第4話 これはきっと恋だった

 十二月になった途端、ようやく冬めいてきたと思う。

 暗くなるのが早い。夕焼け空が僅かに残るこの時間帯が好きだった。遠くの町の観覧車が期間限定でライトアップされているのが見える。


 朽ちかけたベンチと錆びた灰皿、家に帰る前にここでほんの数分だけ一服していく。これが私の癒しだった。


「やっぱりここにいた」


 聞き覚えのある声がして、私は慌ててイヤホンを外した。


「千秋さん……!」


 久しぶりに会った千秋さんは少し痩せて、髪も短くなっていた。アイスブルーのコートは健在で、相変わらず肌は透き通るように白い。


「もう私のことなんて忘れちゃったかと思った」


 最後に会ったのはちょうど一年前のあの冬の日だった。私はすぐに言葉が出て来ないで、ただ狼狽えるばかりだった。


 千秋さんは隣に座ると、私の手から吸いかけの煙草を取った。一口だけ吸い込むと、綺麗な眉を不満そうに顰めた。


「やっぱり私はこっち」


 悪戯っぽく笑うと、私にその煙草を咥えさせ、新しく自分の煙草に火を付けた。懐かしい真っ赤なハート型のライターだ。


「十二月になると夜景が綺麗だって美奈ちゃんが言ってたから」


「……そう言ったの、一年も前ですよ」


 私は泣き出しそうになるのを必死に堪えた。

 あんなことがあってから、千秋さんと会うこともなかった。彼女の家は公園とは正反対にあることを知っているし、偶然町でばったり会うなんてこともなかった。


「ごめん、そんな顔しないでよ」


 千秋さんは困ったように笑うと、冷えた手で私の頬を少し乱暴に撫でた。まるで犬猫でも可愛がるように。煙草の匂いと、香水の良い香りがする。紅茶の香りだ。


「年明けにはこの町を出るつもり。だから最後に見ておきたくて、本当に綺麗だね」


「最後……?」


「私、結婚するの」


 千秋さんは弾んだ声で左手の薬指を私に見せた。芸能人が結婚会見でするみたいに。華奢なほっそりとした指に、大粒のダイヤが輝いている。


「……綺麗ですね」


「美奈ちゃんに話したくて」


 職場で出会った年上の人、会ってすぐにアプローチされたこと。私は馬鹿みたいに頷くことしかできなかった。


「そうだ、私のこと忘れないでね」


 これあげる、と渡されたのは小さな手提げの紙袋だった。促されるままクリスマス用の包みを破ると、それは千秋さんとお揃いの真っ赤なハート型のライターだった。


「……ありがとうございます。私も渡せるものがあったらいいのに」


「いいの。美奈ちゃんは私の大切な友達、元気でね」


 そう言って千秋さんは私にもたれ掛かるように体をぴったりとくっつけた。思っていたよりずっと華奢な体を抱き締める。


「……千秋さんこそ、お元気で」


 紅茶みたいな甘い香りと煙草の香り、忘れられるはずがない。


「結婚、おめでとうございます」


 言い忘れていた。いや、本当は言いたくなかったのかもしれない。

 でも、そう言ってあげるのが"普通"だと知っているから。


 千秋さんは少し驚いたような顔をして、すぐに穏やかに微笑んだ。


 その顔は本当に幸せそうだった。


 最後の煙草の火を消して、私たちは別れた。小さくなる背中を見送って、私はようやく自分が泣いていることに気付いた。


 

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