10-12 動き出す密謀

「――おい、お前ら! あんまりしつこいとナーニャさんに言いつけるからな! お前らの師匠がどうなっても知らないぞ!」


 廊下の角から身を出し、太っちょたちを見据えてクールに言い放つ。我ながらあまりカッコ良い文句とは思えないけれど、虎の背中でもなんでも借りれるもんは借りておこう。


「――っげ! “色欲”。何でお前がここに!?」


 目をまん丸に広げて固まる太っちょ。よっぽど驚いたのか、今にも目が飛び出しそうなコミカルな顔に思わず吹き出しそうになるのを、ぐっと我慢して冷静に答える。


「トイレだよ」


「は? トイレは逆側だ! あっち! さっさと失せろ!」


「そうは言われてもなぁ……。こんな脅迫まがいの場面を見せられたら放っておけないし……。何なら今の話、リリアにも知らせておかないと」


 リリアの名前を出した途端、分かりやすく太っちょがうろたえ出した。


「ち、ちょっと待て! 今リリアは関係ないだろ!」


 ……分かりやすい奴。つまりは気になる女の子にちょっかい出したいだけのお子ちゃまか。

 大人な俺は余裕の表情を浮かべ黙ったまま相手の出方を伺う。


「……分かった! 今日のところはここまでだ! ――おい“譲歩欲”。金は用意しろよな! 元々の約束通りあと10日が期限だぞ! それ以上は待たないからな!」


 捨て台詞のように言い放つと太っちょたちはそそくさとと去って行った。



「……すいません。余計なお世話でしたか?」


 彼らの後ろ姿が見えなくなったのを確認し、壁にもたれたままの男性に手を差し伸べる。


「い、いえ、助かりました。……貴方は?」


 俺の手を取り起き上がる男性。


「マグナス・ペンドライト。モリノの錬金術師です。先程リリアさんとお会いしたときにあなたの事はお聞きしました。"譲歩欲"の錬金術師さんですよね?」


「これは、失礼しました! 貴方がマグナス様でしたか! うちのリリアが大ファンでして――あの子、何かご迷惑をお掛けしませんでしたか!? まったく、私の側を離れないようあれだけ言ったのに……!」


 おろおろと慌てながら、俺の機嫌を伺ってくるリリアの師匠さん。俺より相当年上のはずなのに、随分と腰の低い人だなぁ……。


「いえいえ、迷惑だなんて全然。いい子じゃないですか」


「えぇ……。私みたいな凡才な錬金術師の弟子にはもったいない程です」


 そういって少し困ったように、けれど心底誇らしそうに笑う。


「そんなに畏まらないでくださいよ。錬金術師としては僕の方が後輩なはずですから」


「いえいえ。錬金術師にとっては実績が全て。私なんぞ無駄に歳だけ重ねた、ただの老いぼれですよ」


 ……本当に謙虚な人だな。それが“譲歩欲”の所以なのか?? 何にせよこんな人気のない廊下でお互いにペコペコしてても埒があかない。


「……そうだ! せっかくなのでもし良ければお互いの国の錬金術師について少し情報交換でもしませんか? 僕もサンガクの錬金術について知りたかったので!」


 本人は謙虚に構えているが、"欲名"持ちの錬金術師である以上それなりに腕が立つのは間違いない。人も良さそうだし、きっと有益な話が聞けるはずだ。何よりこのパーティーの目的は異国間の錬金術師の交流だからな。


「えぇ、私で宜しければ喜んで! 何処か静かな場所で話しましょうか」


 申し出を快く引き受けてくれたリリアの師匠と一緒に、人気の少ないテラスへと向かった。


 ――あ。トイレ行きそびれたぞ。




 ―――――




 時を同じくして、丁度マグナス達と入れ替わるように廊下に現れた一つの影――。



(マグナスさん、何処行っちゃったんだろう……)


 薄暗い廊下でマグナスを探す人影は、リリアだった。


(トイレに行くって出て行ったきり中々帰ってこないし。ティンクさんには放っておけって言われたけど……迷子にでもなってるか、もしかしたら気分が悪くて動けなくなってるのかも)


 そんな心配をしつつ、係の人に聞いた通り廊下を右に曲がってトイレの前までやってきた。


 トイレの前で暫く待ってみたものの、人の気配は無い。どうやらトイレは無人のようだ。


(あ、あれ? 誰も居ない?? い、一応確認だけしておこうかな)


「し、失礼します。マグナスさーん。おいでますか??」


 思い切って男性トイレに向かって外から声をかけて見る。


 ――が、反応は無い。


(ど、どうしよう。もしかしたらトイレで倒れてるのかも――でもさすがに男性のトイレに入る訳にもいかないし……)


 マグナス達と入れ違いになった可能性などこれっぽっちも考えもせずに、トイレの前をウロウロとするリリア。行ったり来たりと三往復してみたけれど、一向に人が出て来る気配は無い。


(し、仕方ない。万一手遅れになってからじゃ遅いし……ここは人命優先よね! マグナスさん、今助けに行きますから!)


