第53話 少女と血液

 燃料に引火して、背部ジェットがユニット丸ごと爆発――ゴルトバッハの可変モーターグリフ「クラウドバスター」は翼を失い、地に膝をついた。


〈こんザザ……こんなザでッ……!? まさか、その塗装も計算ずくのザザッ゙込みだったというのザザー……」


 レーダーを欺瞞、あるいは攪乱する類の電子装備は、グライフの間では定石に近い。

 だからこそクラウドバスターにも複数の補助的なセンサーを搭載し、索敵には気を使っているつもりだった。だが、ゴルトバッハは何よりもまず光学機器とおのれの眼を重視した――そこを逆手に取られたのだ。



 ノイズ混じりに問う声が通信機から聞こえる。レダは眉をしかめて首を振った。


「……まさか。色はあたしの趣味だぜ。だが、自分を目の敵にするやつがいるって分かれば、このくらいの仕掛けは考えるさ」


 レダの機体は前腕部の装甲内に、装弾数三発のハンドグレネード・ランチャーを隠蔽装備している。

 その煙幕タイプの弾頭に、ネオンドールの塗装と同じマゼンタピンクのペイントを封入しておいたのだ――実際に使うことがあるかは甚だ怪しかったが。


「お前を消しちまってもいいが、今はそんな暇も弾薬も惜しいよ……またな、ゴルトバッハ。今日はといいぜ」


〈貴様ァ……!〉


 軋るような声はいっそ悲痛だった。レダは油断なくクラウドバスターの動静をうかがいながら戦域を離脱していき、岩山の稜線を越えてから一気に加速した。

 

 ゴルトバッハは機体の手に持たせたレーザー・ライフルを、駆け去るネオンドールに向けた。だが、トリガーを引いても反応はない。画面に表示されたアラートは、先ほどの爆発で右腕内部の伝達系が故障したことを示していた。



        * * *



 市長のいる行政ブロックにはクグツを持ちこめない。俺は先ず、ニコルの安否を確認することにした。R.A.T.sの宿舎は居住区から少し離れた場所で、徒歩二分ほどの距離で詰め所と隣接している。

 俺とニコルが暮らしている部屋があるビルに近づくと、物陰から姿を現す白い服の人影があった。


 ――おじさん!


 呼びかける声に一瞬安堵し、左手を挙げて合図を送る――


「おう、ニコ……」


 言いかけて、そこで俺は固まった。声をかけてきた少女はニコルではなかった。服装は似たような、学校の制服めいたスモックとスカートだが、髪の色も顔立ちも全然違う。彼女は青ざめた顔をしていたが、息を弾ませて俺を見上げ、なおも呼び掛けてきた。


「ニコルのとこの、でしょ? そうよね……?」


「……そうだが。もしかして、ニコルの友達か?」


「うん」


 少女はうなずくと、「あたし、メリッサ」と名のった。


「大変なの。学校に武装した男たちが入ってきて……ニコルを、どこかへ連れて行ったの」


「なんだと」


 遅かったか。目の前が暗くなる思いを、俺は何とか耐えた。


「そいつらはどこへ行った……?」


「分かんない。分かんないけど……多分、ゲートの方へ行ったんじゃないかな……」


 そこまで言うと、少女はくたりとその場に崩れ、座り込んだ。その拍子に、彼女のスモックの背中側が血で染まっていることが分かった。


「おい!」


 慌ててクグツを飛び降りる。抱き起こすと手がべったりと血で濡れた。ニコルが攫われたときに巻き添えで撃たれたか、落下物でどこか切ったか?


「しっかりしろ! 自警団の医務室にいま連れてってやる!」


 ニコルのことは気になる。気になるが、この子メリッサを放置もできない。俺は少女を抱えて詰め所の方へ走った。

 センチネルは出払っていて、駐機場には一機も残っていなかった。指揮車も見当たらない。


 医務室を開けて駆け込むと、ガタンと何かを倒す音と、「ヒッ」と息を殺した悲鳴が上がった。カシャ、という音もかすかに――


「待て、撃つな! 俺だ、サルワタリだ!」


「あ……」


 机の下からごそごそと這い出して来る人影。R.A.T.sの医療面を担当する女医、ブロッサム・ケイだった。


「トン……サルワタリ? 戻ってくれてたのね……う、地上うえはどうなってる? みんな出動したっきり帰ってこないのよ」


 ひどく狼狽え、おびえている。さっきの兵士たちが侵入してきたのを見て、慌てて隠れたのかもしれない。


「先生、その話は後だ。この子を診てやってくれ。学校からここまで逃げてきたみたいなんだが、急にへたり込んだ。出血性ショックかもしれん」


 メリッサの衣服にしみこんだ血を見て、彼女の顔色が変わった。


「……わかった、急いで診るわ。彼女をそこのベッドに横向きに寝かせて」


 俺が言われたとおりにすると、ブロッサムはメリッサの首元を探った。幅広のストラップで首から下げられた、ちょうど21世紀でよくあったカード型の社員証のようなものを引っ張り出して確認する。


「右耳後ろの頭皮に深い挫創があるわ。まだショックを起こすほどではないけど、放置はできないわね……冷蔵庫からB型、rh+の保存血液をお願い」


 カードキーを手渡され、俺は小走りに奥の冷蔵庫へ向かって、底冷えのする暗赤色のプラスチックパックを取り出した。


「持って来たぜ」


 無言でうなずくと、女医は傷口の縫合と輸血の準備を始めた。


「まだ間に合うわ、絶対に助ける」


「ありがたい……先生、あとは任せていいか? ニコルが攫われたみたいなんだ」


「ニコルが? 分かった、すぐ行ってあげて、ここは私一人でも何とかなる……あ、待って」


 走り出そうとして、俺は女医に呼び止められた。


「ニコルといえば、彼女が来たときにいくつか検査をしたんだけど……少し気になることがあったのを思い出したわ。病気というほどではないけど、普通の人より血小板と白血球が多くてね」


「何だ、そりゃ……」


「何と言ったらいいのかしらね――たぶんあの子、感染症や負傷に対して常人よりかなり強いはずなの……」


 奇妙に胸が騒いだ。ニコルはどこかの企業の怪しげな施設で育った、と考えられる身の上なのだ。もしかすると何か――


「余計な話だったかしら、引き止めてごめんなさい」


「いや。大事な情報かもしれん。教えてくれて感謝するよ!」


 俺は医務室を出て、再びクグツのところへ向かって走った。東京にいたころよりもだいぶ体がマシに動き、レダの施してくれた基礎訓練を思い出して感謝の念が湧き上がった。  

 そういえば、あいつはもうこっちに駆け付けてくれたのだろうか? 


 天井シールドの上は、未だ静まり返っているように思われた―― 

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