10-19 神の力

「に、逃げる? どうしたんですか!?」


 何はともあれ二人に駆け寄り、リリアから満身創痍のルルスさんを預かり肩を貸す。

 同じくティンクはリリアの肩を支えて一緒に走る。


「――リリア! その手どうしたの!? 怪我したの!?」


「わ、私は大丈夫です! それより、皆さん早く逃げて下さい!」


 心配するティンクの手を引っ張り走り出そうとするリリア。


「ちょ、2人共落ちついて下さい! 一体何が――!?」


 慌てる2人を宥めてどうにか事情を聞き出そうとしていると、砂埃の中から何か大きな塊が勢いよく飛び出してきた。

 その物体は床をゴロゴロと転がり壁にぶつかって止まる。


「こ、今度は何だ!?」


 目をこらしてよく見ると、ぐったりと床に横たわる塊は――人だ!


 黒い執事服を着た老人……確か招待状を無くした時に助けてくれた錬金術師の執事さん……? って、血まみれじゃねぇか!?


 老執事は頭から血を流し、服もあちこちが破れ血で真っ赤に染まっている。

 辛うじて生きてはいるようだが、苦しそうに顔を歪ませぐったりと床に倒れたまま動かない。


「だ、大丈夫ですか!!」


 慌てて駆け寄ろうとするが……


「マグナスさん! ダメです! あいつ達がこの騒ぎの犯人です!」


 俺の肩を掴みルルスさんが必死の形相で引き留めてくる。


「は、犯人!?」


 改めて老執事の方を見ると、口から血を吐きながらもどうにか上体を起こし曲がり角の先を睨んでいる。


「――ヘルメス!! 貴様、どういうつもりだ!? 我々を裏切るつもりか!!」


 誰に向かって叫んでいるのかは分からないけれど、答えは返ってこない。

 その代わりに、廊下の先からヒタ……ヒタ……と不気味な足音がゆっくりと近づいてくるのが聞こえた。


 暫しの間を置いて、舞い上がった砂埃の中から現れたのは……何だ……あれは?


 上手く言い表せないけれど、人……なのか?

 一応、四肢のある物体が二足歩行をしているが……その身体は人よりも遥かに巨体で、異常に発達した筋組織が剥き出しになっている。

 頭には雄牛のような巨大な2本角が生えていて、その姿はまるで神話に出てくる悪魔だ。

 加えて奇妙なのは、邪悪な風態とは裏腹にその背中では天使を思わせる大きな翼が真っ赤に輝いており、さらにその背後では黄金に輝く光輪が神々しい輝きを放ちながら浮かんでいる。

 冥界に堕ちた天使――もしくは、天に昇り損ねた屍人だとでもいうんだろうか。



「――しまった、遅かったか!!」


 謎の生き物(?)を見るなり髭じぃが大声をあげて後ずさる。


「しかし……どうやってこの短時間にあの結界の解除を!? 古くなったとはいえあれはラージーが……まさか!? グランツ、お前! あの結界を“破壊”したのか!?」


 驚いた顔でグランツ陛下を見る髭じぃ。

 当の陛下は、髭じぃの声などまるで耳に入らない様子で異形の怪物を見つめたまま呆然と立ち尽くしている。


「グランツ、自分が何をしたのか分かっておるのか!? あの封印はページー以外には直せん!! 一度壊してしまえば魔神を再び封印する手立ては無いんじゃぞ!!」


 髭じぃが陛下に詰め寄り、その肩を激しく揺すって問い詰める。

 ガクンガクンと頭を揺らされやっと我に返ったのか、陛下は虚ろに首を振りながらボソリと呟いた。


「――ち、父上こそ何を言っているのですか!? というか、何ですかアレは!?」


「……は!? アレが“ヴィルサラーゼの魔人”じゃ! お前が呼び起こしたんじゃろ!」


「は、はぁ!? 私は知りませんよあんな化け物!」


 何度も目を瞬かせ狼狽えるグランツ陛下。


「今更知らばっくれるでない!! つい今さっきまで"アレ"の話をしておったではないか!」


「――はぁ!? 先ほど話していたのは“倉庫掃除のナターシャ”の事です! 私が最近目にかけているのを知っておきながら、父上が性懲りも無くちょっかいを出しているという噂を聞いたもので! 晩餐会の騒ぎに乗じて良からぬ事でもしに行くんじゃないかと、こうしてわざわざ監視に来たんです!」


 人目も憚らずに声を荒げる陛下。

 その内容に、場の空気が一瞬にして凍りつく。


「……なっ、適当な事を言うな! 今はナターシャは関係無かろう! お前自身の口からアレの価値がどうだの、世界を支配るす力だの言っておったではないか! 魔神の話以外無いじゃろう!」


