第105話 時は遡って

「流石『ドックウッド』だよな……」

 襲撃の直前、トレハはその風呂の完成度に舌を巻いていた。


 温度別の三種類のサウナに、巨大な浴槽と様々な効能を持った数人用の風呂が十種類も並んでいる。

 更に子供が飽きずに風呂を楽しめるようにか、プール同様に重力調整器によって浮かぶお湯の球体まで有る。


 だが船が木星に迫る中、風呂に入ろうとする者は極わずか。トレハはだだっ広い浴槽を、一人で独占していた。


「……ちょっとぐらいいいよな?」

 トレハは誰も入って来ないだろうとたかを括って、『星群』で風呂の湯を操る。

 そして肩や背中のあたりをグリグリと刺激し、体のコリをほぐしていく。


 勿論、傍目からではわからないよう、湯は浴槽の中でのみ動かしている。

 ついでに『星群』を鍛えても良いかも知れないと、意識が薄れない程度の湯を細かく動かし続ける。


「俺もイチトのこと言えないぐらいにワーカーホリックかもな」

 結局この宇宙船に乗っている間も、夜はイチトに立ち会ってもらいつつ水の操作を訓練していた。

 休むために貰った時間なのだから、もっとしっかりと体を休めた方がいいのかもしれない。


「……でも、まだ俺は弱いままだ」

 妹のライルがこの手の中で死んだことは、一度たりとも忘れたことはない。

 死にゆく間際、彼女は母が自分を『使った』と言っていた。

 即ちトレハは、その命を実の母に狙われていることになる。


「……嫌になるな」

 トレハの家は、五人家族だった。

 両親とトレハ、そして兄と妹だ。

 父は随分と前に事故で死に、結果母はその悲しみと、一人で子供を立派に育てなければならないという脅迫観念に襲われた。


 何をするにも一番出来が悪かったトレハにとっては、それから先に何をされたのかは思い出したくもない。


 そしてトレハが耐えかねて逃げ出し、宙域に入った後、なにがあったのかはわからないが、残る三人は犯罪者へと身を窶したのだ。


 ライルを宙域に攻め込ませた以上、おそらくだが母と兄とも、合えば戦いになるかも知れない。

 兄はまだ理知的で、母の方針にも疑問を抱くこともあったために話が通じる可能性はあるが、母の方は恐らくそんな余地はない。


 更に、犯罪者の蔓延る惑星で生きてきたということは、母と兄は自分以上に『星群』を使っており、より強いと考えられる。

 宙域ですら察知できなかった宙域への襲撃の情報を掴み、妹を参加させたのも、裏社会に精通している証拠だ。

 それには必ず、口だけでなく武力もひつようになる。


 ライルと戦って以降、トレハ加速度的に強くはなったが、そんな母と兄に勝つビジョンは全く見えないままだった。


 だが犯罪者の根城を荒らし回っている以上、戦う日は必ず来る。

 今度こそ死なせずに捕まえるためには、他の誰もそんなことに手を貸してくれるはずもないのだから、一人で圧倒できる強さが必要なのだ。


「やってやるぞっ!」

 大声で叫ぶ。

「へっ!?」

 すると洗い場にいた小太りの男は、驚いたように声を上げた。

「うわっ!?す、すいません、人がいないと思っていたので!」

「あ、いえいえ、大丈夫ですよ。私もこの時間に入って、歌ったりするのが好きなんですよね」

「ああ、確かにこれだけ広い風呂でできたらよさそうですね」


 四十代ぐらいに見える、黒髪を七三に分けたどこか気が弱そうな男は、ニコニコと笑って返事をした。

 どうやらトレハが『星群』を使っていたのには気付かなかったらしい。


 暫くすると体を洗い終えたのか、男も浴槽に入る。二人っきりで黙っているのがなんだか気まずくなってトレハは話かけた。


「……ところで、もう結構到着時間近いですよね?今からじゃゆっくり出来ないんじゃ」

「ああ、私は客ではなくて、重力調整器の技師なんですよ。ほら、普段は風呂に浸かりながらちょちょいっと動かしたりして動作確認するんですよ」


 男は、持ってきたカゴからタブレットを取り出すと、ちょいちょいと触る。すると奥にあったお湯の球体がそれに合わせて動き出す。


「へえ、すごい。って、もしかして邪魔でしたか?」

「いえ、実はあの重力調整器は買い替えの時期でして、点検はいらないんですよ。今回は掃除の人が来て、終わってからが仕事です」

「なるほど。帰ったら大変そうですね」

「そうなんですよ。中型とはいえ、結構しっかりネジで固定されてるので、手がもう何本かあったらと思わずにはいられませんね」


 トレハは基本、昔の軍事系の技術に強い関心がある。

 だから以前の軍用機等に使われていたという重力調整器の今の姿にも、多少は興味があった。

 そして相手の男も、自分の仕事の話を聞いて貰えるのは新鮮な体験だったので、気分よく語ってみせる。


