第116話 『鬼頭』

 輪舞、乱舞、 剣舞。

 目にも止まらぬ速さで、双剣は振るわれる。

 あまりに流麗な動きは、思わず手を止めて見入ってしまいそうだ。


 だが、手を止めれば、その瞬間心臓の鼓動すら止められることを、トレハは十分理解していた。

「早っ、いな!格闘技でもやってんのか!?」

「戦闘中に会話ですか、随分余裕があるみたいですね」

「ねえよ!でも剣じゃ絶対敵わないから、対話で解決しようと思ってな!」


「なるほど。剣を収めるつもりはありませんが、お答えします。私の父は剣舞を生業としており、私もその指導を受けています」

「ああ、確かに舞ってる感じするな。でも、真剣でやるもんじゃねえだろっ!」

 技巧で防御を避けて迫りくる剣に、膂力の全てを籠めた一閃で応える。

 バキィン、と派手な剣戟音と共に、オガタは吹き飛ばされて地面を転がった。


 本来なら、刃物を用いた近接戦闘において、力尽くの攻撃は悪手だ。

 だが今、トレハにできることはそれしかなかった。

 猫のような瞬発力と柔軟性、そして鍛え上げられた剣の腕。数か月鍛えただけの素人では、一合毎にじわり、じわりと、真綿で首を絞めるように、追い詰められるばかり。


 故に唯一勝る力で強引に距離をとらせ、仕切り直して命を繋いでいるのだ。

「当然、普段は潰した剣を使います」

「じゃあ普段通り潰れた剣で踊ってくれねえか?何なら、その剣潰すの手伝うぜ」

「っ、潰すわけがないでしょう!!」


 叫び、地を蹴り、剣を突き出す。

 ただそれだけでトレハが必死で作り出した間隔を一瞬で食いつぶして、その喉へと刃が迫る。

「危ねえなっ!」


 弾き返す。だがオガタは弾かれたい衝撃を乗せて回転し、もう一方の剣を突き出した。

 防御も、回避も間に合わない。そう直感したトレハが選んだのは、外させることだった。

 ぎん、と目を見開いた瞬間、オガタの速度ががくんと落ちる。


「っ!?」

 どころかその体は、地面にすとんと下ろされた。

 オガタは混乱しつつも素早く後ろに下がる。

 すると直前に転がされた場所に、銀色の液体が広がっているのが見えた。液体の金属らしきそれは、重力に逆らってトレハの手元に戻った。


「それが、貴方の『星群』ですか」

「ああ。これ水銀入ってるから、ほんとは使いたくなかったんだけどな」

「……?使いたくないなら持ってこなければいいのでは?」

「いや、普段は殺す為に使ってるからいいんだよ。でも今回は殺す気はないから、使わない」


 トレハは今日の朝食を聞かれたかのように、普通に答えた。

 自分が死にかけているのに、相手を死なせない為にギリギリまで『星群』を使わなかったと、素面で宣ったのだ。


「貴方、気持ちが悪いですね」

 オガタは自然に、心の中に浮かんだ言葉を口に出していた。

 本当に、気持ちが悪い。

 言葉を弄しているとは到底思えない自然な態度が、寧ろ不自然を際立たせる。


 自分の命を危険に晒して、自分を殺そうとした人間の命を守るなど、まともな人間のやることではない。

「酷くないか?」


 なにより恐ろしいのが、当人がその歪さを認識していないことだ。

 助けるのが当然とでも言わんばかりの顔が、酷く気に障る。


「何故私を殺さないのですか。私は貴方を殺そうとしているんですよ」

「子供を殺せってのか?絶対、後味悪いだろ」

「大人なら気分よく殺せると?」

「そんなわけないだろ。ただ、年下の、しかも女の子なんか殺したら、より一層気分が悪いってだけだ。それに……」


「それに、なんですか?」

「いや、何も」

 トレハはどうしてか、目の前の少女と、全く似ていないはずの妹が重なって見えたのだ。

 思い返せば家族が壊れてしまう前、ライルとの仲が良かった頃の年齢は、このぐらいだったかもしれない。

 それにそうでなくとも、一度ならず二度までも、年端もいかない少女を殺したくはない。


「まあ相手が強すぎて、逆に俺が殺されるかもしれないけどな」

 だがトレハはそんな感情を正直に伝えても気味が悪いだろうと口を噤んだ。

 もし伝えていれば、もう少し話は拗れずに済んだだろうが。


「わかっているなら本気を出してくれませんか?」

 オガタは限界まで前傾して滑るように動き、トレハの足元で剣を振り上げた。

