第76話 無益なキャリー・ケース

 旧ウィスコンシン州・アップルトンに「天秤リーブラ」が所有する貨物集積所とヘリポートがある。

 

 GEOGRAAFとイリディセントの間を「天秤」が仲介して交渉を進めた結果、ニコルの引き渡し場所として指定されたのが、この場所だった。俺たちは指定の刻限に先立つこと二時間の余裕を持って現地に入り、CC-37輸送機からモーターグリフ二機を下ろして待機していた。

 

 イリディセントからは会長派の重鎮となった、現ホグマイト研究所長、あの時は研究主任だったブージャム・ベイカーが同席している。  

 GEOGRAAFからの輸送機はどうやら刻限きっかりに来るらしいが、見届け人としてミシガンのGEOGRAAF系環境制御都市から、現地統括責任者を自称する男が先着していた。

 

「私のことはミシガン・Gとお呼び下さい」


 目元を隠す黒いサングラスをつけた男は、そう名のった。

 

「ふむ。匿名というわけですか……?」


 俺は営業マンモード――ただし滅多になかった強気に出られるときのそれで、彼に対した。名前を出さずに出てくるなら、別に重役や責任者である必要もない。舐められているのではないか、そう感じざるを得なかった。

 

「ご心配なく。当社の『G』ネーム幹部社員には全て、社を体現する全権代理としての意思決定と行動の権利が与えられております。個人的なIDなどというものは、私心と私欲の温床でしかありません」


「それは……私にはいささか、馴染めない考え方です」


 俺が顔をしかめると、ミシガン・Gはその分気分よさげに口角を吊り上げて笑った。何やらシーソーの片側に載せられた気分だ。

 

「『G』として選出され得るのは全社員のうちでも最高の訓練と教育を受け、実績を上げた五パーセント相当のものだけ。実際に就任出来るのはさらに少ない……相応の信をおいて頂いて、問題ないと存じますよ」


「そうですか。では……輸送機の到着までこのまま待たせていただきます」


 なんてこった。GEOGRAAFという会社の持つ体質というか雰囲気の正体が分かった――筋金入りのディストピア志向らしい。とはいっても、彼らにそれを指摘したところで痛痒も感じるまい。 

 ディストピアは、その中に適応している人間にとってはごく自然で理想的なシステムであるのだから。

 

 そんなGだったが、何やら俺の方を一度振り返って、ひどく不思議そうな顔をした。

 

「ミスター・サルワタリ……その、左手に提げたそれは?」


 ポーキィ・ボーンから降りるときにコクピットからそのままぶら下げてきたものを、彼は指さしてそう尋ねた。

 これは……そんなに不思議だろうか?

 

「……猫のキャリーケースです。ニコルがそちらで仔猫を貰ったと伺っておりますので」


 イリディセント社お得意の植物由来プラスチックで成形した、アレルギーや化学物質中毒の危険を排した猫にも人にも環境にも優しい哺乳類輸送ケースママル・ケージにキャリングハンドルを取り付けた製品だ。ニッケルソン会長が手ずから選んだ心づくしだった。

 

「ああ、猫! なるほどね!」


 楽しそうにククっと笑うその姿は、さいぜんの話の印象とは裏腹に、ひどく人間的に見えた。


「取り越し苦労ですなあ……お預かりしていたお嬢さんにプレゼントした仔猫ですよ? 直に抱っこさせたり、首にリードをつけて引っ張ってくるとでも……はっはっは、そんなはずがないでしょう」


 言われてみれば確かに。もしそんな形で猫を連れてきたら、道中の厄介ごとや心配が倍増しになるに違いない。

 

「ははは、これは一本取られましたね。いやあお恥ずかしい」


「いやいや。人間、昔からペットの事となると度を失う人も少なくなかったと聞きますし……まだ人類に、愛玩動物のことを気遣う余裕がある、というのは喜ばしいことですな」


 手玉に取られたようで微妙に口惜しい。だが、先ほど感じていた反感や警戒心は、俺の中からおおよそ拭われてしまっていた。

 

「結構話が合ってるみたいだな。良かったじゃねえかおっさん」


 レダが俺の隣に寄って来て、俺の胸に寄り掛かるように背中を預けた。

 

「ま、そろそろ時間だ……コクピットに戻っとくか?」


 少し迷う。俺たちのモーターグリフは現場警備と儀仗を兼ねたような役割を担っているわけだが――その一方で、輸送機から降りてきたニコルを迎え、抱きしめてやるのもやはり俺の仕事で、そして権利であろうとも思うのだ。事情が許せばレダも加わって欲しいところではあるが。

 

「レダはそれで頼む……俺はここで、ニコルを待つよ」


「わかった」


 レダが駐機したネオンドールに向けて歩いて行く。その足音にかぶさるように、輸送機の立てる金属的なジェットの響きがヘリポートに近づいてきた。

 

 

 

「ん? おかしいな……ここに来るのは、『サンルーム』所属のギャリコ18号のはずだが」


 ミシガン・Gがいぶかしげに空を見上げた。

 

 俺もジェット音の源へ目を凝らす。ギャリコというのは昔の自家用セスナや、離島向け航路で使われたドルニエなどに近いポジションの小型機だ。もともとはウォーリック社で開発した、VSTOL能力を持ち離着陸の場所を選ばない汎用輸送機なのだが――

 

 近付いてくるシルエットは、あまりにも見慣れた別の機体――CC-37輸送機だ。

 

「なんだ……ニコルを運ぶのにあんなものを?」

 

 

 ――まずい! おっさん、ポーキィへ急げ! ベイカーのおっさんは集積所の地下へ、ミシガン・Gも! 早く!

 

 レダが拡声器で俺たちに呼びかける声が、酷く遠く聴こえた。

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