其の三:両面宿儺調伏[4/8(日)]

 巨大な蛮刀が空を裂く。盾のようにモノノケを押し留めていた刀を、武は下段から一気に振り抜いた。生じた衝撃波があたりを揺らす。

「ハアッ!」

モノノケが怯んだ隙に武が斬撃を叩きつけた。巨大な蛮刀はミシリと音を立ててモノノケの胴体を歪める。

「ギャあーッ!」

モノノケは悲鳴を上げ、反射的に飛び退いた。

「『逃げるな』!」

屋根の上で待ち構えていた守ノ神が氷の矢を降らせる。矢は豪雨のように降り注ぎ、モノノケの体を地面に縫い止めた。

「清森!」

「おう!」

清森が守護刀まもりがたなを持ってモノノケの眼前に躍り出る。

「『我が手に有るは薙刀なぎなた一柄ひとがら、銘を点睛てんせいとす』!」

守護刀が薙刀に変化する。青い柄に白い刃、柄の根本には黒い石突が付いている。

「往生しろよ、一撃で決めてやるからな!」

急所は首の真下。刺突の態勢で振りかぶった、その瞬間。

「タぁ、いィ、じィぃー!」

モノノケが悲鳴を上げた。

「嘘だろ?」

清森が愕然とした表情で呟く。

(だってあれは、悲鳴じゃなくて、まるで)

「おい武!今の……」

「やめてくれーっ!」

問いかけは遠くからの悲痛な叫びに遮られた。

「ここにおったらあきません!早う逃げて!」

「アイツは俺の、俺の家族なんだ!」

唄羽が少年を避難させようとするが、彼は聞こうとしない。

「だから……」

モノノケが少年に視線を向けたように見えた。少年は言葉を止めた。

「だから、殺さないで……。お願いします……!」

少年は額を地面につけて、消え入りそうな声でそう言った。

 言霊師たちが沈痛な面持ちで顔を見合わせる。もし少年の言葉が真実ならば、目の前にいるモノノケは人間だったモノだ。あまり気分の良い案件ではない。

「コイツを山の方に誘導する。少しだけ押さえててくれ」

沈黙を破ったのは武だった。

「良いのか?」

武の指示を聞いた守ノ神が問い返す。

「コイツの事情がどうであれ、言霊師俺たちのやる事は変わらないだろ」

武は表情の無い声でそう返した。

「んじゃ、ちょっと行ってくるわ」

おどけた声を繕って、武は唄羽と少年の元へ向かった。

 モノノケは氷矢と拘束の呪符で雁字搦めにされている。もはや抵抗する気力もないのだろう。力なく項垂れていた。

「いタイ……イたいィ……」

ぐずる子供のような声で鳴くソレを、清森がじっと見つめていた。

「清森。気持ちはわかるけど……」

「大丈夫。大丈夫だよ、あねさん」

背中を支える桜子に清森は震える声で返す。矛先を失った薙刀が強く握りしめられた。


 武が太樹と相対する。へたり込んでいる太樹を武が見下みくだすような構図だ。

「お前、名前は?」

「太樹。李下りのした太樹だ」

太樹が顔を上げた。顔は涙でぐしゃぐしゃで声は震えている。それでも眼差しはしっかりと武を捉えていた。

「『アレ』は誰なんだ?」

武がモノノケを顎で指す。

泰樹しんじ。俺の兄弟だ」

「ソイツはお前にとって大切なものか?」

「あ、当たり前だろ!」

「そうか」

武は静かに息を吐いた。

「殺してほしくないんだろう?」

「もちろんだ」

「『アレ』が、人を殺す怪物だとしても?」

太樹は言葉に詰まる。

「『アレ』がお前の家を破壊し、家族を殺したとしても。それでも、お前は『アレ』を許すのか?受け入れるのか?」

「そんな事させない!」

「無理だ」

「無理じゃない!」

「根拠は?」

太樹がたじろぐ。

「『俺たちは家族だから心で通じ合っている!』とでも言うか?それとも『言葉を話せるなら対話できるはず!』なんてほざくか?」

反論の余地を与えず武が矢継ぎ早に捲し立てる。

「現実ナメんな!アニメやマンガじゃないんだ、ただの人間が易々とバケモノと意思疎通できると思ったら大間違いだからな!」

太樹は返す言葉もなく呆然と立ち尽くしていた。

「な、何もそこまで言わなくてもええやないですか」

見かねた唄羽が武と太樹の間に割って入る。

「……こうでもしないと、止まらないだろ」

唄羽を軽く押して退かせる。

「お、お前なんかに、何が」

涙声で叫ぶ太樹の後頭部を、武が左手で軽く押さえる。

「だから、コイツは言霊師俺たちに任せてくれ」

幼児に教えを説くような、穏やかな声だった。

 太樹は泣いた。大粒の涙を流して泣き喚いた。

「太樹!大丈夫か!」

太樹の父親と思しき男性が駆け寄ってきた。彼は泣きじゃくる我が子を強く抱きしめた。

「あ」

唄羽は微かに声を上げた。太樹の肩越しに、父親と視線が合ったように感じた。

「唄羽、行くぞ」

「は、はい」

武が唄羽の手を引く。言霊師の装束を纏った状態では普通の人間に視認される事はない。しかし、騒ぎを聞きつけて人が集まり始めてきている。人目につくのは避けた方が無難だ。


