其の七:見廻四方山話[4/8(日)]
日没から少し経ち、空が
「んじゃ、軽く見回り行ってくる」
「お気をつけて下さいやせ、
玄関に姿を表した武はジャージとサンダル姿だ。
「あ、そうだ
「はい。どちらかでご不幸が?」
「唄羽の同級生。例の『マルゴン』に関わってるらしいから、聞き込みついでに線香でも上げにいこうかと思ってさ」
『マルゴン』とは言霊を悪用した犯罪のことだ。
「なるほど。なら、いくらか包んでおきやすよ」
「助かる」
廊下の方から足音がした。
「たけさん!」
「唄羽」
走ってきた唄羽は調伏の装束に身を包んでいる。
「うちもついていってええですか」
「いいけど……。多分、そこまで重装備じゃなくてもいいよ」
「?」
武の言葉に唄羽は首をかしげる。
「今日はモノノケのなりかかりを軽く掃除するだけだし。本格的な戦闘はないと思うから普通の服でいいよ」
「あ、はい。『
唄羽の装束が消え私服に戻る。白いフリルブラウスの裾をライトイエローのキュロットパンツにしまっている。
「行ってくる。2時間くらいで戻るよ」
「はーい、いってらっしゃいませ」
武と唄羽は山間を分け入っていく。薬研は二人の姿が見えなくなるまで見送った。
夜の山には光がない。月の光は木々の隙間から森を照らすには弱いからだ。
「丑三つ時――深夜2時くらいが一番モノノケが活発になる」
二人は飛び石を渡るような足どりで山を歩く。武が先導し、唄羽がそれに続く。
「それやったら、その時間帯に見回りしたらええんやないんですか?」
「万全の状態じゃないうちに倒しておいた方いいでしょ」
「そ、それもそうですね。すみません」
雑談をしながら山全体を見回る。発生初期のモノノケなら、
「そういえば」
「はい?」
「昨日のモノノケについてなんだけど」
武が話を切り出した。
「倉にいる『右手さん』に聞いてみたんだ」
「『右手さん』……。
「人じゃないよ」
「えっ?」
「『右手さん』は筆に取り憑いてるモノノケ。江戸時代の初めくらいから生きて……いや、モノノケになってるから生きてるわけじゃないのか?まあ、うちの屋敷では一番のベテランだよ」
「モノノケやのに
「モノノケの出現情報とか言霊師の活動を記録し続けてるだけだし。俺らもあの人の情報網とかデータベースとかに結構助けられてるんだよね」
「すごい方なんですね、右手さん」
唄羽が感心する。
「ま、それはさておき。右手さんに調べてもらった結果、あのモノノケは『存在しない』」
「えっ?でも……」
「もっと言うと『今まで確認されていないし、
「つまり、どういう事なんですか?」
「うーん、難しいな……」
武が考え込む。
「フィクションの怪異を誰かが現実に引きずり出したって感じ、かもしれない」
「そやけど、モノノケってうわさ話から生まれる事もあるでしょう。それと何が違うんですか?」
「言い方が悪かった、ごめん。フィクションの怪異ってのは『特定の人間が創作した怪異』だね。ホラー映画とか、アニメとか、いわゆる「元ネタ」があるやつ」
「『貞子』とかですか?」
「そうそう。そういうのは『それ、元ネタあるよね』でうわさ話の
武は立ち止まり、空を見上げた。
「黒幕がいるはずなんだ。一般人を犠牲にして、モノノケを産み出してるやつが」
怒りのこもった声だった。
「ま、こんな所で
「たけさん」
「そろそろ戻ろう。夕飯食べたら着替えて、それから線香あげに行こう」
「はい。今日のお夕飯、なんでしょうね」
「なんだっけ。忘れちゃった」
屋敷に戻ってきた。玄関にたくさんの靴が脱ぎ散らかされている。
「おかえり。はやかったな、たける」
小さな女の子が
「なんだ
「まだ7じだぞ。かおるはぜんぜんねむくなんかない」
香は武の姪っ子だ。今年で2歳になる。
「香ちゃん、ずいぶん喋れるようになったんやなぁ」
「かおるは「はついく」がいいからな!」
香が胸を張る。
「きょうはすきやきだぞ。たけるとうたはのぶんは、かおるのへやにとってあるからな」
「了解」
台所の横が、屋敷の主人でもある
「とうさまのおともだちが『にじかい』にきてるから、かあさまもおてつだいもおおいそがしだ。かおるはひとりでさみしかったんだぞ」
「はいはい、すいませんね」
カセットコンロの上で鍋が煮えている。武と唄羽、香の三人が鍋を囲んでいる。
「清森さんと
「きよもりは『いべんと』のうちあわせ。さくらこはもりのしんの『でぃなーしょー』にいった」
「ほな、一人でずいぶん寂しかったやろう?」
「さいしょからそういってる」
香はすっかりすねている。
「泣くなよ香。ほら、うどんやるから機嫌直せって」
「ものでつるな、おとなげないぞ」
「じゃあうどん食べないのか?」
「たべる!」
香は子供用のフォークを握った。溶き卵に浸かったうどんは短く切り分けられている。
「唄羽、黒っぽい服持ってる?」
武が牛肉と白菜を唄羽の皿に取り分ける。
「スカートと、あとカーディガンなら黒いのあったような」
「じゃあそれに適当なトップス合わせて、前閉めておけば大丈夫でしょ」
「『おつや』はもふくでいっちゃだめなんだもんな。かおるしってるぞ」
「よう知ってはるね」
「ふふん」
香が誇らしげに胸を張る。鍋はあらかた空になっていた。
「じゃ、着替えて行きますか」
「はもみがかないとだめだぞ」
「はいはい」
コンロと食器を台所に置く。武と唄羽は着替えるために自室に戻った。
時計の針は夜の9時にかかろうとしている。
「お悔やみも持ったし……。財布も端末もあるから、何かあっても大丈夫だろ」
武は黒いTシャツに黒いズボン、その上から黒のジャンパーを羽織っている。
「たけさん。薬研さんが車出してくれはるって」
「了解。じゃ、行きますか。香、屋敷を頼む」
「たけるにたのまれなくたってだいじょうぶだ」
車のエンジンがかかる。武と唄羽は窓越しに手を振った。
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