07-08 赤い部屋

 ホールから続く扉をくぐった瞬間に、場の空気が一変した。

 シスターの言う通り、確かに――二階は一階と比べ物にならない程……ヤバい。


 一階は、多少荒れているとはいえ家主が居なくなって長らく誰も使っていなかった屋敷といえば納得出来る状態だ。

 そこかしこに埃が被っているとはいえ、食堂では皿がきちんと棚に収められ、寝室のベッドは整えられていたし、迎賓室の本棚はきちんと整頓されていた。


 けれど――二階のこの有様は何だ……!?


 棚は倒れ、窓にかかったカーテンは無惨に破られ、ドアが外れて倒れている部屋さえある。

 廊下には本や割れた花瓶、洋服や食器などありとあらゆる物が散乱し、壁紙も所々が引き裂かれたように破られている。


 いったい此処で何があったんだ……。



「――行けるかい!?」


 目の前の惨状に愕然としていると、シスターにポンと肩を叩かれビクリと我に返る。

 じっとこっちを見つめるシスターの目を見て、ひとつ唾を飲み込み無言で強く頷いた。


「よし! ワタシから離れるんじゃないよ!」


 シスターの後に続き、二階の廊下を慎重に進んで行く。


 ……


 よほど慌ただしい事情があったのか。

 二階の部屋はどこもかしこもドアが半開きになっている。

 順に中を確認していくが、どの部屋も強盗にでも入られたかのように荒れ果てていて、とても絵画なんて探せるような有様じゃない。


 これは下手をすると……本当に金目の物は盗賊に持ち去られた後かもしれないな……。

 そう思いながらも、見落としの無いよう目を凝らして次の部屋へと向かう。


 ――


「――ここが最後か」


 二階の部屋も大方見て周り、いよいよ目の前の部屋を残すのみとなった。


 何故かその部屋だけはしっかりとドアが閉じられており、心なしが他より重々しい空気に包まれているような気がする。


「……準備はいいかい? それじゃ、開けるよ」


 シスターがゆっくりとドアノブに手を掛ける。

 ギギギギと蝶番ちょうつがいの軋む音がして、部屋の中が覗ける程にドアが開いた。


 シスターの肩越しにそっと部屋の中を覗き込み――思わず絶句してしまう。


 赤い……


 部屋の中が真っ赤に染まっている。


 他の部屋と比べても一層滅茶苦茶に荒れている室内。

 有りとあらゆる物が壊れ、崩れ、散らばり、部屋の元の様子がどうだったのかすらもはや想像が付かない。元からその位置に置かれていた物は何一つとして無いんじゃないだろうかという程にぐちゃぐちゃだ。


 そんな惨状の中で、注視しなくても分かるほどに異様な気配を放つ物体が一つだけある。


 荒れ果てた部屋の中で、まるでそこだけ何事もなかったかのように、全くもって綺麗なまま壁に飾られている絵画。

 黄金色の豪華な額縁の中で、血肉の朽ち果てた髑髏が大きく口を開け、まるで何かに縋り付くように額の淵に向かって手を伸ばしている。

 そんな不気味な絵が、僅な汚れも傾きすらもなく、まるで我こそがこの館の主人だとでも言うわんばかりに只々ただただ静かに鎮座していた。



「――あった! あれだな」


「気を抜くんじゃないよ。何が起こるか分からないからね」


 シスターに付き添われ部屋に入ると、一歩、また一歩と慎重に絵画に向かって歩を進める。

 散らばったガラス編や雑貨を避るため、足元に気を配りながら進むうちにある事に気がついた。


 床に敷かれた豪華なカーペット……その一部が真っ黒な染みで汚れている。


 慌てて周りを見渡すと、染みはその一ヶ所ではなかった。

 部屋のそこら中にある黒い染み……。

 ある箇所では大きな黒い塊となり、ある場所では飛沫のように飛び散り壁に点々とした跡を残す。

 そして、その跡はガラス窓にも……。ただ、ガラスに残るその影は、黒ではなく――赤。

 赤く染まったガラスを通して差し込んだ月明かりが、この部屋を真っ赤に染めているのだ。


 ――あまり考えたくはないけれど……間違いなく血痕だろう。


 その有様にゾッとし、この部屋で起きた惨事を想像しそうになる。



 ――その時。


 窓の外でけたたましい鳴き声が響き渡った!


 突然の事に驚き、思ず身をすくめて固まってしまう。……が、よく見れば単に鳥が飛び去っただけのようだ。


 ホッと肩を撫で下ろし、再び絵画に向き直ろうとしたところ――



「――っ! 油断するなと言ったそばから――!!」


 突然叫び出したシスターに思いっきり突き飛ばされる!

