第3話 蕎麦屋のそばかす娘は恋する乙女
普段から
「やばい、何もしたくない。でも美味いもんが食いたい。そんな時はこいつに限るぜ!」
デカい独り言をぶち撒けながら台所に移動し、戸棚からあるモノを取り出す。
「えーっと、番号は……」
そう、出前である。行きつけの蕎麦屋さんが常連限定で配っている出前用のチラシを片手に今日の夕食は何を食べようかよくよく吟味し、決まったところで番号を入力して電話する。数回コール音が鳴ったところで相手が出た。
「はい、蕎麦屋ぽんぽこです!」
おっと、出たのは最近バイトで入った柊木さんだ。店主のおっさんが孫みたいに可愛がってる女子高生である。やりたいことがあるから地方からここ東京に出てきて一人暮らしで頑張って高校に通っている健気な少女だ。
顔のそばかすが恥ずかしいらしくいつもマスクを付けていたが、そばかすなんてむしろチャームポイントだよと言ってあげた日からマスクは付けず、より弾けるような笑顔で接客を頑張っているとは店主のおっさん談。
「あ、柊木さん。俺、
「あっ、ふぇ、ゆ、
「うん、じゃあ天麩羅うどん並とカツ丼の特盛で」
「は、はははははぃ‼︎ しゅ、しゅぐお持ちします‼︎」
「あっ、住所は分かるかな。二、三回来てもらってるけど一応言った方がいい?」
「い、いえ大丈夫でしゅ!」
「うん、じゃあお願いね? 急がなくていいから安全運転で。怪我しちゃったら悲しいからね?」
「あ、ああ、あり、ありがとうございますぅぅぅ‼︎」
「よろしくー」
そう締めて通話を終了した。ふぅ…………なんで電話越しでも判るほどあんなに緊張してたんだ? 最近は店に顔を出す度に首まで真っ赤にして奥に引っ込んじゃうし、おっさんからは
二十分ほど経過した頃。バイクの排気音が聞こえたので玄関へ向かうとタイミングを同じくして小柄なシルエットが引き戸のガラス越しに見えた。
俺がつっかけを履いて引き戸を開けると頬を染めた可愛らしい少女がはにかんでいた。
「あ、あの、蕎麦屋ぽんぽこです!」
「あはは、ありがとう柊木さん」
柊木さんは目が合うとすぐに逸らしてしまった。目線の合わない柊木さんから料理を受け取り、代金を支払って、ついでに無理やりお駄賃をポケットに捩じ込んでいるとスマホから着信音。出てみると蕎麦屋のおっさんだった。
「よお、兄ちゃん。
「ええ、今受け取ったところです」
「そりゃ良かった! そこに周ちゃんいるかい?」
「いますよ。代わりますか?」
「んにゃ、代わらなくていい。兄ちゃんに一つ頼みがあんだ」
頼み……? 柊木さんが居る必要があって、電話を代わらなくても大丈夫な頼みって一体なんだろうか。
「カブの後ろに周ちゃんの分の飯もこっそり積んであんだ。そろそろ休憩に入ってもらおうと思ってたんで、兄ちゃん家で周ちゃんも一緒に飯を食わしてやってくれないかい?」
「ええ、まあ。それくらいなら大丈夫ですけど」
「——っそうかそうか! んじゃ頼むぜ! 俺ぁ可愛い可愛い従業員のこい——あいたぁ!」
電話越しにパァンと軽い音がしたかと思ったらおっさんの奥さん——梢枝さんの怒鳴り声が聞こえてきた。
「アンタは余計なことをべらべら喋るんじゃないよ! あとは若い二人に任せてさっさと働きな!」
「そりゃねえぜ母ちゃん……ま、まあ、そんなわけでよろしく頼むぜ、兄ちゃんよ!」
「は、はあ」
通話が終わり、玄関口で渡したお駄賃を握り締めて未だに視線を彷徨わせていた柊木さんに先ほどの電話の内容を伝えた。
「も、もうおじさんたら、よ、余計な気を回して……!」
柊木さんは何故かニヤニヤしながら怒るという高度な技術を見せつつ、表に停めていたカブからもう一食分を持ってきた。
「ああ、そうだ。柊木さん、表にバイクを停めておくと駐禁が怖いからうちの敷地に入れちゃって構わないよ」
「は、はい!」
柊木さんから受け取った料理を持って居間に行き、机の上に置いて玄関に戻ると、息を切らした柊木さんが入ってきた。
「お疲れ様。飲み物は水と麦茶があるけど、どっちがいい?」
「あ、えと、麦茶でお願いします」
「おっけー」
お疲れの柊木さんを先に居間に案内し、俺は台所からコップを二つ、冷蔵庫から麦茶のボトルを持って部屋に戻った。
「ごめんね、麦茶か水しかなくて。偶にジュースを買うんだけど、遊びに来る友人が毎度全部飲んじゃうから」
「い、いえ、お構いなく……!」
「良い子だねえ。
ここにいないあの図々しくも顔の良さだけで全てを帳消しにしてきた阿呆が脳内で真顔ダブルピースをしている画が浮かんだ。シッシッ、こっち見んな。
