10-26 燃えるモリノの夜

 戦火に包まれるモリノ王都――その東部。


『皆さん、落ち着いてください! 慌てると危険です。押さずに東門より退避を!』

『負傷者をお連れの方はこちらへ! 我々が援護します!』


 騎士団が指揮を取り市民の避難が進められている。王宮から離れたこの辺りはまだ魔物の数は少なく比較的安全なようだ。


 とはいえ、静寂の中突如響いた爆音と闇夜を照らす炎。それに夜風に乗って王宮から聞こえてくる喧騒に、住民たちは訳も分からず混乱している。


 ――混乱しているのは騎士達も同じだった。


 長きに渡り戦乱から遠のいていたモリノでは実践経験の無い騎士も少なくはない。

 王宮警護にあたるベテラン騎士達ならまだしも、街を警邏する若い騎士となれば尚更だ。


 普段から鍛錬は重ねているとはいえ、突如訪れた紛争さながらの緊急事態に皆戦々恐々としている。



「ジェイド! ジェイド・ペンドライトは居るか!」


「はい、小隊長!」


 ジェイドが駆け足で小隊長の元へと向かう。


 ――かつての英雄、そして罪人でもある“賢人マクスウェル”の孫として、入団当時からなにかと注目を浴びていたジェイド。

 けれど、その愚直なまでの誠実さから今では同僚、上官共に一目置かれる存在となっていた。



「お呼びでしょうか!」


「まっまく、どいつもこいつも情けない。常勝モリノの騎士団が聞いて呆れる。肝が座ってるのはお前くらいか」


「……恐れ入ります」


 突然呼びつけられ何事かと思ったが、ふと見ると小隊長の後ろには小さな女の子の姿があった。


「お前に任務を言い渡す。この子を無事に町の外まで避難させてやってくれ」


 そう言って託された女の子は、ぬいぐるみを片手に持ちパジャマ姿のまま泣きべそをかいている。


「あの……その子は?」


「親と……逸れたようだ。ここに残しておく訳にもいかんだろ。さっさと行け」


 何故か少女から顔をそむけ、心なしか複雑な表情で命令を下す小隊長。その様子からして、きっと親は無事じゃないんだろう。


(それにしてもこの状況で子供1人に付ききりで護衛?)


 些かの疑問を抱いたジェイドだったが、騎士団において上官の命令は絶対だ。直ぐに敬礼で返事を返す。


「分かりました! 必ず街の外までお連れします!」


「頼んだぞ。……なぁ、ジェイド。お前は優秀だ。俺はずっとお前を分隊長に推してたんだがな。お前の家の事でどうこう言う頭の固い老人たちが多くてな。ここでしっかりやり切りゃ上も文句は言わないだろ。……気を付けてな!」


 そう言って小隊長はジェイドの肩をドンと叩く。


(いつも厳しい小隊長がそのように思っていて下さったとは!)


 激励の言葉に感激しつつ、胸に手を当て敬礼を返す。



 少女の手を引いて邪魔にならなちよう道端へと身を寄せると、ジェイドはしゃがみ込んで少女の顔を覗き込んだ。


「こんな夜中にびっくりしたね。ここまでよく頑張った、偉いよ! 俺はジェイド。君の名前は?」


 気さくなジェイドの笑顔に釣られ、ずっと不安げな表情を見せていた少女もぼそりと口を開く。


「……システィ」


「そうか、素敵な名前だ! こっちの子は?」


 そう言ってシスティの持ったウサギのようなぬいぐるみを指さす。

 途端に、システィが嬉しそうに少しはにかんで答えた。


「キャロ! 友達なの」


「そうか、よろしくな! じゃぁ、システィとキャロの事はお兄ちゃんが必ず守ってあげるから、2人とも離ずについてきて!」


「……分かった!」


 そっとシスティの手を取ると、小さな手がギュッと握り返してくる。



 ……ジェイドが騎士団に入ってもうすぐ1年。

 平和なモリノではこれといって大きな事件もなく淡々と訓練に明け暮れる日々を過ごしてきた。

 平和なこと自体は素晴らしい。

 だが、祖父の汚名を晴らそうと躍起になっていたジェイドにとっては、市民の役に立てない現状を歯がゆく思っていた。


 そんな矢先、突如として起きた異常事態。


 ――聞けば、凶悪な魔物が王宮を襲撃したそうだ。

 運の悪い事に、今日は王宮で著名な錬金術師達を招いての晩餐会が開催されていたはず……。


(名のある錬金術師とあれば、マグナスも呼ばれているはず……無事だろうか)


 遠くに見える王宮を見つめ、安否の分からぬ弟に思いを馳せる。


「……お兄ちゃん?」


 ふと我に返ると、システィが不安そうにこっちを見ている。


「おっと、ごめんよ。それじゃあ行くぞ! しっかり手を繋いでてね」


 グローブごしに、その小さな手をしっかりと握る。


 ――あいつなら大丈夫だ。

 優秀な弟だもの。


 今はこの子を守るために全力を尽くそう!


 キッと前を見つめると、ジェイドは避難経路となっている東通りに向け走り出した。



 ――その時



「――! 待て、ジェイド!! 戻れッ!!」


 後ろから小隊長に呼び止められる。


「――えっ?」


 何事かと思い立ち止まると……向かおうとしていた先で石壁が大きく崩れ落ちた!


 濛々と立ち込める砂埃の中から姿を現したのは……全身褐色のトカゲ型の巨大な魔物。

 素早く伸びる真っ赤な舌で、逃げ惑う人を捕らえ生きたまま丸呑みにしている。


「見ない方がいい!」


 慌ててシスティの顔を手で覆う。


 さっき犠牲になったのは父親だろうか。

 側で母親と息子と思われる2人が悲鳴を上げ地面にへたり込んでいる。


「――クソッ!」


 剣を抜き応戦に向かおうとするが――駆けつけてきた小隊長に止められてしまう。


「待て! お前はその子を連れて逃げろ! ――他に手の空いてる者は俺と一緒に来い! 助けられる住民から誘導するぞ!」


「し、しかし小隊長!」


 いくら子供を連れているとはいえ、この状況で自分だけ逃げるような真似は出来ない。

 詰め寄るジェイドだったが、小隊長はぐっと顔を寄せて小声で呟く。


(――頼む!! ……別れた前の女房との子なんだ。小さい頃の話だから、本人は俺の顔も覚えてないみたいだが)


 そう言ってシスティをちらりと見る小隊長。

 システィは怯えてジェイドの後ろに隠れたままだ。


(任務に私情を持ち込むべきではないのは重々承知だ! 俺が普段から言ってる事だからな。……はは、俺は旦那だけじゃなく騎士としても失格だな。もし無事に帰れたら後で査問に掛けてもらっても構わん――だから、頼む!!)


 拝むように深々と頭を下げる小隊長。


「……分かりました。この事は俺が黙ってれば済む話です。代わりに――」


 小隊長の手を取ってポンとシスティの頭の上に載せる。

 キョトンとして小隊長の顔を眺めるシスティと、2人の視線が初めてまともに重なった。


「終わったら隊長が必ずこの子を迎えにきてあげてください!」


「……分かった! 必ずだ!!」


 籠手の甲をぶつけ合い荒い挨拶を交わすと、ジェイドはシスティの手を引き大通りを避け裏道から東門を目指した。

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