 その怪力で、1メートルほど宙を舞い尻餅をついて床を転がった。


「――いってー! ちょっとシスター! いくらなんでも――」


 お尻をさすりながら起きあがろうとし、シスターの方を見て愕然とする。


 目に飛び込んできたのは、シスターの全身に絡みつく血塗られたような真っ赤な……“手”!! 蛇のように蠢く無数の手が、シスターの全身を這いずり回り、今にも覆い尽くそうとしている。

 その手の出所を目で辿ると……絵画から伸びた血痕のような赤いシミが、床をつたいシスターの足元まで伸びてきていた!



「に、逃げ……るんだ――」


 必死にもがきながら俺に向かって最後の言葉を投げかけるシスター。

 その目がどんどんと真っ赤に血走っていくのが“手”の隙間から見えた。



 ―――




「――皆んなっ! 逃げろ!!」


 二階の廊下からエントランスホールに飛び出すなり、階下のティンク達に向かって大声で叫ぶ!


「えっ!? ちょっと、どうしたの!?」


 驚いてこっちを見上げるティンク。


「いいから早く! 屋敷の外へ――」


 そう言いかけた瞬間、激しい音と共に背後のドアが消し飛んだ!

 勢いそのまま突っ込んで来た“ソレ”の突進を受けて、俺の体がふわりと宙に浮く。


 そのまま吹き抜けへと放り出され、一瞬の無重力を感じた後、グンと重力に引っ張られ地面へと引き寄せられていく。


(ま、まずい――!! 落ちる……!)


 目の前にまで迫った天井のシャンデリアが視界の中でどんどんと遠く小さくなる。



「ご主人様!」

「危ない!!」



 ちびっ子達の叫び声が聞こえた次の瞬間、背中から思いっきり床へと落ちた。

 受け身も取れずに落ちたようで、全身に激しい痛みが走り衝撃で息が出来ない――!


「――って、っ痛ってぇ」


 その場でのたうちまわり、吐くしか出来ない呼吸を何度か細かく繰り返した後に、どうにかやっと息が吸えた。

 あまりの痛さに一瞬死んだんじゃないかと思ったけれど、幸い身体はまだ動くようだ。


(我ながら、あの高さから突き飛ばされてよく無事だったな――)


 どうにか息を整え辺りを見渡して――再び息が止まる。

 ……直ぐ傍で、ちびっ子達が俺の下敷きになって倒れていた。


「お、お前ら!!」


 身を呈して俺を受け止めてくれたようで、2人とも顔や腕を擦りむいている。

 いや、その程度じゃない。――木の盾ちゃんの右腕、それと麻の服ちゃんの左手首……明らかに折れてる。



「……だ、大丈夫ですか。ご主人様?」

「……お怪我は?」


 どう見ても俺より重症なのに、心配そうに俺を気遣ってくる二人。


「お、前ら、馬鹿野郎! 何やってんだよ、無茶にも程があるだろ!?」


「……ご主人様こそ、何言ってるんですか」

「そうですよ、大袈裟な声出さないでください」


 揃ってふらふらと立ち上がる二人。


「だっ、大丈夫ですか皆さん!?」

「ち、ちょっと! 二人とも動かないで! ……アンタも大丈夫!?」


 慌てて駆け寄ってくるシルバーソードさんとティンク。


「ティンクさんまで何言ってるんですか」


 辛そうなのを我慢してにっこりと笑う木の盾ちゃん。


「そうですよ。私達……“防具”なんですよ! ご主人様を庇うなんて当たり前のこと」


 麻の服ちゃんが折れた腕を押さえながらヨロヨロと俺の側にしゃがみ込む。


「……よかった、大きなお怪我はないですね。……もぉ。せっかく少しは防具らしい事が出来たのに、そんな酷い顔しないでください」


 そう言って、震える手で俺の顔を撫でる麻の服ちゃん。


 俺、そんな酷い顔してるのか?


 頬に添えられた麻の服ちゃんの手を握り返す、自分の手が震えている事に気付く。



 そんな一瞬の沈黙の中……


『オ――オオオオオ!!!』


 二階から獣のような雄叫びが聞こえてくる――。



「な、何あれ!?」


 ティンクの声に釣られて一斉に空中廊下を見上げると――。


 目を真っ赤に血走らせたシスターが、十字架を肩に掲げて俺たちを見下ろしていた。

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