第1話:入学前夜[4/7(土)]

 この世界に主役と脇役がいるとしたら、俺は間違いなく脇役だ。兄はサッカー、妹は空手の全国大会常連。双子の弟は引きこもりだけど、俺自身はなんの変哲もない中学生だ。……いや、今のは間違い。だって寝て起きたら明日は高校の入学式。

「つまり、明日から俺も華の高校生‼︎」

たいちゃんうっさい!今アタシドラマ観てんの、見てわかんないの⁉︎」

「あっ、ごめん樹花じゅか

テレビ代わりのモニター前から怒鳴り声が飛んでくる。

「ていうか、しんちゃんに言ってきてよ!『今日こそ部屋から出て晩ご飯食え!』って!」

「う、うん、わかった、わかったから」

妹は13歳。つまり俺(たち)の2つ下、のはずなんだけどなぁ。なんで俺が尻に敷かれているんだろうか。

太樹たいじ、ホラこれ。秦樹しんじに持っていってあげて」

「うん。ありがとう母さん」

差し出されたトレーにはおにぎりとコーヒーが乗っている。

「ごめん、母さん。パートやってきて疲れてるのに」

「フフッ、そんな余計な心配しないの。太樹はまだ子供なんだから、ね?」

俺が家計とか母さんの体調とかの心配をし出すと、決まって母さんはこういうふうに笑ってはぐらかす。

「……母さん、俺が滑り止めの私立に決まっちゃった時もそうだったよな。『学費の事なんか心配しなくていい』ってさ」

誰に言うでもなく愚痴りながら階段を上がり、秦樹の部屋(俺の部屋でもある)のドアをノックする。

「秦樹?生きてるか?」

「なんだ太樹か。勝手に入れよ」

秦樹は他の人には心を開こうともしないけど、俺に対してだけならちょっとぶっきらぼうだけど普通に接してくれる。

「しけたツラしてんな。アイツに怒鳴られたのがそんなにキたのか?」

「いや、ちょっと。もう高校生になるんだし、いい加減子供扱いしないでほしいなあって思ってさ」

「ハッ、ナイーブなやつだな」

「いや、お前が図太すぎるだけだろ」

俺が悩んでいるのを尻目に秦樹はおにぎりを頬張っている。

「また梅干しか。たまには鮭とか入れてくれりゃあいいのにな」

「文句があるなら自分で作ればいいだろ」

「事実を指摘してるだけだっての」

「まあ、それはそう、だけど……」

おにぎりを平らげた泰樹はブラックコーヒーに口をつける。

「しかし、おにぎりにコーヒーってのもいまいちセンスねぇよな。俺がコーヒー好きだからって、気をきかせて出してくれてるのはわかるんだけどさぁ」

「ハハっ、それはなんとなくわかる。夕飯のおかず褒めると一週間くらいそれになるもんな」

他の家族の前だと何となく話しづらい話題も泰樹にだけは話せる。きっと泰樹も俺に対してそう思ってくれてるんだろうな、と感じた。

「あ、デザートあるよ。コンビニで買ってきたんだ。新商品って書いてあって気になってさ」

「桜餅ぃ?」

泰樹が桜餅を手に取る。

「ああ、もう春なんだな」

泰樹は風呂とトイレ以外は部屋から出ない。いつもカーテンを閉め切っているから外の様子も見えない。そんな生活を続けていれば季節感がなくなって当然だ。「明るいと落ち着かないんだよ」とデスクライトしか付けないで本を読んだりゲームしたりしているし、何かしらの病気になりそうで心配だ。

