其の五:微睡過去回想[4/8(日)]

 玄関はホームルームを終えた新入生たちでごった返していた。家族と電話する人、友人と駄弁る人、走って下校する人。人の波に飲まれないように迎えを待っていると、一本の電話がかかってきた。

「はい、もしもし」

『唄羽。今どこにいる?』

「あっ、たけりゅさ……」

唄羽の声が裏返る。

『「りゅ」?』

「たけ、たけるしゃ……」

気が動転して「たけるさん」が言えないようだ。

『「タケさん」なら言える?』

「たけさん」

『オッケーオッケー。ま、それはさておき』

武が話を切り出した。

『お呼びだしだ。場所は「きじま寿し」』

「きじまずし……??」

謎のひらがな5文字が唄羽の脳裏でフォークダンスを踊る。

『皇居の近くにある寿司屋』

「あ、お寿司屋さんなんですね」

『うん。で、先方が唄羽にも同席してほしいんだって。車で拾っていくから、学校前で待っててくれ』

「はい、わかりました。タケさん」

『そういう事で、よろしく』

武が通話を終えるのを待ち、唄羽も電話を切った。


 迎えの車が来た。正門前は保護者の迎えの車で大渋滞だ。

「さ、お乗りなすって」

「ありがとうございます」

武は助手席に乗っていた。広々とした後部座席に唄羽が収まる。

「疲れただろうし、着くまでゆっくりしててよ」

「はい」

しかし、意識してゆっくりするのも中々難しい。

「しかし『マルゴン』たぁ穏やかじゃありやせんね。昨晩のモノノケもそうなんで?」

「ほぼ確。『変生へんじょう型』のモノノケにしては強い執着も感じなかったし」

「誰かが人間をモノノケに変えたってえ事ですかい?不埒ふらちな輩もいたもんです」

暖かな日差しが差し込む中、難しい話をBGMに車に揺られる。だんだんと眠くなってきて、唄羽は瞼を閉じた。


 唄羽の人生には、ずっと死んだ姉の影が落ちていた。

 唄羽には7歳上の姉がいた。13年前、唄羽が3歳の時に彼女は行方不明になった。

『唄羽ちゃん、音羽ちゃんの分まで気張りなさいよ』

盆に正月、春秋のお彼岸。親族と顔を合わせるたびにいつもそう言われてきた。

『音羽ちゃんがあんたくらいの頃にはねぇ……』

優秀な姉の思い出話には、決まってその枕詞が付いてきた。

『あれまあ、音羽ちゃんによう似とるわぁ』

お下がりの服に袖を通すと、誰も彼も唄羽越しに音羽を見ていた。実の母ですらも。


 言霊師ことだましの筆頭、五行家ごぎょうけの一角。すなわち名門である手奈土てなづち家の当主には実力と品格が必須。その教育方針のもとで唄羽は厳しい修行を積んできた。

 食事の作法を一つでも間違えればその時点で食事抜き。多種多様な武術を見よう見まねで習い、型を習得するまで延々と練習させられた。

『貴女は半人前なのだから人の倍努力してようやく人並みなのよ。当主として人の上に立つのですから、人の三、四倍は努力なさいな』

教育係だった叔母の口癖だ。口答えすれば平手が飛ぶ。返事をしなくても平手が飛ぶ。

『おねえちゃん。うちも、そっちに行かしてや』

遺影の中の彼女はあまりにも幸せそうで、唄羽にはそれがたまらなく羨ましかった。


 中学校に入学した時の事だった。

『唄羽ちゃんもクラスのグル入りなよー』

『すんまへん。うち、携帯やら持ってへんさかい……』

『ふーん』

その時の冷たい相槌は今でも鮮明に覚えている。

『手奈土さんさあ、もっと協調性を持たないとダメだよ。友達と遊んだりとか流行ってるものチェックするとかさ』

『周りから「みんなとは違う子」って思われたいのかもしれないけどさ。そういう常識的な付き合いは最低限やっておこうよ。じゃないと、みんなに嫌われちゃうよ?』

(みんなと違うと、嫌われる)

かつての同級生の言葉が今も胸に刺さって痛む。唄羽には『みんなとおそろい』を作る時間も、それを求める自由もなかった。

 目立たないように。周りから浮かないように。普通の人生を望んでも、周りがそれを許さない。二次性徴が始まり、唄羽の体が変化してくるとことさら顕著けんちょになった。

『A組の手奈土ってさあ。超エロくね?』

『わかる。超ヤりてぇわ俺。アイツと』

『ギャハハ!それな〜!』

異様に膨らんだ胸。見苦しく脂肪のついた臀部でんぶ。周りの女子より頭半分ほど低い身長。唄羽は自分の体型が嫌いだ。

『大して力もない癖に余計なところの肉ばかり付くのね。やっぱり種が悪い子はダメねぇ、私がこんなに手をかけて育ててあげたのに、男にけつを振るくらいしか出来やしないんだから』

男の劣情を誘うような体に育った唄羽を、叔母はひどく毛嫌いした。


 2年前、初めて東京に行った。火村家の当主に子が産まれたので、そのお祝いだった。

まもるさんもたまきさんも、本当によく頑張ったわねぇ』

夫妻は長らく子宝に恵まれていなかった。そのため、今までは夫妻のおいが次期当主として修行を積んでいた。

『ほんに、おめでとうございます』

『そう?むしろかわいそうだろ』

それがたけるだ。

『かわいそう?』

首を傾げる唄羽の耳元に武が顔を寄せる。

『普通の家に生まれていれば真っ当な人生送れたのに、よりによってこんな家に産まれちゃってさ。しかもよりによって当主の嫡子ちゃくしかおるは産まれた瞬間から次期当主様なんだよ?これがおめでたいとか、逆に言ってるやつの頭がおめでたいよ』

武は火村家で産まれたのではない。5歳で両親を失うまでは普通の家庭で暮らしていた。

『そ、そうなんですか……?』

『そうだよ』

『そうなんや……』

当時武は18歳。まだ中学生の唄羽からみれば博識な大人だった。

『あらあら。二人とももうすっかり仲良しさんやなぁ』

『唄羽ちゃんの未来のお婿さんだもんな。武、優しくしてあげるんだぞ』

『うん』

実際は内緒話をしていただけなのだが、随分と好意的に取られたようだ。

『俺、唄羽を守るよ。絶対に』


 唄羽が飛び起きる。

「あー唄羽超カワヨ。寝顔までカワイイとか最早最強……」

腑抜けた顔の武と目が合った。

「ヴェッ⁉︎ううう唄羽、どっから起きてた⁉︎」

「どっからって、何がですか?」

「あー、聞いてないし聞こえてないね。ならオッケーだ、うん!全然オッケー!」

武は異様に動揺している。

(一体、何を喋っとったんやろ?)

「ほらほら、坊っちゃんがた。直に着きやすよっと」

見渡すとどこを見ても高層ビルだ。

「あのう……。今から、誰と会うんですか?」

「ああ、唄羽はまだ当主襲名してないから会うの初めてか」

武が襟を正し、背筋を伸ばす。

おおとり 大仁ひろと。宮内庁特定怪異対策室室長。ついでに、俺たち言霊師がお仕えするお人だよ」

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