「いいえ、ナターシャの話です! 父上も彼女の魅力には気付いておいででしょう! 彼女は間違いなく磨けば光るタイプです! 現にこうして私と父上を虜にしているではありませんか! そんな彼女をいつまでも倉庫掃除係にしておくなんて……何たる愚采! 何よりも、あの完璧なオッパイがもったいないっっ!!」


「……ば、馬鹿もん!! 確かにナターシャはここ十年に一度のナイスバディじゃが――て、今はそんな話をしとる場合か!」


 顔を真っ赤にして怒鳴り合う二人と、完全に冷め切った目で二人のやり取りを見守るその他一同。


(まったく……こいつらは。親子そろいも揃って、スケベって遺伝するのか? ……まぁうちのじいちゃんがアレで俺が俺だから他人事とは思えないけど)


 とにかく、グランツ陛下は“魔神”とは無関係なようだ。

 あまりのくだらなさに思わず大きな溜め息が出るが……そんな冷めた空気を切り裂くように辺りに罵声が響き渡る。


「――何とか言ったらどうなんだ、ヘルメス!! 貴様血迷ったのか!? たかが一介の錬金術師が“我々”に敵うとでも!?」


 ヘルメス――? って確か、招待状を拾ってくれたシルクハットの錬金術師だよな? ここには姿は見えないけれど……まさかあの化け物!?

 改めて異形の化け物に目をやると、驚いた事にソレが人の声で話し始めた。


『――えぇ。分かっていますとも。我々の組織……“叛逆の暁”でしたっけ? 確かにあの組織の力は偉大です。非公式な錬金術師派閥の中では間違いなく最大の力を持っていますね。実際、組織の力が無ければこうしてモリノに潜入する事すらできなかったはずです。だからこそ……私も組織の作戦に従い、こうして錬金術の“素材”としてこの身を捧げた訳じゃないですか。全ては組織の意のままに……です――が。……あぁ、こうして魔神と同化して分かりました……フ、フハハハハハ!」


 地の底から響くようなくぐもった声で、腹を抱えながらさも可笑しそうに笑う魔人。

 ひとしきり笑い終えると、ふぅと大きな息を吐き大きな翼を一気に広げる。


 翼から飛び散った無数の羽根が、朧げな月明かりを反射してまるで宝石のように輝きながらユラユラと地面に落ちては消えていく。


「――人如きの力が何だというのでしょう!! いくら寄り集まり知恵を出し合ったとて、所詮は人間! 今私が手にしたのは“神”に等しい力です! 神たる私がどうして人間如きを恐れる必要があるでしょうか!? 人も、軍隊も、国すらも! 今の私に取っては――恐るに足らず!!」


「――っ貴様ぁ! 国に捨てられ、追われる身だった貴様を拾ってやったのは誰だと思っている!! 誰のお陰で今日まで錬金術の研究が出来てきたと思ってるんだ!」


 口から血を吐き出しながら罵声を上げる老執事を見下して、魔人は真っ赤な目を静かに瞑る。


「……あなた方の理想にも、正直もうウンザリしていたところなのですよ。軍事クーデター!? “強いサンガク”をもう一度!? 今一度世界に宣戦布告を!? はっ、全くもってどうでもいい!! この力さえ手に入れば――サンガクなどという既に終わった国が、飢えようが滅びようが私の知った事ではない!」


「き、貴様ぁぁっ!!」


 床に這いつくばっていた老執事は四つん這いのまま駆け出し、重症を負っているとは思えないスピードで一気に魔人の元へと飛びかかる。

 そのスピードに反応できずにいるのか、微動だにしない魔神に向かい懐から出した短剣を素早く突き立てる。

 その正確無比な一撃は確実に魔人の喉元を捉えていた。――が、甲高い金属音と共に短剣はあっさりと折れてしまった。


「――なっ!?」


 信じられないといった様子で目を見開いて驚く老執事。

 魔神の身体をよく見ると、むき出しの筋組織だと思っていた体表が月明かりを浴びて鈍く光っている。


(あれは……金属? いや、鉱物か)


 おそらく、全身鎧プレートメイルのように体全体が強靭な鉱石で出来ているのだ。



「……残念でしたね。サンガクの歴戦の英雄といえ、所詮は人間。貴方の役目はここで終わりです」


 老執事の決死の一撃をまるでハエでも払うかのように軽く受け流し、魔人が手を振るう。

 次の瞬間――パンッと風船が爆ぜるような音がして、老執事は真っ赤な霧となって跡形も無く消え去った。

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