第3話 決意
途方もなく歩き始め、オレンジ色だった空はいつの間にか真っ黒になっており、周りが暗くて見えない時間帯になった。
息遣いからひかちちゃんは疲れているのがわかる。
だが、ひかりちゃんの方から俺の手を振りほどくことはしてこない。
今なら何を言ってもすべて首を縦に振ってくれるような気がする。
(本気で好きだった人が取られて、抜け殻みたいになっちゃってる)
最初は歩いている途中でひかりちゃんが正気に戻ると思っていたが、もうその線は考えられない。
俺の家はここから遠いので、家に招き入れるにせよ1時間以上かかる。というか、まともじゃない人を勝手に家に連れ込むことなんてできない。
「ったく。長い悪夢を見てるみたい」
悪夢だったらどれだけよかったものか。
そう思って、歩き始めてから何十回頬をつねったことやら。
おかげで頬が赤く腫れ上がってしまった。
(……ここらへんで一回休むか)
たまたま通りかかった公園。
その街灯が照らされたベンチにひかりちゃんのことを座らせ、俺は隣りに座った。
「はぁ」
ため息を吐くと体にどっと重みが増した。
クソ女に出会うのが初めてで、無意識にカフェを出たあとも気張っていたのかもしれない。
(天のやつ、大丈夫なのかな)
天も少し前の俺のように恋に夢中になってるせいで、目の前が見えなくなってるなってるはずだ。
俺が助ける道なんてあるのか?
「うぅ」
隣から弱った子猫のような甘えた声が聞こえてきた。
(今は天のことより、ひかりちゃんのことをどうにかしないと)
天がクソ女こと芽愛ちゃんに取られて、無気力になっているひかりちゃん。
ひかりちゃんはまるで人形のようにされるがままここまで来たが、内なる心には芽愛ちゃんへの憎しみしかないに違いない。
傷ついてるのは分かるが、心がなくなってる人のことを呼び起こすにはぴったりな材料だ。
「ひかりちゃん。本当にごめん。まさか芽愛ちゃんなあんなクソ女だってこと、知らなかった」
ひかりちゃんはゾンビのようにぐわっと顔を上げた。
「…………彼女いたんだ」
(そういえば寝取ったとこにするとき、面倒なことになりそうだったからいないって言ったんだっけ)
「ごめん。嘘ついてた」
「嘘は、よくないことだよ。天くんもこれまで私に嘘ついて……」
今にも泣きそうな震えた声のひかりちゃん。
「少なくとも、俺の前で彼女のことを自慢してた天はひかりちゃんに嘘をついてたなんて思わないな」
「……嘘」
「本当本当。天があんな感じになっちゃったのは、芽愛ちゃんのせいでしょ。カフェでのこともあるしそうとしか考えられない」
ひかりちゃんは再び地面に顔を向けてなにか考え始めた。
(芽愛ちゃん、天のことを操るのに慣れてたからこういう事するのこれが初めてじゃないかもしれないな……)
ひかりちゃんが寝取られたことにしたそのときを狙っていたんだろう。
(許せない)
いくら俺でも、俺のことを利用して友人を唆して、その友人の彼女を悲しませるのを黙って見過ごせられない。
「ひかりちゃん。このままやられっぱなしでいいの?」
ひかりちゃんの顔はゆっくり上がり、無言で俺に目を向けた。
が、俺は引き締まった顔を見て、何を考えているのか容易に想像できた。
(天から完全に見限られることを言われていたけど、それは芽愛ちゃんが唆したってわかってるみたいだ)
ずっと無気力だったが、考えはしてたってことか。
一度突き放されたというのにその言葉の意味を冷静に理解して、追いかけてくれる彼女がいるなんて本当に天が羨ましい。
「岸辺くん。今更すぎるけど、こんな面倒なことに巻き込んじゃってごめん」
「巻き込まれたなんて思ってないよ。というか、天のことをおかしくした芽愛ちゃんは元々俺の彼女だった人だし、悪いのは本性を暴けなかった俺だ……。ごめん」
「でも岸辺くん。今回のことってあのクソ女が全部悪くない?」
たしかにその通りだ。
「まだ何も考えてないけどさ。私たちであのクソ女のことけちょんけちょんにしない? 岸辺くんは気分が晴れて、私は天くんが取り返せるから利害が一致してるいい提案だと思うんだけど」
この提案は俺にとってまたとない、芽愛ちゃんのことを見返すチャンスだ。
「そのけちょんけちょんにするってやつ、乗るよ。……気分を晴らすためじゃなくて、これ以上俺たちみたいな被害者が出ないようにな」
「私のことを寝取ってって言う頼みを彼女がいるのに断らなかった岸辺くんなら、乗ってくれるって信じてた」
「そんな悪いふうに信用されたくなかったな……」
ひかりちゃんはその名前に負けない明るい笑顔を向けてきた。
事実なので苦笑いしかできない。
(今思えば、彼女がいるってのに友人の彼女を寝取ったことにしたのってどうにかしてたな)
芽愛ちゃんのことをクソ女だなんだと言ってきたが人のことが言えない。
(まあでも、芽愛ちゃんの方がやってることクソだな)
「ふぅ」
一段落ついたところで、俺は大きく息を吐いてベンチの背もたれに体を預けた。
(あれから随分経ったんだな)
改めて見上げる空には、所々に星の光が見える。
カフェでのことがついさっきのようだ。
あのとき感じた気持ちを忘れちゃいけない。
「あっそういえば岸辺くんの家ってここから遠いんじゃなかったっけ?」
「あー……うん」
20時過ぎで、我が家方面の電車はいくらでもある。
でも、さすがに元にもどせたからって「はいさよなら」って言って、ひかりちゃんのことを一人にさせるのは危険だ。
(せめてひかりちゃんのことを家まで送らないと)
「逆に聞くんだけど、ひかりちゃんの家ってここから遠いの?」
「いや。歩きで10分もしないところにあるよ」
「電車に乗って待ち合わせ場所に来てなかったっけ?」
「ふふっこの公園が待ち合わせ場所の駅から、二駅分先にある場所だってこと気付いてないの?」
「……まじか」
「まじのまじだよ」
ずっと歩いてたからかなり距離歩いたなとは思ってたけど、二駅分も歩いてたのか……。
(さて。ひかりちゃんのことを家まで送りたいけど、どう切り出したものか)
勢いで弱みにつけこむゴミ男みたいなこと口走りそうで怖い。
「?」
俺がどう言おうか悩んでいると、ひかりちゃんはその様子を首を傾げて不思議そうに見てきた。
ぶりっ子とは言わない、際どいラインの傾げ方。
多分、本人はぶりっ子にならないように……なんてこと気にしてないんだろう。
(こうなったら思ってることを言うしかないか)
「実は、ちょっとまだひかりゃんのことが心配だから家まで送っていい?」
「いいよ。せっかくだし家まで送るんじゃなくて……家、入らない?」
「……うん」
ひかりちゃんのうるうるした瞳を前に、俺は首を縦に振る以外の選択肢が浮かんでこなかった。
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