 モノノケは木のまばらな場所に安置されていた。

「ァ……アァ……」

絞り出すような声で鳴いている。

「見てわかるだろうけど、かなり衰弱してる。このまま放っておけば夜明けまでには死ぬでしょうね」

桜子が言った。

「せやったら、このまま放っといても」

「駄目。今ここで止めを刺して」

「えっ」

唄羽の顔が曇る。彼女は震える両手でチャクラムを握りしめた。

「モノノケは世界のことわりを乱す存在。このモノノケにどんな事情があろうとも調伏ちょうふくしなければならない」

理屈は分かっている。修行時代に散々聞かされてきた。ずっと覚悟していた。

「個人の感情でどうこうできるものじゃない。これは先祖代々受け継いできた言霊師私たちの使命だから。いい?唄羽。言霊師ことだましになるとは、五行家の当主を継ぐっていうのはこういう事なの」

唄羽は武器を構える。

――殺さないで……――

脳裏に太樹の叫びがフラッシュバックする。

(ここでこのモノノケを調伏してもうたら、あの子は)

唄羽の呼吸が乱れる。体にうまく力が入らない。足が震える。

「あっ」

チャクラムを取り落とした。拾おうとしたが地面に崩れ落ちる。

「いい。俺がやるよ」

なおも武器を取ろうとする唄羽を清森が静止する。

「清森さん」

「元から、俺がコイツのトドメを刺すつもりだったし」

清森がモノノケの前に歩み寄る。

「『我が手に在るは薙刀、点睛』」

守護刀を構え静かに呟いた。薙刀に変形したそれを刺突の態勢に構え直す。

「唄羽。辛いなら見なくてもいいんだぞ」

守ノ神が提案する。唄羽は小さく首を横に振った。

 点睛の白刃がモノノケの急所を突く。

「ガぁ、ザ……」

モノノケは小さく呻いた。巨体がボロボロと崩れる。

「安らかに眠りな」

合掌して祈る清森。その襟首を武が掴んで引き寄せた。

「何すんだよ!」

武が何かを言おうとした瞬間、音もなく爆風が押し寄せてきた。

「うわっ!」

後方に吹き飛ばされる最中でとっさに受け身をとる。見ると先ほどまでモノノケがいた場所で湿った落ち葉が舞い上がっていた。

「っ、唄羽!」

後ろを振り向く。守ノ神が水で防壁を作っていた。その後ろに唄羽と桜子が伏せている。

「よかった、無事だった」

「こっちの台詞だ!」

守ノ神が駆け寄る。

「危うく直撃する所だっただろう。二人とも無事で良かった」

「武のおかげだって。アイツが来てくれなかったら今ごろ仏さんになってたぜ」

「いや、ヤバいって思ったから引きずり戻しただけだが」

雑談をしながら、武は爆発の跡地を注視していた。

(嫌な気配はない。一度倒れてから復活するタイプではなさそうだな。となると、あの爆発は単なるイタチの最後っ屁か)

地面が抉れ、その上に土と落ち葉が降って落ちる。爆発の跡はすっかり覆い隠されていた。

「しかし、まさか亡骸なきがらが爆発するとは」

「いつもは崩れた後に粉みたいになって、そのままサーって消えてたもんな」

唄羽はじっと守ノ神たちの会話に耳をすませていた。

「唄羽、大丈夫?」

「はい、大丈夫です」

「ごめんね。さっきは酷い事言っちゃって」

「いえ、そんな事ないです」

唄羽の声色からは若干の距離を感じる。

「もしかして、私たちに遠慮してる?」

「そ、それは」

「大丈夫。正直に話して」

唄羽が桜子の顔色を伺う。

「うち、一番年下ですし。それに、戦いでも全然役に立てなかったから」

「いいのいいの。誰だって最初から上手くできるわけじゃないもん。私だって最初は何もできなかったんだよ」

桜子が唄羽の肩に手を置く。

「さっ、帰ろ帰ろ。今日はゆっくり休みなよ」

「はいっ」

朝がくればみんな仕事や学校に行かなければならない。あくまでモノノケ調伏は副業なのだ。


 帰り道、唄羽はぼんやりとふもとに目を向ける。今は暗くてほとんど見えないが、昼間ならここは駅近郊の市街地が一望できるハイキングコースだ。

(さすがに見えへんかな……)

春風が唄羽の一つ結びの髪を揺らした。月も星もない暗い夜だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る