第3話 ダイエットの基本は精神論。


 ダイエッターの朝は早い。


 使用人たちが朝食の用意を始める、そんなまた少し薄暗い時間に起床し、動きやすい服に着替えた後、自室の窓を開け放つと、早朝の肌寒さが身に沁みて、瞼に残っていたぼんやりした熱が引いていくのを感じ―――そして当然のように窓枠へと足を掛け、そのまま飛び降りる・・・・・


 僕の自室は2階にあるが、無駄に大きな屋敷であるため、二階でも相当な高さにあり、普通に着地したなら膝・腰を痛めかねないが、落下の途中に屋敷の壁を蹴り、庭に生えている木へと跳躍、そしてそのままもう一度木を蹴って、無事着地すると、何度か深呼吸をした後、軽く・・ウォーキングを行う。


 厨房から漂ってくる香ばしい香りに何度も心を折られそうになったか分からないが、それでも確固たる意志を持ってして全力でスルーしながら、周囲の目があれば怪訝な眼差しを向けられるような高さにまで腿を上げ、大きく腕を動かし、キビキビと歩く。


 この時の速さは重要じゃない。


 正確に、そして確実に、自分の出来得る限りの範囲の事を熟すことを意識しながら、朝食の用意を終えたメイドのラウラが僕を呼びにやってくるまでのおよそ1時間、育ち盛りが故に泣き虫な腹の虫を気合で黙らせながら、ひたすら無心でこれを続ける。



「ルドス様、朝食の用意が出来ました」


「あぁ、今行くよ」



 そうしている間にやってきたラウラに断わりを入れた後、流した汗をさっさと水を被って大雑把に洗い流し、急いで家族の待つ食卓へ向かう。



「おはよう。父さん、母さん」


「あぁ、ルドス、おはよう。今日も精が出るなぁ」


「ルーちゃんお疲れ様ぁ。疲れたでしょう?」


「いや、いつものことだからさ」


「そぉ?ルーちゃんががんばり屋さんなのは知っているけれど、お母さんとしては怪我しないか心配だわぁ」


「ははは。大丈夫、無理はしてないよ」



 既にテーブルに着いている父さんと母さんと軽い会話を交わしながら席に着くと、後ろで控えていたラウラが淀みない動きで朝食を並べていく。


 ……いつ見ても滑らかすぎて手の動きが全く悟れないし、音すら立てない、そんないともたやすく行われるえげつない行為の無駄遣いに感服しながら、皿にきれいに盛られた今日の朝食へと目を向ける。


 メニューはスクランブルエッグに、香辛料と香草の練り込まれたソーセージ、色鮮やかなサラダに、焼き立てらしいバケット。


 一般家庭でもよく並ぶ家庭料理と言ってもいい、そんなメニューが並んでいるが、これは何もウチが田舎の貧乏貴族だから、ということではない。


 寧ろ、他に比べて大分羽振りはいい方であるし、他の領地に比べればかなり生活水準は高いほうだろうし、やろうと思えば毎食高級食材が並ぶなんてこともできるだろうが……現「ティーツァ領」の領主たるガドス・ティーツァ……父さんがそれを許さなかった。



 「豪華な食事をするよりも、大勢で腹いっぱい食べられた方がお得だろう?」



 本当に貴族なのかと疑ってしまうような発言を平然と口にしてしまう、そんな形式と格式プライドに囚われない父さんは、一見ではテンプレ悪徳領主のようなビジュアルをしているのにも関わらず、領地経営・人材発掘に関しては、右に出るものはいないほど敏腕であり、人材派遣や仕事の斡旋などを主に生計を立てている。


 反面、その性格故になのか父さんはまつりごとに関してはめっぽう弱い。


 正確には、興味がない、だろうか。


 公国は多数の貴族によって成り立っている国であるという特性上「よそはよそ、うちはうち」というスタンスなのだが、この特性上各領地でのあれやこれや……主に税金なんかもその領地を任されている貴族に委ねられてしまうのだ。


 それによって何が起こるか、なんてのは……想像に難くないだろう。


 じゃあ、偉い奴らがどうにかしろよという話になってくるわけだが、国の上層部で権力争いやら、犯罪組織とずぶずぶに癒着していたりと、領民……どころか爵位が低く、力のない貴族の声は届きすらしないという有様である。


