10-23 赤く染まる夜

 無駄な抵抗とは知りつつ、僅かに残った盾の破片を両手に構えて魔神の攻撃に備えるフラメル。

 そんな姿を蔑んでいるのか、微笑を浮かべたまま魔神は振り上げた腕に力を込めた。


 死刑囚の首を狙うギロチンのように鈍く輝く爪が、フラメルの首を跳ね飛ばすその刹那――


 突如として虚空から現れた光の槍が、魔神の腕を目掛けて深々と突き刺さった!

 その衝撃で爪はフラメルを逸れ虚空を切り裂く。


 思いもよらぬ反撃を受け思わずふらつく魔神。

 その隙を狙ったかのように、次々と飛来する光の槍が魔神の腕に絶え間なく突き刺さっていく。

 息もつかさぬ猛攻に魔神がうろたえ体制を崩した次の瞬間――槍はその輝きを増し、一斉に炸裂!!

 魔人の腕から肩までを一瞬で消し飛ばした!


『――クッ!? 何ですか、鬱陶しい!』


 初めて見せる苦悶の表情。

 魔神が睨みつけるその先では、1人の魔導兵が詠唱の構を取り立ちはだかっていた。


 こんな大魔法をいったい誰が……!?

 周りの兵士達も驚いた様子で彼を見るが……そこに立っていたのは年端もいかない少年だ。


「……い、今の魔法!? 僕が!?」


 ポカンとした表情で、何なら本人が一番驚いた様子で目をパチクリさせている。


「そうよ、心配しなくても大丈夫だから落ち着いて。今のキミなら伝説と呼ばれるような大魔導士にも引けを取らないわ!」


 少年の肩に手を乗せてその隣に立っているのは――ナーニャさんだ!

 見れば、少年の手には小さな体に不釣り合いな程に大きなマジックロッドが握られている。


「少しは自分の才能を信じる気になった? キミはこんな所で終わるような子じゃない! ――さぁ、"授乳欲のナーニャ"が力を与えてあげるから、戦うわよ未来の英雄さん!」


 ナーニャさんにポンと肩を叩かれ、少年は覚悟を決めたように大きく息を吸う。


「――分かりました! やれるだけやってみます!!」


 少年が目を瞑り杖に意識を集中すると、杖から青藍の光線を放ち始めた。光は踊るように空中を駆け回り、あっという間に空に巨大な魔法陣を描き出す。

 その周囲を舞う無数の魔力の粒たちが徐々に小さな魚影へと姿を変え、やがて群れを成して魔法陣の中を泳ぎ始める。……満点の星空を蒼白く照らす光の海だ。

 幻想的な輝きの中で一匹の魚が勢いよく跳ねたその刹那――


「いきます!!  ――大鯨よ 狂濤きょうとうが如く蒼海を割れ。海淵を貫きその身を以って派旬はじゅんを討ち砕け!! 蒼の大剣“ケルレウム・スパーダ”!!」


 空に跳ねた光の魚が一際眩しい蒼白の輝きを放つ。弧を描くように空を舞い、再び水面のように揺れる魔法陣に着水すると――巨大な剣へと姿を変え、海底を目指すがごとく魔神目掛けて一直線に沈み行く!!


 大剣は魔神の身体を難なく貫き地面へと磔にする。


『グヌッ……!! おのれ、この程度……ガガガガァァ!』


 どうにか引き抜こうと激しく暴れる魔神の頭上で、魔法陣が泡立つように揺れてその姿を大鯨へと変えた。

 海底でもがく魔神を憐れむように悠々とその頭上をひと泳ぎすると、光の鯨は身を大きくくねらせ空へと跳ね上がる。

 どこか哀しげで神秘的な咆哮を夜空へ響かせると、一瞬にして大鯨は巨大な水球へと姿を変えた。そのままフワリと一瞬だけ宙を舞った後、トドメと言わんばかりの圧倒的な水量を以って魔神を圧殺する!!



 ……天まで届くような魔力の飛沫があたり一面に跳ね上がり、魔神の纏っていた鎧が粉々に砕け散るのが見えた。


「さぁ! 今よ!!」


 ナーニャさんの合図を皮切りに、まだ戦う力の残っている兵士達が再び一斉攻撃を仕掛ける!

