第117話 頼れる男

 突然誘拐され、父親が物言わぬ武器へと変えられる。

 ならばとっくに全てを語り、泣きじゃくり、助けを求めていただろう。


 だが彼女は大人だった。

 剣にされた、正確には『毒を持つ剣になる』という『星群』を与えられた父を戻す為には、犯罪者の命令全てに従う他ないと理解したのだ。

 それが口留めだろうと殺人だろうと、盲目的に。


「こんな子供に、何をさせてやがる!」

 この場にいない犯罪者相手に怒りを露わにしたところで、何一つ状況は変わらない。

 だがそれでも、その猛る心を押しとどめておくことはできなかった。


 『星群』に対価がいるならば、他人に背負わせればいい。

 ついでに裏切られないよう武器に変え、戻すことを条件に親しい人間を戦わせればいい。

 やるなら、数に限りのない一般人がいい。

 二重三重に悪意を重ねた、陋劣極まりない、唾棄すべき方法を見過ごせるほど、トレハは人でなしではなかった。


「オガタ・アグリ!」

 涙を流し、震える手で剣を握る少女に、トレハは刀を捨てて手を差し出した。

 刀はカランカランと転がり、オガタの足元にまで転がっていった。

 攻守の要を敢えて手放すことで、戦闘の意思がないことを示したのだ。


「その剣がお前の大切な人なら、俺が絶対に元に戻してみせる!だから、宙域に来い!」

「例えこの剣が人だったとして!貴方に戻す力はない!」

 だが、差し伸べられた手を切り裂くべく、オガタは双剣を構えた。

 感情的になっているのではない。寧ろどこまでも冷徹に、状況を分析した結果だ。


 剣の正体を看破したことは賞賛するべきだが、それは剣となった父親を戻すのには何一つ関係がない。

 重要なのは、どれだけ親身になってくれるかではなく、戻す力があるかなのだ。


「私は!貴方を殺します!」

 戦ったところで、父を元に戻して貰える可能性などゼロに等しいのはわかっている。

 だが目の前の、やる気だけで能力が伴わない男を頼るよりは余程可能性が高い。

 万に一つの可能性を取りこぼさぬ為に、今、彼女は戦うしかないのだ。


「いいや、絶対に止める!俺は頼れる男として、お前を救わなきゃならない!」

 トレハは地を踏みつけて走り出した。

 向けられた剣など目にも入っていないかのように、瞬き一つすることなく前へ前へと。


「っ、好都合、ですっ!」

 戦いたくない、殺したくない。

 そんな弱音を切り捨てて、オガタは首と心臓めがけて一対の刃を動かした。

 刺されば例え血を操る『星群』持ちだろうとも、命を失うことは間違いない。


「これで、終わりだっ!」

 オガタが叫んだ瞬間、トレハは後ろに跳んだ。

 だがそれでも、避ける速度よりも剣の進む速度の方が速い。

 そのはずだった。


「え」

 届かない。

 ぴいんと腕が張っても尚、その心臓は、首は、僅かに遠い。

 原因は明白。足に残る、何かに引っ張られるような感覚。

 視線を向けると、足は銀色の液によって覆われていた。

 意識が外れた瞬間、トレハはオガタの両手首を掴み、剣の周囲を水銀で覆った。


「さて、理科のお勉強だ。水銀には、金属を溶かす性質がある。今下手に動くと……わかるよな?」

 オガタは力なく座り込み、下を向いた。

 その目は何を映すわけでもなく、地面を反射していた。


「……そうなんですか」

「ああ。そうだ」

「このまま切りかかったら、どうなりますか」

「溶けるだろうな。何なら死ぬ直前に溶かすぐらいのことは出来る」

「もう、戦えないってことですか」

「そうだ」


「……っ、あっ、あああああっ!」

 少女は再び泣き出した。

 父を救えるかという不安、もう戦わなくてもいいという安堵、死の恐怖。

 全てが液体となって流れ落ち、ぽたりぽたりと垂れていく。

 トレハは微笑むと水銀の膜に穴を開け、双剣の先を掴んだ。


「手、離してくれるか?」

「っ、わかり、まし」

「おおっと、それは駄目だろうよアグリちゃ~ん?」

 下卑た声だった。


 声のする方を見れば、積み上げられた瓦礫の上に座る黒い影。

 背丈はやたらと高く、二メートル以上ありそうな程の大男だが、体は病気を疑う程に細い。

 何よりも特徴的なのは表情。その底意地の悪い笑みを見れば、誰もが男を危険な人間だと判断するだろう。


 そしてその判断は、何一つとして間違っていない。

 男の名はクラズ・ヌフティ。詐欺、強盗、殺人、ありとあらゆる犯罪を、自分の罪にならないよう他人にやらせるよう唆すのが誰よりも上手い、教唆犯。

 その犯行が明るみに出た時には、既に数十もの人間を、決して手を汚さずに始末していたという。


「攫った人間に『星群』の対価を押し付ける。お前らしいやり方だな、クズ」

「だろお?ま、俺のやり方なんかまだ優しい方さ。それより、アグリちゃ~ん?駄目だよ、絆されたりしちゃあ。その男を殺さないと、パパは元に戻らないよお?」

「そ、それが、水銀で剣を包まれてっ……」

「何言ってんだぁ?その剣、変えられた時に触ったが鉄だろ?鉄は水銀じゃ溶けねえよ」

「なっ!?」


「……バラすなよ」

 トレハは素早くオガタの手首を叩き、剣を奪い取った。

「あっ!」

「大丈夫だ。動かなきゃ、何もしねえよ」


 そもそも、もし本当に水銀が鉄を溶かすなら、トレハは剣を水銀で包むという脅しはしない。