 故に、対応はわかりやすく二分する。


 国のお偉方に全力で媚びを売るか、我関せずを突き通すか。


 正直貴族という国に仕える身で後者を取れる者はよほどのバカか無能かだ。


 ……まぁ、その数少ないバカの中にはやはりというかうちの名前もあるわけだが、生来の性分からして、父さんは麦わら帽子と手ぬぐいがよく似合うし、鍬を担いで畑仕事をしている方が性に合う、なんて言ってしまうぐらいだ。


 だが、非情に優秀であり、人望も厚い。


 にもかかわらず本当に絶望的なぐらい父さんには「野心」がない。


 本当はやろうと思えばもっと上の立場に収まることも出来たはずだが、父さんはその優秀な能力をどこまでも自治に注力している。


 だから、領民からすればこれ以上ないほどに優秀な領主として評価されるが、国からすれば邪魔で面倒な目の上のたんこぶとして疎まれる。


 そんな矛盾した評価を下されるに至ったのにはそれなりの訳があるが、それ故に政に無頓着・無関心であったためにのちの悲劇が生まれてしまうと考えるとやはりいろいろと思うところはあるのだが……。



 ―――閑話休題それはそれとして



 要するにウチは貴族ではあるが大分自由というか、色々と大雑把な家であり、ちょっと大きな家に住んでいて、使用人であるラウラが一人居るだけのごく普通の家庭……逸般家庭というべきか?……であって、一般的な貴族とはかけ離れたような家庭環境なのだ。


 その一端が食事であり、うちの食卓に並ぶ料理は一般家庭でも出てくるような家庭環境が殆どで、なんなら殆どの食材が貰い物……というかお裾分け……であり、マジで高級食材なんて欠片の存在もない。


 以前、どこぞの貴族のパーティーにお呼ばれしたことがあるが、見たこともないような料理が並びすぎてまともに手を付けられなかった。


 一応マナーは母さんから教わってはいるが庶民(※貴族です)があんな高級なもん食べたらお腹壊してしまう(経験談)。


 やっぱりうちの料理が一番うめぇや……と感慨に浸ったのはいい思い出である。


 そんな思考に浸っているうちに、あっという間に3人分の食事が出揃ったようで、父さんが一度手を叩いた。



「それじゃあ、いただこうか!」



 そのいつもの食事の合図を聞きながら、今日も美味しい朝食をいただく。


 ……といっても僕の目の前に並んでいる料理は父さんと母さんとは少しばかり異なり、この場の主菜たるソーセージとスクランブルエッグはゆで卵一個に置き換わり、主食であるバケットの姿はない。


 つまり、僕の朝食はゆで卵とサラダのみである。



「……いつもながら、本当にそれで大丈夫なのか?」



 切り分けたソーセージに齧り付き、自分の皿に並ぶ朝食と、育ち盛りの子供である僕の前に並んでいる少なすぎる朝食を見てそういうのは父さんであり、その声色はいつも通り子を気遣う親心に溢れたもので。



「まぁ、慣れだよ、慣れ。はは……」



 僕はその親心に勘付きながらも、取り繕ったなんとも中途半端な笑顔を浮かべて、綺麗に殻の剥かれ丁度いい塩加減に味付けされたゆで卵に一口齧り付く。


 一口で半分ほど体積を減らしたゆで卵からはとろりと半熟の黄身溢れるが、ぺろりと舐め取りながら思うのは、食事という行為に対しての幸福感と、一抹の罪悪感。


 この年頃の子供というのは人格形成以なんて、親に甘え、甘やかされるものだ。


 そうして幼少~少年期に掛けて、家庭に対する認識と、家族との関係が構築されていき、のちの人格形成に大きく影響を与えるこの期間は、親からしてみれば育児の一番重要な時期と言っても過言ではない……が。


 僕は既に二十数年という人生を経験し、人格形成を完全に終えている転生者。


 前世の記憶なんてものを保持せず、まっさらな状態であったなら、この幸せな家庭環境に甘んじていたかも知れないが、なまじ知っているからこそ此処で止まっていられないのだ。



