09-35 彷徨う元凶

 ホテルを出発して小一時間。

 昨晩の桟橋での戦闘に比べると、広い市街地で闘うのは比較的容易だった。

 海に引き込まれる心配も無いし、逃げる先さえあれば動きの遅い亡者はヒットアンドアウェイで割と安全に倒せる。


 昨日トライデントさんが一掃してくれたのが効いているのか、湧いてくる数もそれ程多くはない。これなら囲まれる心配も無いだろう。

 一匹ずつ始末しながら進む事も可能だけれど、できればこの先に備えて体力は温存したいところ。少し迂回してでも、なるべく狭い路地など地形的に不利な場所は避け大通りを走っていく。



 ――そんな最中、ふと人の声が聞こえたような気がした。


(……気のせいか)


 ここまで来る間も人なんて一切すれ違わなかった。この嵐の中、亡者が彷徨さまよう街中を出歩いてるのは俺達くらいだろう。そもそも風の音が酷くて人の声なんか聞こえないはずだ。


 けれど……



『ローラァァ……』



(――!? やっぱり、男の声が聞こえる!)


 立ち止まり目を凝らして辺りを見回す。


「ちょっと! 何やってんのよ!? 行くわよ!」


 先を走っていたティンクが俺の様子に気付き慌てて戻ってくる。

 そして俺の隣に立つなり……同じ方を見てポツリと呟いた。


「……何、あれ」


 俺達の視線の先には一体の亡者が。

 ……いや、あれは亡者なのか? ぱっと見ただけでも他の個体とは明らかに様子が違う。


 その身体は亡者と同じく腐って崩れかけてはいるが、それでもまだ随分と原型を留めている。

 眼球は朽ち果て目の部分はただ深い闇を湛えるだけの穴になっているが、それでも元の人相は何となくわかる。青白い顔をした痩せこけた男の顔だ。

 年齢は30代か、40代くらいだろうか。頭髪もまだ残っており、その長い髪を後ろで束ねている。


 ただ、いくら原型を留めているとはいえその肉は他の亡者同様緑色に変色し、朽ちて次々に地面へと落ちて行く。

 ……けれども、腐り落ちた肉片は意志を持った生物かのごとく男に這い寄り、足元から吸収されて再びその身体を形どる。

 そしてまた崩れ、吸収され……。どうやら絶えず崩壊と再生を繰り返しているようだ。


『ローラァァ。……! あぁ……!! ローラの匂いがする!! ローラ! 会いたい……会いたいよおお!! ローラァァ!』


 地獄の底から響くような歪んだうめき声を響かせ、ベチャベチャとこっちへ歩み寄ってくる男の亡者。


「もしかして、あれがあんたの言ってた"呪詛"なんじゃない?」


「――あぁ。多分な」


 亡者から目を放さないままティンクの質問に答える。


「なら探しに行く手間が省けたじゃない! このまま水辺まで誘き寄せてトライデントさんにやっつけて貰いましょ!」


「……いや、多分それじゃダメだ」


「何で!? トライデントさんならあれくらい余裕でしょ!? てかあの程度なら私達だけでもやれるんじゃない?」


「確かにあの亡者自体はそんなに強くないだろう。トライデントさんなら訳なくやっつけられるはず。……けど、それじゃあ他の亡者と一緒で時間を置けばすぐに復活してくるはずだ」


