不自由のなかで––––

例えばいじめを受けている子供が

“いじめなんてないから問題ない”

と本気で思ってて言ったとして

でも、だからってそのままでいいのだろうか


あるいは同性愛者の大多数が

“同性婚なんて必要ない”と言ったとして

でも制度上の差別があることは変わらない

でもそれが総意であるのなら


もし、日本で起こった感染症対策のため

外国で日本人お断りの看板が立てられ

それを日本人が“問題なし”と捉えたとして

それは“いいと言っているからいい”、のだろうか


社会に適応している、ということは

社会に都合のいいように洗脳されている、ということで

洗脳されていない人間など存在しない

問題は、その不自由の中、その中で

何を大切にするか


なるほど車の免許があれば結局便利だ

でもその分死亡リスクが高まる

いずれ自動運転が一般化するだろう

でもそこでも何らかの問題は絶対に発生する


差別なき世界がやがて訪れたとして

それで、そこは無条件で幸福な社会だと

穏やかに生きられる社会だというのだろうか

“差別がないことによる問題”が、ある気がしてならない


“今の社会には問題があるから変える”は

行動原理として妥当なのだろうか

“みんなが平等で幸福に生きられる社会”も

俺にはどこか、いつか限界が来るような気がしてならない


社会に適応している、ということは

社会に都合のいいように洗脳されている、ということで

洗脳されていない人間など存在しない

問題は、その不自由の中、その中で

何を大切にするか


––––君の夢は何だ?

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