 トレハはそれを水銀の塊で受け止め、動きを封じようとする。

 だがその剣速を殺しきれず、水銀は一瞬で真っ二つに切り分けられた。


「無意味ですよ」

「そうは思えないけどなっ!」

 トレハがくい、と指を振ると、切り裂かれた水銀から伸びる線が、ぴんと張った。

 その先に繋がっているのは、双剣の片方。

 ついでに水銀に混ぜ込んだ金属片でほんの少しだけオガタの手を刺すと、剣はその手を離れた。


 それを引き寄せ、トレハはにやりと不敵な笑みを浮かべた。

「これで、武力は半減」

「返せっ!!」

 言い終える前に吶喊。遠慮なく心臓に向かって、刃を突き立てに来る。

「なっ!?」

 不利になったことを顧みない、全力の突撃にトレハは意表をつかれる。

 レイピアと水銀で遮り、致命傷だけは免れるも、僅かに皮を切られた。


 直ぐに『星群』で血を止め、距離を取らせる。

 そして次なる一撃を迎え撃とうとしたその瞬間、トレハは異様なまでの吐き気に襲われた。

「っ!?」

「はああああっ!」

 そして目に見えた隙を、オガタは正確についた。


 ぞぶり。


 腹の奥深くまで、半月刃が突き刺さる。

 その隙にオガタは取られた剣を取り戻し、抱きかかえるようにしてトレハから離れた。

 刀を奪わず、剣を振るっていれば心臓を切り裂けたであろう状況で、一切の躊躇もなく。

 殺す相手を切ることよりも、たかが一本の、幾らでも買えそうな剣を取り戻すことを優先したのだ。


 疑問に思い、思考を深めようとするも、吐き気が一層強くなる。

 前に水銀が血管に入った時は、もっと違う症状が出た。

 腹の奥深くまで刺された時や首を撃たれた時も、痛みはあっても吐き気までは催さなかった。


「っ、毒、かっ!」

 十中八九、これは水銀以外の何らかの毒物を食らわされた影響だ、とトレハは考えた。

「……え?」

 傷口を押さえ呟いた言葉に、オガタは何故か目を見開いた。

 それにつられ、トレハは更に混乱する。


 殺せる機会を捨ててまで守った大切な剣に、毒が塗られていることを把握していないのは、流石に変だ。

 何が原因だ、と考えるも、胃そのものを吐き出してしまいたいほどの吐き気に見舞われるせいで、全く考えが纏まらない。


「あ、あ、ああ」

 オガタは渾身の一撃を決めたはずが、トレハの腹の傷を見て顔を真っ青に染めていた。

 何故、と言いかけて気付く。技術がどれだけ磨かれていようと、目の前にいるのは飽くまで、まだ幼い少女だということに。


 殺すと口で言っていても、本気で人殺しになる覚悟をできるような年齢ではないのだ。

 十五になっても戦う覚悟もできなかったトレハには、その恐怖がよく理解できた。

 であれば、この状況で毒についての言及がないのはおかしい。他の人間が塗った、というのも、剣への執着を考えると難しそうだ。


「……なあ、もう良いだろ?俺と一緒に、宙域に行こう」

「良い、訳がないでしょう!?私は貴方を刺したんですよ!?人殺しです!」

「それなら大丈夫だな」

 トレハは血を『星群』で止め、痛みも吐き気もないもののように立ち上がった。


「はっ!?」

「刺された程度でくたばるかよ。演技だ演技。実際刺してみたら、戦意喪失するかと思ってな」

 刺したのが負い目になっているのなら、効いていないかのように振舞えばいい。

 痛みと吐き気がどれだけ強く引き止めたとしても関係ない。

 たかが子供一人も救えない男に、宙域警備隊は勤まらない。


「さて、これで問題は解決したか?」

「して、ません!何一つ!」

 切る、切る、切る。

 終わることのない連撃を繰り出して、トレハの命を狙う。


 だが一方的に攻めている少女の顔は、苦痛で酷く歪んでいた。

 人に剣を突き立てること。自分を助けようとする男に刃を向けること。双剣、鬼頭を振るうこと。全てが、彼女の精神を蝕み、顔を歪ませる。


「なあ、正直に答えてくれ」

「っ、黙ってください!」

「俺を殺すのは、お前の意思か」

「煩いんですよっ!」


 剣速が上昇する。だが、その剣には今までのような精密さは存在しなかった。

「舐めるなっ!」

 迫りくる切っ先に水口を当てると、突きの方向は僅かに変わり、空を切った。


「ぐうっ!」

「ただ速いだけの攻撃なら、訓練で食らいまくってんだよっ!」