「じゃあ、どうすんのよ!? 諦めて一旦戻る? 敵の正体が分かっただけでも収穫でしょ」


「いや――アレに遭遇するのは想定外だったけど、これでまた一つ確証が持てた! 予定通り小島へ向かうぞ!」


「えぇー。まぁ、ここまで来ちゃったからには付き合うけどさ」



『ローラァァァ!!』


 悲痛な叫びを上げながら這い寄ってくる男の亡者を迂回し漁港へと走る。



 ――



 程なくして無事に目的の漁港へと辿り着く事が出来た。

 年季の入ったあぼら小屋が数軒建ち並んでいる以外は、簡易的な桟橋に数隻の小舟が停留されているだけの小さな港だ。


 ホテルの支配人のツテを使って事前に漁業組合には話を通してもらってある。

 今回の件の調査ならば町も全面協力してくれるということで、小舟なら好きな物を使って良いと言われている。


 桟橋の一番手前ににあったボートに乗り込み牽引してあったロープを急いで解く。


「う、解けねぇ。これどうやって結んであんだ!?」


「えぇ!? 何呑気な事やってんのよ!?」


 そんな事言ったって、蝶々結びで止めてある訳じゃねぇんだぞ。

 見たこともない結び方でしっかりと止められたロープに四苦八苦している間に、そこかしこから現れた亡者達がヨロヨロと桟橋目掛けてにじり寄ってきた。


「――ちょっと!? 大丈夫!? 私やっつけてこようか!?」


 ティンクがスピアを構えてボートの縁に足を掛ける。


「いや、大丈夫だ。――よし、ロープが外れた! 出すぞ!」


 オールを手に取り急いで沖へと漕ぎ出すと、ボートに飛び掛かろうとした亡者が数体水しぶきを上げて桟橋から海へと落ちて行った。

 危ねぇ。間一髪だったぜ……。


 そう思いながら一旦息を整えたのも束の間。沖に出るとすぐさま亡者の手が海中から伸びてきた。


「やっぱり来やがったか!」


 ここまで来れば作戦のうちだ。トライデントさんのポーションの蓋を開け海へと放り投げる!

 その間にも次々と小舟によじ登ってこようとする亡者をティンクがスピアで突き落とす。


 ポーションの瓶がボチャリと音を立てて海に沈むと、すぐさま海面に光の粒が立ち込めトライデントさんが姿を現した。


「……? うわぁ、亡者だらけ!! ――ちょっと! 何てところに呼び出すんですか!?」


 登場するなり不満顔で抗議してくるトライデントさん。


「わ、悪ぃ! 後で謝るから、とひあえず助けて!」


 トライデントさんに謝りつつ、俺も剣を抜き船によじ登ろうとしてくる亡者の手を次々に切り捨てていく。


「え? 何してるんですか!? こんな亡者だらけの海の上をそんな小舟で! 自殺行為ですよ! 分かりました、直ぐに舟を港まで戻しま――」


「いや! 港に戻るんじゃなくて、あそこに見える小島まで連れてってくれ!」


 港へ向かって舟を引っ張ろうとするトライデントさんを止め、小島の方を指さす。


「小島って、あそこに見えるアレですか!?」


 手に持った槍で海中の亡者を突き刺しながら、遠くに見える小島を指差すトライデントさん。


「ああ! トライデントさんなら行けるだろ!?」


「行けるは行けると思いますけど――さすがにこれだけの亡者を蹴散らしながら二人を乗せたボートを引っ張ってとなると、それなりに強力な結界を張る必要があります。たぶん着いた途端に魔力切れですけど――その後はどうする気ですか!?」


「大丈夫! その後の事はこっちでどうにかするから!」


 会話の間も手を休める事なく海中の亡者を撃退し続けるが、そろそろボートも限界のようだ。ゴリゴリミシミシと船底から変な音がしてくる。


「――あーもう、分かりました! ホントどうなっても知りませんよ!? しっかり掴まっててください!」


 文句を言いつつも、トライデントさんが槍を大きく一振りし舟にまとわりつく亡者を一掃してくれた。

 その後槍を正眼に掲げると、海から輝く大きな泡が浮き出てきて舟をまるっと包み込んだ。亡者を寄せ付けないための結界だろう。


「じゃ、行きますよー!!」


 トライデントさんが海に潜ったかと思うと、舟が物凄い勢いで引っ張られグングンと加速して行く!


「う、うぉ!」


 危うくバランスを崩して海に転落しそうになった所をティンクに抱き抱えて止めてくれた。

 海面から顔を出す亡者を次々と跳ね飛ばしながら、舟は猛スピードで小島へと向かう。

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