 俺は激しい焦りを覚えたが時すでに遅し。

 場の熱は急速に冷めて行った。

 どうやら彼女達は俺への怒りを通り越し、申し訳ない気持ちになってしまったようだ。


(・・・いや、違う。これは俺のせいだ)


 どうやら俺はやり過ぎてしまったらしい。

 あまりに俺がしおらしくし過ぎた事で、余計な同情心を買ってしまったようだ。


 前世の記憶にある音楽のジャンル、ジャズ。

 そのジャズには、”スウィング”という言葉があるそうだ。

 いわゆる”ノリ”の事で、ジャズの奏者は互いの演奏でスウィングし合い、一つの楽曲を高め合うらしい。


(こちらが一方的に楽しむばかりじゃスウィングしない。という事か)


 俺がこの性癖に目覚めたのは、前世で殺される直前。

 どこまで相手に求める事が出来るのか。どのような態度を取れば蔑みを得る事が出来るのか。

 その点を見極めるには圧倒的に経験値が不足していたようだ。


 カルロッテは気まずそうに俺から目を反らした。


(こういうのはいらないんだよなあ)


 こんな彼女は見たくなかった。

 せっかくいい感じに盛り上がっていたのに、これでは尻すぼみもいい所である。


(この辺のさじ加減は、何度か試してみないとな)


 楽しい時間は終わってしまった。

 ハイテンションからローテンションに。心から熱が引いていくのが分かった。

 俺は小さくため息をつくと、カウンターの上に無造作に財布を置いた。


「あ、いや、それは・・・」


 カルロッテは何か言おうとしたが、先程「お前が払え!」と怒鳴った手前、それ以上は言葉を続けられなかったようだ。

 俺は虚しさを胸に、トボトボと酒場を後にした。


「えと・・・何、この空気。なんで私らが申し訳ない気持ちになってるわけ? これってヘンじゃない?」


 【魔女ウィッチ】のダニエラが何か呟いていたが、俺の耳には届いていなかった。

 失意に沈む俺は、幼馴染のイクシアが一体どんな顔をして俺を見送っていたか、それを確認する余裕すら失っていた。

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