 少女の強みは、速さと剣技の相乗効果だ。

 その一方が消え失せた、速度だけの一撃など、例え何度受けてもトレハが傷を負うことはない。


 全身が痛み、吐きそうになりながら、もっと速い攻撃を受け続けている彼にとっては、たかがこの程度の剣から身を守ることなど児戯に等しい。 

「教えて貰うぞ、オガタ・アグリ!剣を振るう理由は、一体何だ!」

「言え、ませんっ!」


 オガタは頑なに口を開かず、言葉ではなく剣を向け続ける。

 だが、それで十分だった。

 言わないではなく、言えない。

 その言葉が聞ければ、トレハはその理由を考えることができる。


「親は、剣舞やってるんだったよな!」

 もはやオガタは、返事をすることすらやめて、最高速の連撃を放ち続けた。

 その動きには、速度を意識していても、染み着いた美しい舞の型の影が残っている。

 生まれた時から犯罪衛星に住んでいるのなら、こんな幼い子供に舞踊を教えている暇などないだろう。


「海王星には、攫われて来たのか?」

 ぴく、と耳が震える。

 答えるつもりがなくとも、反応することまでは止められないらしい。


「そうか、なら、普通の子供が、宙域と戦う理由があるってことか」

 犯罪者側なら、防衛とか弔いとか、戦う理由は幾らでもある。

 だが、攫われてきただけの子供が、犯罪者の為に命をかけて戦いを挑むはずがない。

 宙域という畏怖される存在に挑ませるだけの、強い動機があるはずだ。


「黙れっていってるでしょう!」

 剣戟が交差し、火花を散らす。

 するとオガタは突然、既に青くなった顔を更に青くして、素早く後ろに下がった。

 双剣を所持している人間など早々いないから、替えを用立てるのも面倒だ。

 壊れることを恐れたのだろう。


「……ん?」

 トレハは自分の考えに、微かに違和感を覚えた。

 この、攫われてきたはずの少女は、早々持っている者がいない武器を何故持っているのか。


 犯罪者が、使い捨ての少年兵の為にわざわざ希少な武器を用意してやるとは考えにくい。

 誘拐時にオガタが持っていたとしても、舞用のもの。刃が潰されていないのはおかしい。


「その剣、どこで手に入れた?」

「黙ってよ……」

 耳に届くかも怪しい微かな声だった。

 だが、そういう小さな悲鳴こそ聞き逃してはならないと、トレハはよく知っている。

 妹が目の前で自殺した時も、最後の言葉はとても小さかったのだから。


「なあ、これだけでも教えてくれ。その剣は」

「黙れっ、黙れっ、黙れえええっ!」

「っ、重い!どこからこんな力が!」

 口に出してから、気付く。

 オガタの力が強くなったのではなく、自分の力が弱くなったのだと。


 膨れ上がった吐き気に耐えられず、動きが鈍くなった。

 新たに傷はついていないし、毒が回るにしてはタイミングが遅い。

 何故、と考えた時、ふと目の前で双剣がぎらりと光った。その色は、血だけでは説明できないほど、黒く染まっていた。


「まさか、剣の方も『星群』持ちなのか!?」

 オガタは何も答えない。だからこそ、予想に現実味が足されてしまう。

 剣の『星群』は、吐き気を引き起こす毒物を操るもので、色が変わると更にその毒性が強まるのではないか。


 だが、無条件に剣に『星群』を与えられるのなら、犯罪者はもっと多くの『星群』付与武器を持って攻撃を行うはずだ。

 そうしないのは、作るのに相応のコストや時間がかかるから。

 ならば普通子供には渡さない。裏切り、逃亡のリスクを無視しているのは何故か。


「もう一度、聞くぞ!その剣は、一体何だ!」

 トレハは思わず、語気を荒らげた。脳を埋めている嫌な想像を吹き飛ばすために。

 だが、オガタはその想像を否定してはくれなかった。


「っ、嘘だろっ!」

 逃げない理由。希少な双剣が用意できた理由。剣に銘があった理由。武器が『星群』を使える理由。そしてオガタが武器を奪われることを恐れた理由。

 まるで星々を紡ぐ星座のように、疑問と疑問が繋がって、最悪の答えが紡がれる。


「その剣は、人なのかっ!?」


 オガタ・アグリは答えない。

 もはや何よりも雄弁となった、沈黙という肯定を返したのだ。

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