 どんどんと物事を良くない方向へと考えてしまう性分なのか、マグナスが中で倒れてると確信してリリアは男性トイレへと飛び込んで行った。


 ……


 ――綺麗に掃除されたトイレの室内。


 壁際には見慣れない男性用の便器が並んでいる。物心ついてからというもの男性用のトイレに入ったのは勿論これが初めてなわけで、突然恥ずかしなってきて顔を真っ赤にして固まるリリア。


 誰に見られている訳でもないのに、目を伏せながら遠慮がちに見回したところ――人の気配は無い。


 反対側の壁には、個室が4つ並んでいる。


(な、中に居たりするのかな?)


 恐る恐る奥まで進み、個室に人が居ない事を順番に確認していく。


 1番目、2番目……。


 全てのドアを開けて確認したが、中には誰も居なかった。


(よ、良かった。調子が悪くなってトイレに籠ってた訳じゃないのね。――でもそれなら何処へ?)



 ホッと胸を撫で下ろしつつ、とりあえず早くこの場から離れようと、入り口の方を振り向いたその時――


「――キャッ!」


 驚きのあまり思わず小さな悲鳴を上げてしまったリリア。


 つい今さっきまでは誰も居なかったはずなのに――トイレの入り口を塞ぐように男性が立ちはだかっていたのだ。


 黙ったままじっとこちらを見つめる黒いタキシードの紳士。片方の目には銀縁の片眼鏡が装着されている。

 何より印象的なのは……室内なのに被ったままのシルクハット?


『お、驚かせないでください!』


 そう抗議しようと思ったが、よく考えれば驚いたのはきっと相手の方だ。

 なんといってもここは男性トイレ。場違いなのは明らかに自分の方であり、下手すれば不審者として衛兵に突き出されても文句は言えない。


「……ご、ごめんなさい! わ、私……間違えました!」


 背筋を伸ばし綺麗な立ち姿のまま佇む紳士にそこはかとない不気味さを感じつつ、目を合わせないようにして慌てて入り口へと向かう。


 急ぎ足でその隣を通り抜けようとしたところで――不意に紳士が口を開いた。


「――そんなに慌てて逃げる必要はありませんよ。"リリア・アガーテ"」


 その発言を聞き、一気に背筋が凍り付くリリア。


「え……? どうして私の名前を?」


 言い得ない恐怖を覚えつつも、努めて冷静に疑問に思ったことを聞き返す。……けれど、その問いには答えず紳士は別の問いを投げかけてきた。


「貴女にひとつお聞きしたい事があるのですが――"ヴィルサラーゼの魔人"という物に聞き覚えはありませんか?」


 その口から発せられる極めて穏やかな声色とは裏腹に、寸分の躊躇いすら見逃さないといった鋭い目つきでリリアを見つめる紳士。


(……この人、何を言ってるの? こ、怖い……)


 片眼鏡の奥で妖しく光る瞳はリリアを捉えて決して逃がそうとしない。今にも泣き出したくなる程のプレッシャーに全身からいっきに汗が吹き出し喉がヒリヒリと乾く。


「……し、知りません。――失礼します!」


 どうにか言葉を捻りだし、そのまま俯いて走るように入り口へと向かうが――


「――おかしいですね。""は貴女に何も話していないのでしょうか。……いえ、今は""を名乗っているのでしたっけ」


 独りごとのように紳士がポツリと呟く。


 その言葉に驚き思わず歩みを止め振り返ったリリアだったが――その直後、突然首筋に鈍い痛みが走り視界の中がグニャリと歪み自分が真っ直ぐ立っているのかさえ分からなくなってしまった。


 突然の事になす術もなくそのまま床に倒れ込みそうになったところで……誰かにがっしりと抱きかかえられて空中で身体が止まる。

 薄れ行く意識の中、どうにか目を開けて隣を見ると……執事の恰好をした老齢の男性が、老体とは思えない太い腕で自分の身体を抱き抱えている。


(ダメ……助けを、呼ばなきゃ……)


 どうにか声をあげようと口を開くものの、既に喉を震わせるだけの力もなくリリアは完全に気を失ってしまった。


 ……


「――相変わらず良い手並みですね」


「……恐縮です」


 鋭い手刀で音も無くリリアを眠らせた執事に対し、労いの言葉をかけるシルクハットの紳士……“ヘルメス”。


「……それにしても幸運でしたね。彼女自ら、独りでこんな人気の無い場所に来てくれるとは。おびき出す手間が省けました」


 ヘルメスがシルクハットを脱ぎやや神経質に埃を払っている間に、老人はリリアを肩に担ぎ直す。


「……ヘルメス様、急ぎましょう。あまり時間がありません」


「えぇ、そうですね」


 トイレから出た二人は、そのままリリアを連れて城の暗がりへと姿を消してしまった――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る