10-35 若き錬金術師の終焉

 ――町が見えてきた頃には、薄っすらと夜が明けかけていた。



 王都の事件はまだ知れ渡っていないようで、夜明けの町はいつもと変わらず静寂そのもの。

 家の近くで止まってもらうと、シンロウの背中から転がり落ちるように降りた。


 店への小道を全力で走る。

 何百回と歩き慣れた道のはずなのに、慌ぐあまり足がもつれて転びそうになる。


 やっとの思いで見えてきた店の窓からは暖かい灯りが漏れていた。



「――ティンク!!」


 勢いよく店のドアを開けると、静かな店内に『カランカラン』と聞き慣れたドアベルの音が響く。



 月明かりが差し込みほんのり明るい店の中を見渡すと――カフェのテーブルに座るティンクの姿が目に飛び込んできた。

 テーブルに灯された一つのランタンと、それに照らされてただ静かに座っているティンク。外に漏れていたのはあの灯か。


「――よかった。勝ったのね!」


 俺を見るなりティンクが嬉しそうに笑顔を向けてくれる。


「あぁ」


「まぁ、絶対勝つとは思ってたけどね。なんたって、この私の力をありったけ突っ込んだんだから」


 自慢げに腰に手を当てて笑う。


「さすが“賢者の石”の力だな」


「まぁね、錬金術の秘宝とまで言われるだけはあるでしょ」


 自慢げに髪をかき上げるその様子を見て少しホッとしたのか何なのか、思わず情けない笑みが溢れる。


 俺を元気付けようと気を遣ってくれていたのか、そんな俺の様子を見て今度はティンクが少し真面目な顔で話し出した。



「……ごめんね。肝心な時に一緒に行けなくて。まぁここまできたら、後は私に出来る事なんて無かったんだけどさ」


 そういうティンクの身体からは……淡い光が立ち昇り、その姿もおぼろげになりつつある。



 “ごめんね”



 本人はサラッと言ったつもりかもしれないけど……そういえば、あいつの口から聞いたのは今日が初めてかもしれない。

 それはそれでとんでもない奴だとは思うけど……。――だからって、こんな時に急にしおらしくなるなよ。


「いいよ。……大丈夫」


 口ではそう言いつつ、全然大丈夫じゃない顔をしてるのは自分でも分かる。


 勿論、『大丈夫じゃない』のは魔人と戦った事じゃなくて……



 そんな俺の心中を察したのか、ティンクが努めて明るい声を上げる。


「ねぇ、お願いがあるんだけど!」


「……何だ?」


「伝言。カトレアに伝えておいてくれる? 『当主の役目で忙しいのは分かるけど、早く私以外にも信頼できる友達を作りなさい。もう昔のカトレアじゃないんだから簡単なはずよ』って」


「……大きなお世話だと思うけど、分かったよ」


 お母さんみたいな物言いに、思わず笑いが溢れる。


「あと、エイダンとグレイラットにも。『歳なんだからあんまり無理しないように』って。あ、シューには『カフェのツケはもういいから、さっさと定職見つけなさい』って」


「……会ったら伝えとくよ」


「それと“家族”のみんなに。『見ず知らずの私にこんなにも良くしてくれてありがとうございました。黙って居なくなる事をお許しください』って」


「……あぁ。皆んな寂しがるな」


「……本当は手紙でも残そうかと思ったんだけど、何かいつまでも残るよりも、『ああ、そういえば昔そんな人も居たね』くらいになる方がいいかと思って」


「……お前がそう思うならそれでいいと思う」


「それから――」


 そこまで言って黙る。



「ごめんね――お店。これから頑張って一緒に大きくしようって所だったのに」



 座っていたテーブルをもう一度綺麗に拭くティンク。

 埃一つなく綺麗に片づけられた店内を今一度ぐるりと見渡す。


「……でも、あんたの実力なら絶対立派なお店に出来るから! カフェの器具も綺麗にしといたから、もっと働き者で可愛い店員さんも雇って、いずれ王都にお店を持ちなさい! 素敵でしょ?」


「――ああ。俺もそう思う」


 笑顔で答えたつもりが、何故か冷たいものが頬を伝う。


 いや、だって。

 お前より働き者で可愛い店員さんなんて……中々見つからないだろう。




 そんな俺の顔を見て、あいつなりに励まそうと思ったのかワザと明るく口調を変える。


「ねぇ! 私が居なくなったら寂しいでしょ!? 大丈夫?」


 そう言って意地悪く笑う。


 ……お前、そういう事言うなよ。

 俺の事知ってるだろ。

 そんな事言われたら、泣けねぇじゃん。


 慌てて腕の裾で両目を擦る。


「別にっ! これで心置きなくエッチな本が読めるわ」


 潤んでる目を見られたくなくて、ティンクに背を向けて立つ。


「なによそれ!」


 少し怒ったように、けれどどこか安心したようなティンクの声。



 暫くの沈黙の後――



「じゃ、私行くから」


「あぁ」


「色々と迷惑かけたわね」


「……別にそんなことねぇよ」


「……元気でね」


「そっちもな」


 涙がとめどなく溢れてきて振り返れない。



 それっきり、沈黙に包まれる店内――



 ……行ったのか?


 何だよ――最後まで愛嬌の無い奴だったな。


 ……まぁ、それはお互い様か。



 大きくため息をつき振り返ると――




 突然、燃えるような紅が目の前に広がった。


 ティンクの髪がふわりと舞い、そのまま肩越しに俺に抱きついてきたのだ。


 いつも側で感じていた落ち着くあの香りに包まれる。




「――ありがとう。あんたと一緒だったから楽しかった。私は……ちょっと寂しいよ」




 驚いた。

 あのティンクが泣いてる。


 突然の事に驚いてどうしていいか分からず固まってしまう。


 どどど、どうすりゃいんだ!?

 俺童貞だし分かるわけないだろ! こんなときこそラッキースケベが起きるべきなんじゃないのか!?



 俺の胸の中で、じっと俯いたまま時折肩を揺らして泣くティンク。


 意地っ張りなあいつなりに、精一杯気持ちを伝えてくれたんだろう。

 最後くらい、俺も素直になろう。



 ありがとうティンク――俺はお前が大好きだ。

 離れたくない。

 本当はずっと一緒に居たい。



 溢れ出す感情から、どれを選んで口に出すべきか。



 とても1つに絞れず、ただギュッとその身体を抱きしめ返す。


 ――が、力を込めた俺の腕は空しく空を切る。


 ティンクは――光の破片へと姿を変え、消え去ってしまった。


 後には、じいちゃんから贈られたワンピースと――

 いつも身に着けていた、俺がプレゼントした髪飾りだけが残っていた。



「……バカヤロウ」


 涙がとめどなく流れる。


『バカじゃないの!?』


 ティンクがよく俺に言っていた台詞だ。


 確かに、あいつの言う通り俺はバカだ。


 ティンクがせっかく気持ちを伝えてくれたのに。

 なのに俺は言葉でも態度でも返せなかった。





 ――錬金術の力と、大切なパートナー。

 両方を失った俺は、この事を後悔しながらこの先長い余生を過ごす事になる。




 ………………




 その後、魔人から世界を救った英雄として“色欲の錬金術師"の噂は瞬く間に関係諸国へ広がる。

 しかし、各国からの度重なるオファーにも応える事はなく、程なくして"色欲の錬金術"は表舞台から姿を消す事とななった。


 巷では、『魔人との闘争で大切な人を失った』『いや、錬金術の力すら残っていないらしい』など様々な憶測が飛び交ったが……そんな噂すらもやがて消えて無くなるのだった――

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