「だけど、今の生活を初めてもう5年・・も経つのよぉ?ルーちゃんがこんなにもかっこよくなったのはママ嬉しいけれど、やっぱり心配なのよぉ」



 ……そう、僕がこの世界が『FW』であり、自分が「豚伯爵」である事に気付き、ダイエットを決意してから既に5年が経とうとしていた。


 つい最近10歳となった僕は、今日に至るまでの5年という時間の殆どをダイエットとトレーニングに費やしてきた。


 食事制限、糖質制限によるダイエットと、自重トレーニングから始めた筋トレはのいつの間にか本格的なウェイトトレーニングになり、それに比例するようにどんどんと重量が増えていくリストウェイト……誕生日に父さんにねだって特注で作ってもらった1kgから50kgの可変可能なヤツ……に自己肯定感と筋肉を高めていった。


 そうして5年前の「こぶた」だった自分は居なくなり、代わりに出来上がったのは、バッキバキのシックスパックと速筋、遅筋バランス良く仕上がったフィジーク選手さながらの肉体美を持つ10歳児であった。


 だが、その代償に僕は同年代との交流を捨て、親心すら切り捨てる悲しきモンスターとなっていた。


 ……いや、自分で言うのも何だけど成長過程無視して無茶苦茶やりすぎだろ。


 他の転生者兄貴なんてトレーニングしながら、地味に交流重ねて子供なのにハーレム形成していたりするというのに、我ながら色々と不器用すぎるんだよなぁ……。


 今思えばもっと上手いこと出来た気もするが、5年というブランクを埋めるのに必死になりすぎて、本当に余裕がなく、冗談でもなんでもなく、その姿は強さをひたすらに追い求める修羅そのものであり、悲しきモンスターなんて冗談めかして言っていたが、何を隠そうこの呼び名は子どもたちが僕に付けたあだ名である。


 しかも、僕が近寄っていくと悲鳴を上げなら「モンスターが来たぞ~!」と逃げていく始末。


 それらのことがあって、最近ようやく正気に戻ることが出来たのだが、周りからの評価は家族とメイド以外底辺と言っていいレベルで、恐らく周りの評価は一律で「ヤベー奴」であることは間違いないだろう。


 だが、僕が今までこの環境の中でも耐え偲ぶことが出来たのは、やはり3人の思いやりと気遣いがあったからだ。


 だったらその思いに報いるのも、子としての努めなのだろう。


 数瞬の逡巡のあと、意を決したように心に燻っていた迷いとともに、残っていたゆで卵を口に放り込み、真っ直ぐみんなの顔を見つめながら口を開く。



「―――決めたよ」


「え?」



 そう漏らしたのは一体誰だったのかはわからない。


 だが、その驚愕の感情がこれでもかと詰め込まれている、そんなたった一文字の小さなつぶやきはこの場にいる僕以外の全員が思った言葉の集約だった。



「もうこんな生活はやめる。今日で……いや、今、この場で終わりにするよ」



 そんな反応に少し意味を浮かべながら、僕は全員が待ち望んでいるであろうその言葉を、いよいよ口にした。



「ル、ルドス……!?」


「る、ルーちゃん……!」


「ルドス様っ……!」



 困惑、安堵、歓喜。


 三者三様に、しかし一様にみんな大げさなぐらい喜んでいる。


 ……まぁ、そりゃあそうか。


 同年代からモンスターとか言われちゃうようなイカれたトレーニングホリックが急にまともなこと言い出したら何事かと思うってなもんで。


 この大げさすぎるぐらいのリアクションもある意味で正常と言えるかもしれない。



「みんなには今までずっと心配掛けてきた分、思いっきり甘えさせてね?」


「はははっ!そんなの言われなくても嫌というほど甘やかしてやるとも!あぁ、ラウラ!ルドスの朝食を作り直してやってくれるか!あぁ、いやまずは―――!」


「はいっ。今すぐに用意いたします」


「本当に良かったわぁ!今日はパーティーにしましょう!ルーちゃんの好きなもの、たーんと作ってあげなきゃ!」



 ……うん、正直みんなはっちゃけ過ぎててちょっと引いてる。


 どんだけ僕は心配されてたんだという話ではあるが、まぁこれまでのことを考えればこういうのも悪くはないだろう。


 それに―――



(好感度上げるのには餌付け甘いもんが一番手っ取り早いんだよなぁ……)



 ―――本当の攻略は、ここからなのだから。

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