 それでは万が一オガタが一か八かの突撃を選択した際、剣になった人間を殺すことになる。

 剣が水銀に溶ける素材だったなら、トレハ絶対に水銀を使うことなく戦闘を終わらせようとしただろう。


「安心しろよ。そいつはビビッて、人なんざ殺せねえよ」

 だからクラズは、対立した人間にすら情をかけるその甘さを利用した。

 常にオガタを前面に立たせることで、反撃の一切を封じ、一方的に嬲り続ける。


「ほら、速く立てよオガタ。お前のパパも、あいつの手の中で戻して~って泣いて」

「もういい」

 ぴりっ、と空気が冷える。

 普通の声で、たった一言。トレハが今、口にしたのは、それだけだ。

 だが、クラズは異様なまでの恐怖と悪寒に襲われた。


「あ?何が良いって?」

「もう、お前は口を開くな」

「ははっ、宙域サマのご命令とあれば、喜んで~!」

 クラズせせら笑い、両の手を漆黒の翼に変えて飛び上がった。

 彼が教唆犯になった理由は、戦闘に向いていなかったからでもある。


 それが戦場にまで出てきて挑発をするには、それ相応の理由がある。

 例え戦いになっても、自分だけは上空に逃げ去れる『星群』という理由が。


「そんじゃ、お前がくたばったらそこのガキ迎えに来るから、速く死んでくれよ?」

「口を開くなっていってんだろっ!」

 トレハはいつの間にかその手に戻っていたレイピアを、羽ばたくクラズめがけて投げ付けた。

 だが上に向かって放った剣はすぐさま速度を落とした。

 クラズは優雅にさらりとそれを回避する。


 ずぶり。

「……あ?」

 腹部に激痛。そして出血。

 回避したはずの剣が、その腹の奥深くまで突き刺さる。


「ああああああああああああ!?なんでっ、避けたろおっ!?」

「避けられたなら、向きを変えるだけだ」

 トレハの『星群』は、体から離れた水ほど動かすのが遅い。

 だが投擲された剣の方向を少し変えるだけなら、その速度で十分だ。

 故にトレハは、最初から水の紐を結んだ剣を投げ、クラズが避けた方向に剣先を向けたのだ。


「があああっ!テメエ、死ねっ!」

 懐から拳銃を取り出し、片方の翼で跳びつつ狙いを定める。

 しかしその行動の全てが、あまりに遅い。

 銃弾を吐き出す前に、もう決着はついてしまった。


「死ぬのはお前だクソ野郎」

 くい、とトレハが水の糸を引く。

 するとクラズの傷から剣が抜け、噴水のように血が吹き出した。

 更にそれだけでは収まらず、傷口付近の血が内臓と皮を突き破って体を蹂躙していく。


「まっ!?待てっ!おい!俺を殺す気かっ!?」

「ああ」

「お、おかしいだろっ!そのガキは殺さねえくせに俺だけっ!殺さないタイプじゃないのかよっ!」

「脅されてた子供とお前なんかの命が対等なわけがねえだろ」


 苦し紛れの発砲も、血が目隠しになって全く当たらない。

 刀を掴んでも、手が切れる痛みで全く止められない。

 もはやクラズに出来ることは、何一つとしてなかった。

「じょ、情報!俺が知ってるとっておきの情報を」

「信用できるかよ。消えろ」


 命乞いが終わる前に、巨大な血の刃がクラズの喉を突き破る。

 死をもたらす痛みに悲鳴をあげようにも、もう喉は使えない。

 その命が失われる瞬間まで、クラズはただ自分の肺が血で埋まっていく苦痛を味わい続けた。


「飛べるだけで油断しすぎだ」

 『星群』を手に入れた直後の人間が陥る万能感。

 それを錯覚だと叩きのめしてくれる相手に恵まれなかったのが、クラズの運の尽きだった。

 首を裂かれた死体は地に叩きつけられ、周囲に体液をまき散らした。

 オガタは、その光景をしっかりと目に焼き付けていた。


「……悪い。勝手にキレて、ひでえもん見せちまったな」

 トレハは漸く自分の行動を顧み、がじ、と頭を掻いた。

 義憤に駆られて、と言えば聞こえはいいが、実際は自分の感情のままに動いただけ。 

 そのせいで人の死を、年端もいかない少女に見せることになってしまった。

 言い訳のしようもない失敗だ。


「……いえ。そうでもしないと貴方が死んでいましたし、私もあの男は殺したいぐらい嫌いでした」

「そう、か」

「それより、その剣、もう隠す必要もないですね。父を返して下さい」

「あー、流石に武器持たせるのは無理だ。目に入る位置にはおいておくから」

「何故ですか」

「いや、さすがに本部に武器持った人間入れるわけにはいかねえだろ?」


 オガタは呆れて眉間に皺を寄せた。

「まさか、私を宙域に連れて行くと?」

「そうだけど……嫌だったか?」

「そもそも宙域の隊員を殺そうとした人間を入れるのが間違いだと思いますがね」

「あー、そこはまあ、脅されてたって言えば何とかなるだろ」

「適当過ぎます。それに、私を連れてってどうする気ですか」


「……まあ、とりあえず、上司に相談?」

「それでどうにかなるものなんですか」

 流石に宙域外で『星群』を与える人間の話をするのは躊躇われたので、トレハは適当に誤魔化しながらオガタを連れて歩く。

 オガタはその間何度か文句を言ったが、それでも双剣を奪って逃げようとだけはしなかった。

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