episode12:少女は仔猫と帰りたい

第72話 困難な航路へと

 ボルチモアまでは直線距離でおおよそ二千キロ。最高五十ノットをマークする「ウェイランド」でもほぼ一日を要する。

 

 全長九十メートル弱で同艦種としては大柄な「ウェイランド」は、居住性にもそれなりの配慮の余地がある――はずなのだが。揺れだけはいかんともしがたい。足元のしっかりした陸地でしか活動経験のない俺とショウは、その船旅の間ほぼずっと、船酔いに苦しめられた。

 

 

「ふ……船ってやつはどうも、嫌な乗り物だ。俺には合わん」


 青い顔をしたショウが、船窓から遠くの陸岸を必死で睨みつけている。「遠くの動かないものを見ていろ」というエニッドの助言を守ってのことだが、流石に立った姿勢で長時間、窓にしがみつきっぱなしともいかない。多分そろそろ限界だろう。

 

「俺さあ。未来の船ってのはこう、三胴船トライマランとかが主流で、あんまり揺れないんだろうって思ってたんだ……」


 俺はとっくに音を上げて、吐瀉袋バーフ・バッグ片手にハンモックの中。最初は不安だったが、これが思いのほか快適であることに気付く。船がどちらへ傾こうと俺の体は鉛直下方へ沈んで安定するので、固定された寝台よりは影響を受けずに済むのだった。その代わり、目を閉じていないと視覚から酔ってしまうのだが。

 

「あんたらって、意外とヤワね……っていうか、雑魚?」


 二時間ぶりぐらいに俺たちのキャビンに顔を出すやいなや、エニッドが顔をしかめて(俺には見えないので表情は推測だ)おっさん二人をまとめてやっつけた。

 

「『雑魚』は魚です……船酔いとかしないと思います……」


 抗弁するセリフが我ながら情けないというか変てこだ。ハンモックに身を預けるまでの疲労がまだ抜けきっていないせいで、陸送ドライバーの粗っぽさが出せないのだ。素の俺は実のところ、気弱な営業マンなのだった。

 

「こんな程度の揺れで行動不能になってたら、突発事態になっても生き残れないわよ」


 どちらが捕虜でどちらが護送する側だか、分かったものではない。エニッドはもともと、水中用リグを使って沈没事故現場から重要物資や機材を回収するといった任務を多くこなしているという話だったが、確かにサルベージ作業用の母船はこのウェイランド以下の小船が多い事だろうが――

 

「内耳前庭まで改造してる人に船酔いをくさされても、ちょっと意味わかりませんね。同じ尺度で測らないでください」


 彼女はレダが少し前に話していたような、身体改造にあまりためらいのないタイプなのだった。確かに水中任務には有用かもしれないが、脳のギリギリまでメスを入れて平然としている神経は、俺には理解できなかった。

 

 

 目下、ウェイランドの甲板後部格納庫には、通常運行時の多目的ヘリの代わりに俺たちのドウジ二機が収納されている。ボルチモアで船を降りた後は、マッケイかもしくは他の、カレドニア航空運送のパイロットがCC-37で迎えに来る手はずだった。

 

 結局、帰路には心配された襲撃などはなく、ウェイランドはふらふらのおっさん二人と、豪華クルーズ船に乗ったかの如く寛いだエニッドを乗せて、ボルチモアへ入港していったのだ。

 

 

        * * *

        

        

「両名とも、ご苦労だった……ああ、ええと、そちらのエニッド嬢には……何と言うかご協力を感謝したい」


 俺たち三人はディヴァイン・グレイスの一角に出向いていた。船酔いに痛めつけられてよれよれの俺たちを、イリディセントのニッケルソン会長はきちんとねぎらってくれた――本来面会する予定のなかった女傭兵には、少々面喰らっている様子だったが。

 

「敵対企業の雇われ者にまで、そのように丁重なお言葉を頂きまして恐縮です」


 エニッドがそつなく挨拶を返す。開発段階の試作リグを貸与されるほどの信用も、こういうきちんとしたコミュニケーションの積み重ねあってのものなのだろう。レダや市長とはまた違ったタイプだ。

 


「サンピエールの施設を失ったのは、彼らにとっても相応の痛手だったことだろう。我が社の諜報部と渉外部からは興味深い報告が上がっている。それに加えて君たちが、彼らの保養施設について情報を入手している、という事実があれば……ことは交渉で解決できる段階に移行するかもしれん」


 思慮深げに言葉を紡いだニッケルソンに、ショウがいささか率直過ぎる質問をした――

 

「なんだ。『サンルーム』に突っ込んで、ニコルとかいう嬢ちゃんを攫って来い、って訳じゃないのか」


「ゴホン……我々とGEOGRAAFは確かに敵対関係にあるがね、ショウ君。ともに、この困難な時代を生きる人類を支える重要な役割を担う、社会の歯車であることも事実なのだ――双方の社員にさえ、時々それを忘れるバカ者がいるようだが」


 ニッケルソンは、どこか諦観したような笑みを口元に浮かべた。

 

「困難な道を歯を食いしばって進み続けることになるが、手打ちできるならした方がいい。巨大企業が二つながら共倒れになるようなことがあっては、人類全体への責任問題になる。向こうの上層部もそのくらいは分かっているというわけだ」


 俺はうなずいた。企業同士の政治的駆け引きは正直俺などの力が及ぶところではないが、それを動かす人間にはやはり理性的であってもらいたい――ニッケルソン会長を知己に得たのは、ありがたいことだと思った。

 


「サルワタリ君のモーターグリフは、整備の便を考えてグレイスの格納庫に搬入しておいた。好きなように組み上げたまえ。ニコル嬢の返還にこぎつけたら、迎えにはモーターグリフ二機を護衛に認めさせるつもりだ」


 会長のセリフは、事態が思った以上に早く進行しつつあることを暗示していた。

 

「……ああ。貰った仔猫を置いてくるのも無情な話だな。猫用のキャリーケースも用意しておくとしよう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る