06-18 ジェルマン家に纏わる噂
「――そういえば。ジェルマン家といえば変な噂を聞いた事があります」
ルルさんがやや声色を落とし内緒話をするかのようにこっちへ顔を寄せてくる。
「……変な噂?」
「えぇ。前の当主様が亡くなられて暫くした頃、現当主のサン・ジェルマン伯爵も大きな病気で療養していた時期があったそうなんです。幸い病気は完治したそうなんですが、その後伯爵は気が狂ったかのように人が変わってしまったと。何を思ったのか、屋敷の使用人を突然大量に解雇してしまったそうです。それこそ最低限の人員だけを残し他は全員解雇だったとか。お陰で沢山の人が職を失ったと聞きました」
「あの大きな屋敷を管理するとなるとかなりの人手がいるはずだけど……そんな事して大丈夫だったんですか?」
屋敷というのはその大きさに比例して維持の手間も増える。
うちの実家のそう大きくない屋敷でも、数人のお手伝いさんが非常勤で来てくれて掃除やら庭木の手入れなんかをやってくれている。
ジェルマン家規模の屋敷となると相当数の使用人が居ないと維持管理出来ないはずだけど……。
「いいえ。だから今ではあの大きな屋敷の半分以上は使われていないらしいと噂されていますね」
うーん。そうまでして身近に庶民を置きたく無いって事なのか?
昼間会った刑事さんの話だと、警察ですら屋敷内には入れてくれないって話だし。
あの伯爵の人間不信も相当なもんだな。
……
お茶を飲み終えると手分けして食事の後片付けを始める。
ルルさんが食器を洗い、俺が布巾で拭く。
ティンクは食器を運んだり机の上を片付けたり。昨日今日出会ったばかりとは思えない、我ながらピッタリ息のあった動きだな。
「あの……明日もまだ泊まっていってくれますよね?」
綺麗に洗った皿を手渡しながらルルさんが聞いてくる。
「えぇと……もし泊めて頂けるなら」
少し遠慮気味に笑いながらルルさんの顔を見る。
「もちろんです! 是非泊まっていってください!」
目を輝かせてまるで子供のように小さく飛び跳ねて喜ぶルルさん。居候させて貰ってる上にこうも喜んで貰えるなんて感謝の極みだけれど……。とはいえ、ずっとノウムに居る訳にもいかない。
「ありがとうございます。……ただ、明日には多分仕事も終わる予定なので、そうすると明後日にはモリノに帰ろうかなと思ってます」
お皿を洗うルルさんの手が止まる。
「そうですか……」
寂しそうに俯くルルさん。
その様子を見て、俺もティンクも何も言えず黙って顔を見合わせる。
「あ、ごめんなさい! お二人と一緒に居ると、楽しくてつい。お二人共お仕事でいらしてるんですもんね。――明日もう一日だけですけど……是非ゆっくりして行ってくださいね」
「――本当にありがとうございます。ルルさんに会えて良かったです」
「……ねぇ! 今日も寝る前にいっぱいお喋りしましょ! 昨日途中になってたルルの恋話、最後まで聞くまで今日は寝ないんだから!」
後ろから忍び寄ってきたティンクが悪そうな笑みを浮かべてルルさんの脇腹をくすぐる。
「ちょ、ティンクさんやめてください! く、くすぐったいです!」
慌てて身を捩りながらも、皿を手に持っているため反撃出来ないルルさん。やがて大笑いしながら床にへたり込んだ。
それをいい事にさらにセクハラを続けるティンク。
家の中に一際無邪気な笑い声が響き渡る。
まったく、明日は大事な仕事なんだから夜更かしは勘弁してくれ……と普通なら言いたい所だけれど、ルルさんが楽しそうに笑ってくれるなら、それは何より。
こう言っちゃなんだが、賞金なんてもはや既にどうでも良い。
今俺達に必要なのは『真実』
――サン・ジェルマン伯爵が手に入れたという"賢者の石"。それと、ルルさんのお父さんの研究がどう関係しているかは分からない。
ただ、“賢者の石”なんて偽物であったとしてもそうホイホイ出て来るような代物じゃない。
そんな物がノウムにたまたま2つあったとも考え難いし、この2つの出来事には必ず何か関連があるはずだ。
もし賢者の石の実物を手にする事が出来れば、そこから分析して成分や構造をあの研究ノートと照らし合わせる事が出来る。
上手くいけばお父さんの無実を証明する何らかの足掛かりに出来るかもしれない。
それが錬金術師として俺が今ルルさんにしてあげられる事。
明日は何としても怪盗キティー・キャットを捕まえて“賢者の石”の実物をこの目で確かめるんだ!
―――――
時を同じくして。
ジェルマン邸にて――
サン・ジェルマンは夜の
……
……全く、忌々しい庶民どもめ。
この私の許しも請こわず、連日連夜屋敷の周りをうろつきよって。
こんな事になるならスピカのバカげた提案になど乗るのではなかったわ!
……とはいえ、やっとの思いで手に入れた"賢者の石"をみすみすコソ泥などにくれてやる訳にもいかぬし……
――クソッ!! あと一歩、あと一歩の所だったというのに!!
……まぁ、焦る事はない。
明日キティー・キャットさえ捕まればそれで万事解決だ。そうなれば"八つ裂きジャック"も"キティー・キャット"も檻の中。
その二人さえ抑えてしまえば後は何とでもなる。
ロンド市警は私の言いなりだ。
八つ裂きジャック逮捕の決め手となった"賢者の石"の研究。それを口実にあの男を牢へとぶちこんでやったが……それから日を置かずして"賢者の石"を手に入れたという理由で当然ここにも調査に来た。だが、少し脅してやったらそれ以来追及もして来ん。
大丈夫……もうじき全てが上手くいく。
……その筈なのだが。――何だ、この胸騒ぎは?
昼間捕まえ損ねたあの小僧たち。
特に金髪の女。屋敷から隠れて見ておれば、あやつ"中庭"の辺りばかりをずっと気にしておるではないか。
まさか秘密に感づいて――いや、そんなはずはない。
中庭は外からは絶対に見えんはずだ。
まったく、スピカが知り合いだなどと言い出さなければ今頃警察の牢の中だったというのに……。
……
「お父様、食事の準備が整いました」
「――スピカか」
「はい……どうかされましたか? 酷いお顔」
「あぁ。キティー・キャットの件だけでも鬱陶しいというのに、連日に渡って薄汚い庶民どもが屋敷の周りをうろつきよるからな。――まぁそれも明日までだ!」
「……そうですか」
無愛想に呟くと、一礼だけして部屋を後にするスピカ。
元々気の強い子だったが最近の態度は目に余るものがある。この一件が片付いたら一度"躾"をしてやらんといかんな。
いつまでも調子に乗っていられると思うなよ。
お前を溺愛していた"祖父"はもう居ないのだからな――。
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