「そうだ、良いモン手に入れたんだ。お前にも見せてやるよ」

そう言って泰樹は学習机の引き出しから封筒を取り出した。

「それ何?」

封筒から出てきたのは、缶コーヒーくらいの大きさの円柱形の置物だった。親指の爪くらいの大きさの、デブのシラスみたいなものが濁った黄色いレジン?で固められている。

「これか?フフフ、『悪魔の胎児Diaboli Foetus』だよ」

「はぁ?」

自分で聞いておいて何だけど、あまりにも突拍子もない返答に返す言葉を失う。

「いや、そういうコンセプトのアート作品なんだって。『悪魔の胎児Diaboli Foetus』ってのはこれのタイトル」

「ふーん。いくらだったんだ?これ」

「もらったんだよ。買ったんじゃなくて」

「もらった?誰に?」

「SNSで、なんか……現代アート?ってのやってる人がいてさ。その人がこれを投稿してたんだよ。その投稿に『DMいただいた方にこちらの作品を差し上げます!』って書いてあって。まあ、匿名配送で送ってくれるっていうし、タダだったら欲しいな、って思ってさ」

「ふーん……」

確かに、良く見てみると底に何か文字が書かれたシールが貼ってある。これが作品名なんだろうか。

「詐欺とかじゃないよな?中にGPSが仕込まれてて住所特定されたりとか」

「そんなわけ無いだろ。ちょっと疑心暗鬼すぎないか?」

「だって、SNSで知り合った、しかも知らない人からもらったものだし。警戒するだろ、普通」

「心配しすぎだろ太樹。ビビりか」

「お前が警戒心無さすぎなだけだろ」

互いに言い返せなくて睨み合いが続く。

「フフッ」

先に笑ったのはどっちだっただろう。何だか無性におかしくなって、二人とも笑い出してしまった。

「ちょっとー!もうご飯できてるんだけどー⁉︎」

一階から樹花の呼ぶ声が聞こえる。

「はーい!今行くよー!」

ドアノブに手をかけて、俺は泰樹の方を振り向いた。

「泰樹」

「……行ってこいよ」

吹き抜けの照明が薄暗い部屋に差し込む。暗がりにいる泰樹の顔は、逆光で良く見えなかった。


 ダイニングテーブルの真ん中に、カセットコンロとすき焼き鍋がドンと置かれている。父さん、母さん、兄さん、俺、樹花、それから泰樹の椅子があるけど、泰樹のぶんはテーブルの横に寄せられている。

「今日は太樹の入学祝いだからな!いっぱい食えよー!」

「もうお父さんったら。それを言うなら、一樹かずきと樹花の進級祝いもでしょ。ほら、お肉煮えてるよ」

「う、うん。ありがとう」

(別にこんな盛大に祝わなくてもいいのに)

そう思ったけど、みんな楽しそうにしているのを白けさせるのも嫌なので言わないでおこう。

「太樹、ちゃんと肉も食えよ。奮発して良い肉買ってきたからな!」

兄さんが俺の皿に肉を盛ってくる。

「太ちゃんそのお肉いらないならちょうだい!」

「はいはい」

そして俺はもらった肉を樹花に横流しする。おいしい肉なのはわかるんだけど、さすがにお皿に山盛りは多すぎる。

「太樹、明日の準備は大丈夫か?」

「うん。大丈夫」

「ホントかー?高校の制服ハンガーにかけたまんまだっただろ」

「あれは、だって。シワになるのイヤなだけだし」

「あーあ、太ちゃんはちゃんとしてるのに、なんで泰ちゃんはあんなんなんだろ!」

樹花が大きな声で会話に割り込んできた。二階にいる泰樹に聞こえるように言っているんだ。

「こら、駄目だろ樹花!」

「だって、ホントのことじゃん!」

兄さんが止めるけど聞く耳をもたない。

「あんなヤツ、早く死んじゃえばいいのに!」

「樹花」

父さんがカウンター越しに呼びかける。

「『死ね』とか『殺す』とか、そういう悪い言葉は簡単に使ってはいけないよ。悪い言葉は言われた相手をとても傷つけるし、なにより自分に返ってくるからね」

いつものおちゃらけた父さんからは想像もつかない真剣な口調だった。

「はぁい」

樹花は不満げに返事を返した。兄さんならともかく、父さんは普段ほとんど怒らないから素直に受け取ったんだろうか。

 結局、微妙な空気のまま夕飯を食べ終わってしまった。明日は早いし、今日はもうお風呂に入って寝ようかな。

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