 それを援護する錬金術師達。


 絶え間ない連撃を受け、魔神は破壊される肉体を再生し続ける事しか出来ない。

 兵士達の攻撃の合間を縫って、弓兵や魔導兵の遠距離射撃も続々と魔神めがけて飛来してくる。


 不死身かと思われた魔人だったが、繰り返される破壊と再生に力を使い果たしたのか、徐々に動きが鈍くなってきたように見える。


(やった! 行けるぞ!!)


 ……確かに魔神の力は強大だ。けれどここに集うのは各国を代表する優秀な錬金術師達!

 そのサポートを受けた兵士の戦力は、何倍……いや、何十倍にだって跳ね上がる!

 いくら魔神とはいえモリノの総力を上げたこの大隊の前じゃ手も足も出なかったか!!


『――効いているぞ! 一気に押せ!!』

『オーーーッ!!』


 ここぞとばかりに勢い付く兵士達。


『お、おのれ……おのれぇぇ! 調子に乗るのも――いい加減にしなさぁぁい!!』


 猛攻に耐え兼ねた魔人が苦し紛れに背中の羽を大きく振るう。

 危険を察知した兵士達が一斉に下がり、一時的に両者の間が空く。


 戦場に不気味な静寂が広がる。


『ハァハァ……もういい。もう分かりました』


 苦しそうに嗚咽を漏らしながら魔人が呟くように吐き捨てる。


『……どうやら私自身、魔人の力を買いかぶり過ぎていたようです。……さすが常勝国モリノ。それに世界中から集まった優秀な錬金術師達。素直にその力は認めましょう』


 息を整えながらゆっくりと立ち上がる魔人。

 その体表を覆っていた褐色の鎧は跡形もなく崩れ落ち、再びむき出しになった筋組織のような本体にも無数の傷跡が見て取れる。


 だがこの程度で油断してはいけないのは皆が分かっている。兵士達も一切気を抜かず攻撃再開の期を伺う。


『神とて、崇める民衆が居なければただの偶像に過ぎない。心優しい私が、この国を私の聖域として差し上げようとここまで加減しているというのに……。もういい、分かりました。危険因子となるならばいっそ国ごと潰してしましょう。――今直ぐに!』


 怒声を響かせると、翼を大きく広げその身を包むように折り畳みうずくまる。

 そのまま一呼吸置いて閉じていた翼を一気に開くと、数えきれない程の羽根が夜空へと飛び散っていった。


 迎夏祭げいかさいの淡く儚い螢火とは似ても似つかない、全てを焼き尽くすかのような真っ赤な光が王都の夜空を覆い尽くしていく。

 光はやがて結晶となり、雨のように街中に降り注いでいった。


 城の中庭にも無数の結晶が降り注いで地面へと突き刺さる。その見た目は……ノウムで見た賢者の石(偽物)にそっくりだ。



『――さぁ、逃げまどいなさい! 愚民ども!!』


 魔神が雄叫びをあげると、それに呼応するように地面に落ちた結晶が破裂し真っ赤な霧を辺りに撒き散らす。

 霧は生き物のように蠢くとみるみるうちに異形の魔物へと姿を変えた。

 牙を剥き唸り声を上げる獣型の魔物。また一方では、風に吹かれ舞い上がった霧が怪鳥を模した魔物へと変化する。中にはトカゲや蜂のような形へと姿を変えた個体もある。

 ありとあらゆる生物を模った褐色の魔物の群れが一瞬にして王都中にバラ撒かれた訳だ!


 魔物達は目を覚ますなり一斉に周囲の人間を襲い出す。


 さっきまで漂っていた楽勝ムードから一転、取り囲まれる形で四方八方からの襲撃を受け戦場は一気にパニックへ陥る。

 それどころか、今度は城の外からも阿鼻叫喚の悲鳴が聞こえてくる。


『マズい!! 城下の兵にも戦闘指示を!』

『市民の避難を急げ!!』


 号令が行き交いもはや指揮がどうなっているのかすら分からない。


『さぁ!! 神の御業の前に逃げ惑うがいい!』


 魔人は両手を高く掲げ、巨大な火球を作り出すと天へと向け打ち放つ。

 火球は大きく放物線を描き城下町を直撃、森林に囲まれた美しい街は業火の海へ沈み地獄へと姿を変えた。

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