其の十三:春燦々接近遭遇[5/8(火)]

 炎が燃えている。

(ああ、またこの夢だ)

街灯も無い真っ暗な山道。さっきまで揺られていた車は大破たいはし、炎に包まれている。路面に散らばる炎があたりを照らす。飛び散ったガソリンが燃えている炎だ。

――おとうさん!おかあさん!――

少年が辿々たどたどしい口ぶりで泣き叫ぶ。

――こわいよう、さむいよう――

父親はすり潰されて路面の染みになっていた。後に伯父おじからの伝聞で知った。

(起きないと。早く起きて、この夢を終わらせなきゃ)

夢、というのは少し語弊ごへいがあるかもしれない。なぜならこれは彼の記憶、そのリプレイに過ぎないからだ。

 15年前に人知れず起きた惨劇さんげき。キャンプ場から帰る乗用車が炎上し運転していた男性とその妻が死亡。後部座席にいた当時5歳の子供だけは救助され、命を拾った。公には事故として処理されたが、実際はモノノケ『火車』が車を襲っていた。

「イヤーッ!イヤーッ!」

火車の鳴き声が響く。錆びついた門扉もんぴきしむような嫌な声だ。

「……たける!どこにいるの、武!」

――あ!おかあさん!――

母親の呼ぶ声がする。少年は声の方へ走り出した。

「たけ、る……」

母親がいた。炎に包まれ、全身が焼けただれていた。

――おかあさん?――


 そこで目が覚めた。

「っ……!」

武は声を殺した悲鳴をあげて飛び起きた。端末を起動して時刻を確認する。

「9時か……。変な時間に起きちゃったな」

配信と編集作業を終えて床に着いたのは朝の6時。3時間しか寝られていない。

「静かだな」

桜子、唄羽、清森、それに伯父のまもる。この時間帯になるとみんな学校や仕事に出ている。

「おはよう」

台所に顔を出す。

「おはようございやす。眠れないんですかい?」

狐面で顔を隠した若い男が皿を洗っていた。

「うん。薬研やげん、なんか食べていい?」

「構いやせんよ。そこに卵焼きがありやすでしょう」

「ん、わかった」

武が箸立てから自分の箸を取る。

「……また、夢を見たよ」

卵焼きをもそもそと口に運びながら、武が呟いた。

「そうですか」

薬研はそれ以上何も言わなかった。武が産まれる前から屋敷に勤めている彼は、そのあたりの複雑な事情もしっかり理解しているのだ。


 広間から見える庭は午前の光に照らされている。

「今日はお早いんですね」

たまきさん」

環が武の隣に正座する。

「何かあるんですか?」

「……ちょっと、目が冴えちゃって」

「あら、そうだったんですね」

環が壁にかかった時計を見る。時刻は午前10時になる所だ。

「なら、少しお散歩でも行きましょうか」


 山から伸びる一本道を下ると、ふもとに向かう道路に出る。

「いいお天気ですね」

スポーツウェアに着替えた環が軽やかな足取りで歩いている。

「そうですね」

武はその後ろをついて歩く。

「そろそろ田植えの季節ですね」

トラクターが道路に土のわだちを付けている。

「お友達が健康のためにウォーキングしてるって話を聞いて、私も始めてみたんです。向こうのコンビニまで歩いていくだけでもけっこう効くんですよ」

最寄りのコンビニまで車で10分、自転車でも40〜50分。そこまで歩いて往復するとなると結構な運動になる。

「あ、そう言えば。お義姉ねえさんたちのお墓参り、今年はまだ行けてなかったんですよね。連休中はちょっと立て込んでて」

「俺一人で行ってきましたから、お気遣いなく。十三回忌もとっくに過ぎたんですから」

「もう少し私たちを頼ってくださいよ。武くん、まだ二十歳はたちなんですから」

「もう二十歳、ですよ」

「そうね。……本当に、大きくなって」

環はそう言って微笑んだ。


 「姉さんが死んだ。警察から電話が来た」

15年前のあの日、環は夫に付き添って警察署に向かった。

「夜中にドンドンドン!って玄関をノックしてさ。『お母さんとお父さんを助けてください』って、泣きそうな声で」

そう語ったのは武を保護してくれた老人だ。

「おとうさん……おかあさん……」

少年はティラノサウルスのぬいぐるみを抱いてうつむいている。足の豆が潰れたのだろうか、白い靴下は血で汚れていた。

「この子、うちで引きとらせてください」

火村ほむら夫婦はなかなか子宝に恵まれなかった。

「あなた、この子に言霊師ことだましの責務を継がせるつもりですか」

「家を離れ、相生そうしょうを違えた姉の子だ。……それでも『火村』の血筋に変わりはない」

まだ幼い、普通の家庭で育った子供。命懸けの過酷な責務を背負わせる負い目は当然あった。

「俺の代で火村の血を絶やすわけにはいかない。人非人にんぴにんとなじってくれても構わないよ」

衛も環もモノノケと戦えるほどの力はない。二人にできるのは、子供たちの無事を祈ることだけだ。


 コンビニに着いた。町に最近できたコンビニで、住民たちには小さなスーパーとして親しまれている。

「ここのイートインで休むんですか?」

武が聞く。時刻は午後1時になる所だ。

「いいえ。この近くに古民家カフェがあるんですよ」

コンビニの向かいの日本家屋に何台か車が停まっているのが見える。

「インピクとかテレビでも話題で、一回行ってみたかったんです」

店内に入ると、農作業終わりの人たちがくつろいでいた。

「いらっしゃいませー!お好きな席どうぞー」

奥のキッチンから女性の元気な声が飛んできた。

「ひっ」

武が小さく叫ぶ。

「あ、ごめんなさいね気が利かなくって」

「い、いえ、大丈夫、です……」

二人は一番入り口側の席に座った。

「はいこれお茶ね」

湯呑みに入ったほうじ茶が運ばれてきた。

「あらー!火村様んとこの奥様じゃないですか!」

「あら、町内会の真路まじさん」

「すいませんねこんな、小汚いお店で。アッハッハ!」

壮年の婦人は豪快に笑った。

「はいこれメニュー。注文決まったら呼んでくださいねー」

テーブルにメニューを置くと、彼女は嵐のようにキッチンに戻って行った。

「じゃ、じゃあ、何を……」

武がメニューをめくる。

「ただいまー」

入り口から少女が顔を出す。

「あらレンちゃん!お友達も一緒?」

恋天使れんじぇるが頷く。彼女の後ろには太樹たいじ唄羽うたはがいた。

「へえっ⁉︎」

武は奇声を上げてメニューを取り落とした。

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