「それじゃ、食べようか」
「は、はいっ」
手を合わせて二人同時にいただきますと言い、椀の蓋を開ける。
閉じ込められていた、匂いだけで空腹の人間を殺せそうなほど美味そうな香りが空きっ腹にダイレクトに響く。向かいに座る柊木さんに目を遣ると、彼女もごくりと唾を飲み込んでいた。
こんな美味そうなものを目の前にした俺たちに会話など必要なかった。俺は柊木さんの存在すらもシャットアウトし、欠食児童のような豪快さでカツ丼を搔っ食らう。
カツ丼は出来立てで熱々だというのに、その熱に負けないほどの旨味が舌を殴りつけ、存在感を示す。つゆを吸ったカツは柔らかい衣と弾力あるロースが一体となり、下の、これまたつゆを吸い込んだ白米を食べる手が止まらない。
ダメだ、このままではカツ丼だけ先に食べ終えてしまう。そう思って名残惜しくもカツ丼の椀を机に置いて、今度は天麩羅うどんの椀を手に取る。
数ある好物の中でもうどんは特に好きなものの一つだが、蕎麦屋ぽんぽこのうどんだけは正直今まで食べてきた数々の店では到底太刀打ちできない、それほど別格の逸品だ。
意識を強く保たなければ気付いた時には汁まで飲んで完食してしまっている、なんてことが実際に起こり得る。俺は初来店でそれを経験した。
料理はまず目で楽しむとはよく言うが、ぽんぽこのうどんは本当に楽しませてくれる。例えばこの天麩羅うどん、とにかく海老天がデカい。それこそ二十センチはあるのではないかというデカさで、出前の際はこれが蓋を閉める為に椀の中で弧を描くように押し込まれている。
まるで狭い檻に押し込められた猛獣が早くここから出せと言わんばかりに窮屈そうにその身を汁に半分ほど沈めている。俺はその猛るケモノを箸で力強く掴み取り、口に入れ、お前の行き着く先はここだと噛み千切る。
衣ばかり着飾って中身の小さい海老天とは違い、こいつは本物だ。先の先までがっつりと身があり、どこを齧ってもぷりぷりの海老が出迎えてくれる。ケチ臭くないあのおっさんと梢枝さんの人柄そのものだ。
一口で三分の一ほど削れた海老天を置き、口内で暴れるそいつを咀嚼し胃袋に落としたら、次は麺だ。早く早くと責付く胃袋を抑え込み、湯気を放つ汁から麺を掴み上げて音や汁なんてものを気にすることもなく啜る。
コシの強いうどんが苦手だと言う人もいるが、俺はコシが強ければ強いほど惚れる
グミと錯覚するほどの凄まじいコシにはあのおっさんの執念にも似た何かを感じ取り、この麺を作るのに一体どれほどの労力を割いているのかを考えただけで畏怖の念を抱いてしまう。
麺を啜る手が止まらない。噛み千切る顎が休む気配を見せない。麺に絡んだ黄金色の汁は暴力的な美味さを誇るカツ丼とは違い、ただ淡々と相手を追い詰めるインテリのようだ。
旨味で殴りつけてくるカツ丼に対し、このうどんの汁は舌を撫でるように優しく、しかし呼吸と共に鼻から抜ける出汁の香りが急所ばかりを狙い撃ちしてくる。もはや退路は断たれ、俺は逃げ場を失った兵士の如く降伏する他なかった。
カツ丼、うどん、カツ丼と交互に味わい、最後はうどんの汁を飲み干すことで完食。我を失ったように貪ってしまった。
麦茶でも飲んで落ち着こう、そう思ってコップに目を向けた時、初めて向かいに柊木さんが居ることを思い出した。
やべえ、がっつり放置してたわ、と思いながら恐る恐る柊木さんに視線を遣ると、彼女もちょうど完食したところだったらしく、不意に目が合った。
「あ、す、すすすみません! お、美味しくてつい無言になってましたぁ!」
「いやいや、俺も同じだよ。食い終わって麦茶を飲もうとするまで柊木さんが居ることもすっかり忘れてて、食事中は行儀悪く掻っ込んでたから」
そう言って頭を上げさせ、柊木さんのコップから麦茶が全く減っていないのを見てお茶でも飲んで落ち着こうと告げる。
「あ、柊木さん。ほっぺにご飯粒が付いてるよ」
頰に付いたお弁当をティッシュで拭き取ってあげると彼女は顔を真っ赤にし、コップに入った麦茶を一気飲みしたかと思えば素早く立ち上がってそのままダッシュで玄関に行ってしまった。
「お、お邪魔しましたぁ!」
何気なく頬を拭いてしまったが、彼女も高校生だ。うちに入り浸る
……嫌われてなきゃいいけどなあ。
幸運の代償 綱渡きな粉 @tunawatasi_kinako
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