其の四:唄羽清森朝稽古[4/8(日)]

 襖の隙間から差し込んだ光が唄羽の顔を照らす。枕元の時計を見ると朝5時半を少し回ったところだった。

「早起きしすぎてしもうたかな」

唄羽は寝巻きからゆったりしたワンピースに着替え、髪を耳の後ろで二つに結んだ。

 玄関に向かい郵便受けを確認する。

『費用負担0円!空家を活用して家賃収入!』

『空家売ってください!解体費用は一切請求いたしません!』

安っぽいレイアウトのチラシが何枚も入っている。

「おや手奈土のお嬢ちゃん。どうなすったんですかこんな朝早くに」

声をかけてきたのは、火村屋敷まで送迎してくれた運転手だった。

「お早うございます、えっと」

薬研やげんとお呼び下せぇ」

「薬研さん」

薬研の視線が唄羽の手元に向かう。

「構いませんよ。雑用はわっちらでやっておきますから」

「いえ、そないなわけには」

「『郷に入っては郷に従え』でございますよ。ささ、お嬢ちゃんはどうぞごゆるりと」

「は、はい」

まだ朝食には時間がある。ぼーっとしているのもなんだか勿体無い。

「そうや、道場に行ってみよかな」

屋敷には庭に面した道場がある。昨日は屋敷全体を軽く見て回ったが、道場の中には入らなかった。

 廊下を通り道場に向かう。庭に面するガラス戸から朝の日差しが廊下に差し込んでいる。道場につながる扉を細く開けると、そこには先客がいた。

 朝の道場は厳粛な静けさに包まれている。磨き上げられたフローリングに清森の姿が映りこむ。

「ふっ!はあっ!」

清森は自らの霊器『点睛』を振るっていた。空を切る音と踏み込みの足捌きの音が規則正しく響く。

 正面・左右面・左右すね・左右胴・小手・突き。薙刀を扱うようになって最初に叩き込んだ基本の型だ。思案をする時、彼はいつも薙刀を振るう。体を動かしている方が頭も回る。根拠はないがそう彼は思っている。

(昨日のモノノケ、知性が高い割には弱かったな。人間と意思疎通できるレベルならオレ1人でとどめを刺すとか無理だし、普通)

正面。左右面。滴る汗が床に光る。

(武と守ノ神が言ってた『変生へんじょう型』ってのが気になるけど。でもアイツらに聞いても答えてくんなさそうだな。『右手さん』に聞いた方早いか?)

左右すね。左右胴。茶色く焼けた髪が朝の日差しに輝く。

(『変生』か。何がモノノケに成ったんだ?木、動物、人形、水子。あるいは……)

小手を打ち、突きを放つ。

「ひゃっ」

薙刀の刃が唄羽の頭をかすめた。

「あっ!悪ぃ、ケガないか?」

「いえ、大丈夫です」

言霊師の使う武器、霊器れいきは相手を傷つける意思がなければ殺傷能力はない。むしろ清森が心配したのは唄羽が尻餅をついた事の方だ。

「ごめんなさい。道場を見て回っとって、周りをよう見てへんかったんです」

「うん、オレも考え事に夢中になってたわ。ごめんな」

清森が唄羽の手を取る。

「あの。少し、稽古を付けてもらえしまへんか?」

「いいぜ。朝飯ができるまでな」


 唄羽と清森が構える。互いに道場の端を陣取っている。

「……『我が手に有るは黄金こがねの手裏剣、そのめい秋桜コスモスとす!』」

唄羽の手元にチャクラムが現れる。輪が一つしかない代わりに、大きさは宅配ピザ一枚ほどだ。刃は明るい金色で、内側に白い金具が付いている。

「よし、じゃあ行くぞ!」

清森が仕掛ける。攻撃を当てるために、まず間合いを詰めなければならない。

「秋桜、『飛んで』!」

唄羽がチャクラムを横投げで飛ばす。唄羽の手を離れたそれは、彼女を守るように旋回している。

「なるほど、まずは防御を固めてく感じか」

このまま打ち込んでもチャクラムに阻まれる。

「けど、守ってるだけじゃ勝てないぜ」

旋回するチャクラムを薙刀の刃で打ち上げた。

「点睛!『戻れ』!」

そのまま霊器を守護刀まもりがたなに戻し、唄羽の懐に踏み込む。

「秋桜、『来て』!」

打ち上げられたチャクラムが一瞬で唄羽の手元に戻る。刃が届く寸前で食い止めた。

「清森さん!」

なにさ!」

「うち、聞きたい事があるんです」

「聞きたい事?」

刃と刃を軋ませながら二人は話し始めた。

「昨日うたモノノケ、あら一体何なんですか」

「さあな。オレもあんなのと戦ったのは初めてだ」

清森が手に持った短刀を捻る。唄羽は体勢が崩して転がった。

「蔵にいる『右手さん』に聞いてみな」

「『右手さん』?」

「そ。モノノケについてなら右手さんが一番詳しいと思うぜ」

清森が手を差し伸べる。

「お疲れさん。そろそろ朝飯だろうし、この辺にしとくか」

「朝ごはんできましたよー」

道場の入り口から呼ばれている。薬研ではない、女性の使用人だった。


 朝食は広間に用意されていた。桜子が座っていたので、唄羽はその向かいに陣取った。

「いただきます」

白飯とワカメの味噌汁、焼鮭と大根の漬物。黙々と箸を進める。

「そういえば清森は?」

桜子が口を開いた。

「お風呂いただいてから来る、って言うてはりました」

「そっか。遅刻しないといいけど」

唄羽は箸を止めてあたりを見回す。

「あの、他の人たちは?」

「使用人の人たちは別の部屋。武は今の時間寝てるし、シンく……」

桜子が咳払いする。

「守ノ神は仕事に戻ったよ。彼、昨日はかなり無茶言って時間作ってくれてたみたいだし」

「うちのために、ですか」

「そう。そういう所、結構律儀なんだよね」

桜子が立ち上がる。

「ごちそうさま。唄羽も食べたら支度しちゃいなよ」

そのまま広間から出たが、何かを思い出したように戻ってきた。

「あ、食器はそのままでいいからね」

それだけ伝えて、また広間から出ていった。

「忙しない人やなあ」

唄羽はそう呟いて食事を再開した。


 朝食を終えた唄羽は自室に戻り、制服に着替えた。

「ふふふっ」

セーラー襟の臙脂えんじのジャケット。膝丈のスカートは赤をベースにギンガムチェックが入っている。唄羽は姿見の前でくるりと回った。


 玄関に出ると薬研が車を付けて待機していた。

「お嬢ちゃん、お似合いでございやすよ」

「ありがとうございます」

助手席には清森が座っている。彼も一緒に送迎してもらうようだ。

「それじゃあ、安全運転でかっ飛ばして参りますよ」

車は一本道の山道を下り始めた。この山丸ごと一つが火村家の土地なのだ。

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