第2話 寝取られた

 カフェ。

 俺の隣りにいるのは彼女の芽愛ちゃんじゃなく、天の彼女のひかりちゃん。

 正面に座る天と芽愛ちゃんは、まるで出来立てのカップルのような肩と肩がぶつかりそうな距離感で座っている。


(なにがどうしてこんなことになったんだ?)


 分からない。

 唯一分かるのは、人生初彼女だった芽愛ちゃんと友人の天がラブラブしているということだけ。


「クソ女……」


 隣から家族が殺されたのかと勘違いするほどドス黒い声と共に、歯ぎしりが聞こえてくる。

 

 どんな顔をして芽愛ちゃんのことを見てるのかなんて、見たくもない。


 そんな中。

 一触即発の空気を動かしたのは、他でもないこの場にいるはずのない芽愛ちゃんだった。


「ほらほらぁ〜。私が言った通り豪快に扉を開けて、北ちゃんのことを無理やりカフェに連れてきたでしょ?」


 芽愛ちゃんのバカにするような、浮ついた声。


「そ、そうだな……。すべて言った通りになったってことは、やっぱり一翔が全部悪いってことだよな?」


「ふふふっ昨日同じベットの上でそう言ったの忘れちゃったの?」


「このッ!! 天くん!! どういうことなの!!」


 胸ぐらを掴もうとしたひかりちゃんはどうにか自分のことを抑え込み、その絶叫を変えないまま、天に問いかけた。


「どういうこともないさ。これは全部、一翔。お前が悪いんだからな」

 

「……は?」


「とぼけんじゃねぇよ。本能のまま芽愛に暴力を振るって、飽きたからってひかりに手を出して……」


「何言ってんだ。暴力なんてした覚えないぞ」


(芽愛ちゃんが天に嘘を言ったのか……?)


「天〜。怖いぃ〜」


「安心しろ。芽愛のことは俺が幸せにするからな」


 芽愛ちゃんは天に頭を撫でられて、甘えている猫のようにすり寄った。


(この人は誰なんだ)


 俺が知ってる芽愛ちゃんはこんな感じで甘えたりしてこなかった。

 少し喋り方も、女の子っぽくなっている。


 天に彼女が取られた。

 そう分かっても、俺はさっきのひかりちゃんみたいに感情的になれなかった。


 芽愛ちゃんがあまりにも知らない人になっていて、逆に恐怖を感じているのだ。


「幸せにするってどういうことなの。天くん、私と別れるつもりなの?」


「へっ当たり前だろ。お前はもともと俺のことより、金が重要だったんだろ?」


「なっ!? ち、違う!! 私は天くんのことを本気で」


「…………」


「天、騙されちゃだめ。北ちゃんはこれまでいろんな男からありもしない理由をこじつけて、お金を巻き上げてきたんだから」


 天の揺らいでいた瞳は引き締まり、ひかりちゃんのことをキッと睨みつけた。


「ひかり。お前みたいなクソ女は二度と俺と芽愛の前に現れるな」


 ひかりちゃんはその言葉に反応しなかった。


 魂が抜けたような無気力な顔だ。


 寝取りを頼んできたのはたかが外れているが、ひかりちゃんは純粋に天のことが好きなのは間違いない。

 だから、男からお金を巻き上げてきたなんてでたらめに決まってる。


(これは芽愛ちゃんが仕組んだことなんだろうな)


 この空間を完全に支配しているのは、強気に言葉を発している天ではなく、その後ろで天のことをコントロールしている芽愛ちゃん。


 もう、彼女とかどうでもいい。


 なんでこんなことをしたのか知りたい。

 

「俺から芽愛ちゃんに一つ聞きたいことがあるんだけど、いいか?」


「あぁ? てめぇ……ふざけんじゃねぇぞ!! 芽愛はお前に苦しんでたんだ!!」


「……天。私、頑張る。だから喋るのは嫌だけど、任せてくれないかな?」 


 白々しいやつだ。


「あ、ああ。わかった」


「それで、岸辺さん。まず私のことを芽愛ちゃんと呼ぶのはやめてもらえませんか? やめてもらえたら、お話を聞きます」


「……伊藤さん。あんたは何がしたいんだ」


 芽愛ちゃんは一瞬考える素振りを見せたが、天の心配そうな顔を見て態度が急変した。


「ぐすっぐすっ。な、何がしたいって、どういうことなの……。私はただ、きっ岸辺さんと別れたくて、天と一緒に来たのにぃ……」


 芽愛ちゃんは悲しみに打ちひしがれた悲劇のヒロインのように手で顔を隠し、天に寄りかかった。

 それに答えるように、天は無言で優しく方に手を回す。


 完全に嘘泣きだ。

 その理由は手のひらから一向に溢れる気配がない涙と、わざとらしい泣き声。


(こんなクソ女が俺の人生初彼女なのか……)


 彼女の本性に気付かないまま、可愛いと思って周りに自慢して回っていた過去の俺が恥ずかしい。


「天〜。天〜」


「大丈夫……。芽愛のことは何があっても、俺が助けるから!」


 俺と天とひかりちゃんは芽愛ちゃんの被害者だ。

 俺が虜にされていたように、天も虜にされている。


(恋は人を盲目にするって言うけど、実体験になるなんて思ってなかったわ……)

 

 最悪の体験。でも、この場で一番最悪なのはひかりちゃんだ。


 自分の彼氏が寝取られて、本気で好きな彼氏からクソ女呼ばわりさせるなんて悪夢の中の悪夢。


「天……。もうここにいるのはやだから、外出よ?」


「ああ。そうしよう。気分転換に映画でも見に行くか?」


「えっ!? 行きたい行きたい!」


「なにか見たいのある?」


「えーとね……」


 天と芽愛ちゃんは俺たちに目もくれず、自分たちの支払いをせずにカフェを出ていった。

 

 外に行ったというのにひかりちゃんは変わる様子がなく、虚無の目をテーブルに向けている。


(どうしよう……)


 ひかりちゃんは気付いてないが、店内にいる他のお客さんの視線が痛い。

 

 天と芽愛ちゃんがいなくなったタイミングでその視線に気付いたが、おそらく言い合いを始める前からこの感じだったんだろう。


(ちゃんと周りの注目を浴びるように会話を進めて……。俺たちがカフェを指定したっていうのに、最初から最後まで全部良いようにされたってわけか)


 自分たちの状況を理解し、まず最初にするべきこと。


 それは撤退である。


「すみません。お会計いいですか?」


 自分の財布からクソ女が飲んだカフェ代を出すのは、人生の中で一番手が重かった。


(クソっ。これからどうすればいいんだ)


 うまく絵の具が混ざった鮮やかな夕焼け。

 右手には脱力したひかりちゃんの手。

 カフェから撤退できたものの……。

 何も解決していない。


「ふざけんな」


 俺は暴言を吐きながらも、ひかりちゃんのことを連れて人気のない路地を歩き始めた。


 目的地は決まってない。

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