第三章:「猿夢」顕現未遂時の記録

第10話:大型連休、前夜[5/2(水)]

 5月上旬。世間一般では大型連休の季節だ。

「伝承研究会創設からはや一ヶ月……。やっぱりというかなんというか、大した活動はできていないよね……」

図書室のすみっこで真路まじさんがため息をついた。

「有力そうな情報は何件かありましたが、全部インターネット上の創作の受け売りでしたね!」

「ウワーやめれボーケン!みじめになるー!」

『ボーケン』というのは内房くんのあだ名だ。手戸くんが発信源らしい。

「連休中の部活はどないしはるんですか?」

「そもそも調べる題材がないし、連休中は部活なしで……。まあ、各々おのおののモラトリアムを楽しんでいただければ、ね」

大型連休が終われば体育祭や中間テストが待ち受けている。部活動も大会に向けて本格化するだろう。休日を楽しめるのはこれが最後かもしれない。

「じゃあ、今日のところは解散で。お疲れ様でした」


 まだ他の部活は活動中だ。予習復習をする気にもなれず、俺は校内をぶらついていた。

「お!太樹たいじ、部活終わったのか?」

「兄さん。そっちこそ部活は?」

「休憩中。連休から練習試合入るし、コンディション整えておかないとな!」

「練習試合……」

樹花じゅかも連休は交流試合入ってるらしいしな。また夜まで練習の日々に逆戻りだ」

「そう……」

そう言いつつも、兄さんの声は明るく弾んでいる。

「……兄さんは」

「うん?」

「兄さんは、平気なのかよ」

兄さんが俺の肩を抱く。

「太樹。お前の気持ちはよく分かるよ。でも、俺たちが落ち込んでいても泰樹しんじが帰ってくるわけじゃ、」

「わかってるよ‼︎‼︎」

兄さんの手を振り払った。

「太樹……」

後ろで兄さんの声がした。俺は振り返らなかった。振り返りたくなかった。


 家に帰ってきた。夕飯を済ませて風呂に入って、自分の部屋の机に向かった。

(今日の授業の復習……。ついでに連休中の課題も進めなきゃな)

数学の問題集、長文読解、穴あきの問題。タブレットの画面をスクロールしていると気分が沈んでくる。

(これ全部やるのか……)

げんなりしたところで課題の量が減るわけでもない。

(復習やって、課題やって、課題が終わったら休み明けの予習もしないと)

テキストとメモを見比べながら授業の内容をノートにまとめていく。

(ただでさえ一週間休んでたんだから、ここでしっかり追いついていかないと……)


 誰かに名前を呼ばれた。

『太樹』

泰樹の声だ。

(泰樹⁉︎生きてたのか!)

『楽しそうだな』

泰樹の言葉に俺はとまどった。

(そうかな……。勉強は難しいし、正直言って毎日キツいよ)

『でも、生きてるだろ。生きて、学校行って、友達まで作って』

振り向いても泰樹の顔は黒くにじんでよく見えない。

『お前だけ幸せになるなんて、ズルい』

泰樹の顔は、あの夜のバケモノだった。

『俺とお前は、ずっとオソロイだったよな?なんでお前だけ幸せなんだよ』

(そんな、むちゃくちゃだ!)

『苦しめ、苦しめ!俺が苦しんだのと同じ分だけお前も苦しめ!』

(イヤだ!イヤだ!イヤだーっ‼︎)


 目が覚めた。

(居眠りしちゃってたのか)

時刻表示は日付が変わったあたりだ。

(また、似たような夢だ……)

泰樹が死んだあの日から、毎晩のように夢を見る。自分の部屋・学校・見覚えのある、なのに知らない場所。場所は違っても夢のストーリーはたいてい一緒だ。

『俺は死んだのに、なんでお前は生きてるんだよ』

泰樹が俺に、そう言ってくる。そんな夢。

(口の中カラカラ……。一回水飲んでこよう)

台所に向かうために階段を降りる。

「……、……」

誰かの話し声が聞こえる。

(電気ついてる。樹花が友だちと通話でもしてるのかな)

電気がついていたのは和室だった。

「泰樹。お前がいなくなってから、みんな塞ぎこんじゃったよ」

線香の煙が細くのぼっている。

「兄さん、正直めちゃくちゃしんどいよ。早くいつも通りの我が家うちに戻ってほしいんだ。でも、母さんは夜勤のパート増やしちゃうし、父さんは出かけてる時間が増えてるし、樹花も無茶な鍛え方してるし。太樹だってずっと、今にも死にそうな顔してるからさ。みんなの事見てると、兄さん何だかつらくなってくるんだ」

正座をしてうつむいている兄さんの背中は、いつもより小さく見えた。

「なあ泰樹。もし、まだここにいるんならさ。夢枕でもなんでも立って、みんなに言って聞かせてくれよ。『俺の事は気にしないで。自分の人生をちゃんと生きてくれ』って。なあ、頼むよ……」

声がふるえている。どんな顔しているのかはわからないけど、なんとなく泣いているような気がした。

「兄さん」

自分でもびっくりするくらい、かすれた声だった。

「ああ……。太樹、まだ起きてたのか。勉強もいいけど、夜更かしすると背が伸びなくなるぞ」

振り向いた兄さんの目は涙でうるんでいる。

「兄さん、あのさ……」

俺は、少しずつ兄さんに歩み寄った。

「ごめん。昼間は、その……。言いすぎたよ、俺」

「うん?何の話だ?」

兄さんの前に正座する。

「自分のことで、いっぱいいっぱいで。兄さんがつらいかもなんて考えてもいなかった。兄さん一人に抱え込ませちゃってた」

どうしてか、涙が握りしめた手の甲に落ちてきた。

「今すぐ、いつも通りにはなれないと思うけど。俺、前を見て生きてみるよう頑張るよ。多分、それが泰樹のためにもなるだろうし」

兄さんの顔は見られなかった。薄情者だと思われたかもしれないと思うと、怖くて。

「太樹」

兄さんが口を開いた。

「ホットミルクを作ろう。ハチミツを入れて」

いつも通りの、元気で優しい兄さんだった。

「二人でホットミルクを飲んで、そしたら、ベッドに入って朝まで眠ろう」

「……うん。そうしよう」

その夜は夢を見なかった。俺を許していなかったのは、泰樹じゃなくて俺自身だったのかもしれない。

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