 いつの間にか二人は打ち解け、重力調整器トークにも花が咲く。その内にナルイという名前も教えて貰った。


「えっ、それじゃあトレハくんはもうバイク持ってるの!?」

「いやいや、仕事の関係で触っただけですよ。ナルイさんの、数段下のレベルですよ」

「そっかぁ。いやでも、乗ったことあるのは羨ましいよ。この船にも体験コーナーとか作れないかな」

「ははっ、それ良いですね。子供が喜びそう」


 だが狭い業界で盛り上がった会話を遮るように、激しい衝突音が響く。


「う、うわっ、何だぁ!?」

「……なにかあったんですかね?」

「うーん、ちょっと怖いね。トレハくん、そろそろ上がらないかい?」

「そうですね。もう到着の時間でしょうし」


 そう言って立ち上がろうとしたトレハだったが、外からの速い足音がして、直ぐに収まったのに気付き、動きを止める。


「……ナルイさん。息を止めて潜って下さい」

「えっ?」

「今すぐに」


 真剣な表情を見て、ナルイはわけもわからないまま風呂に潜った。

 トレハも同じように潜り、『星群』で水面の波紋を抑える。


 すると直後、風呂場のドアが勢いよく開け放たれた。

 真っ白な壁面の雫を見ると、そこには迷彩の色が混ざっている。

 トレハのタオルが映る位置ではないし、タオルの一枚であそこまで広い範囲には映らない。


「……!」

 招かれざる客が来た。そう考えるしかない。

 男は風呂をくるっと見渡すと、中に侵入してきたらしい。足音がそれを物語っている。

 『星群』で確保した空気の道を通して聞いた限り、この音は裸足で風呂を歩くようなものではない。


 そもそも、この緊急事態に鳴った足音が、乗客に安全を伝え終える前に止まった時点で、襲撃が起こっているのは確実だ。


「……そこか」

 侵入者は無言で銃を構えると、そっとサウナの入口にまで近づく。


「こっちだよ」

「!」

 トレハは『星群』を使って無音で風呂から上がり、背後を取って男を焦らせる。


 男は焦って銃を構え、振り返ろうとするが、桶で手を叩かれて取り落とす。


「くそっ、何者だ!?」

「観光客だよ」

 トレハは男の頭を掴むと足を払い、浴槽に叩き込む。

「ごぼっ!?」

「暫く寝てろよ」

 そして起き上がろうとする頭を上から押さえつけると、周囲の水を『星群』で操り、頸動脈を締め上げる。

 

 最初は激しく抵抗し、水飛沫を上げていた男も、暫くすると意識を失い、全身から力が抜ける。


「こ、殺したのかい?」

 そして残されたのは、それを成した少年と、目撃者となった男だけだった。


「いえ、気絶させただけです」

「それを信じる根拠は?」

「触って脈を見ても良いですよ。それ以外だと……そこの銃を使わなかったことですかね。殺すならそっちでしょう」


 水中に投げ飛ばした後、銃を拾って近づけば、即座に命は奪えた。

 それをしなかったのは、殺したくなかったから。

 主張の筋は通っている。

 ナルイはそっと軍服を着た男の首を触る。

 首締められていたので、いつもより強く脈動する血管が、皮肉にも首を締めたトレハの無実を伝えてしまう。


「疑ってすまない。それと、助けてくれてありがとう。ところで、知り合いかい?」

「いえ、違います。ナルイさん、すみませんが暫くはここにいて貰えますか?恐らく外は危険です」

「こちらからお願いしたいぐらいだよ」


 ナルイはこの状況についていけていなかったが、それでも今のままでは自分の命が危ないこと、そしてトレハは自分と敵対していないことだけは理解できた。

 その後二人は素早く更衣室から服を取り戻し、サウナの動作を停止させて空気を抜く。


「何故服とサウナを?」

「さっき、この男がサウナの中まで見ていたのは、俺達の服を見たからだと思うんです。逆に荷物がなければ、サウナの中は確認しない」

「隠れるならサウナってことだね。でも、この男は?起きたら一大事だよ?」

 ナルイは床に倒れている男を指さした。

 放置すれば敵に見つかるし、サウナに入れておくと意識が戻った時が危険だ。


「じゃあ、アレを使いましょう」

 そう言ってトレハは重力調整器を指差す。

 意図を理解したナルイは、素早くタブレットを使って重力の向きを上に変える。

 数秒後、気絶した男は全裸にひん剥かれ、猿轡を噛まされて入口近くの天井に固定された。これで発見はほぼ不可能だ。


「すごい速度ですね……」

「ははは……実は太ってるのは、楽をするために調整器で自分を動かしてるからなんだ。この程度お手の物だよ。じゃあ、気絶した奴らがいれば連れてきてくれ。どんどん固定するよ」

「協力、ありがとうございます!」

 そう言ったトレハは、襲撃犯の衣服を纏っていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る