第7話 敗戦と『星群』

「っ!?」

 飛び起きた。

 瞬間、全身が悲鳴をあげる。


 困惑し、体に目をやると、ギプスまみれの体。そこでやっと少年は自分が夢を見ていたことに気づき、またガルマと戦っていたことを思い出した。


「負けたのか……」

 イチトの顔に憂いの色が刺したが、直ぐに何時も通りの無愛想な顔で感情を覆い隠した。

 隣からあまりにも能天気な声が聞こえてきたからだ。


「そのとーり。そして今は怪我の治療中。ま、おとなしく寝てなよ」

「何でお前がいる」

 ベッドで悠々と寛ぐニコラに、鋭い視線を向けた。


「似たような怪我だから同部屋で処置するのが楽なんだってさ。それより、何で飛び起きたの?」

「お前には関係ない」


 古い記憶と隣人の質問を跳ね除け、タブレット端末を出して片手で打ち込んでいく。

 打ち終わった次の瞬間、ニコラの端末が陽気な音楽を奏で出す。


 二コラは億劫そうに起き上がり、自分のタブレットを操作して通知を確認する。

『十万円の送金がありました。受け取りますか?』

 ニコラはノータイムで『はい』を押した。

 その後顔をしかめ、隣の男に嫉妬の籠もった声を向けた。


「即座に十万払うって、金持ちだねえ。まあどうせ持ってると思ってたけど」

「鬱陶しいから要求される前に払っただけだ。それにもう残りは十万だけだ」

「いや、むしろまだ残ってんの?ってか宙域は家賃タダの住み込みだし、これからどんどん増えるじゃん。うっらやっましー」


「いいや。残ったらどうせお前と組まされるから今すぐ辞めて、降りる」

「暫くは無理でしょ。何せ今は飛んでるからね」

「飛んでる?」


 ニコラはタブレットに高速で入力し、端末をイチトの方に振って出てきた動画をイチトの端末でも表示した。


 そこには宇宙船発着場から浮かび上がり、宇宙に飛び立つ船が映っている。動画の題名は「宙域警備隊、急遽飛び立つ」となっている。


「なんでか知らないけど出発が早まったって。一ヶ月は地上に行かないらしいし、脱隊もできないそうで」


 イチトは事情を聴くために立ち上がろうとするが、足が固定されているせいでうまくいかない。そんな様子を視界の端に捉えたニコラは馬鹿にしたような笑みを浮かべる。


「明後日には治るらしいから大人しくしときなよ。なんなら一月このまま寝てれば楽だよ」

「俺の目的はここにいても果たせない」


「足も腕も金もない癖に一人で行動してどうなるのさ。殺人ともなれば警察も威信に関わるしあらゆる操作をやり尽くしたはずだよ。それをニンゲンの小僧一人でどうにかできると?」

「可能性が低いからって諦めるなら、最初から復讐なんかやらねえよ」


 ニコラが口を開こうとしたところで、病室の扉を叩く音がした。ドンドンと、大きく力強い、どことなく訪れた男の人柄を反映したかのような音だった。


「失礼するぞ。って、起きてんのかよお前」

 入ってきたのは、足の骨が粉微塵になる原因を作った男、ガルマだった。

 イチトが全力で蹴飛ばした顎は青色に染まっていた。が、骨が砕けたりはしていない。


 渾身の一撃で、やっと青あざを作る程度。

 イチトは見えない位置でぐっと手を握る。激痛が走るが、それでも拳は緩まなかった。


「ここここっこここれはこれこれガルマ様!何しにいらしたんでございましょう」

 一方ニコラは青あざよりも顔を青くして、高速振動していた。


「怯えすぎだろ。まああんな事しちまったんじゃ仕方ねえか。とにかく落ち着け。別に取って食いやしねえ」

「話がある」

「お前も落ち着け。用が済むまで待て」


 イチトはガルマを睨みつけたが、気にした様子もなく、左手に持った籠を机に置いた。

 ニコラは目を硬く瞑り、ガルマが帰るのを待ちわびている。


「あー、その、すまなかったな。降参してんのに骨折るのは、やり過ぎだった。これは詫びだ。好きなだけ食え」

 ニコラは震えながらもゆっくりと起き上がり、籠の中身を確認する。


「あ、桃入ってる」

 突然震えが止まる。繊細な手付きで緩衝材に包まれた桃を取り出して、嬉しそうに眺めている。

「桃好きなのか?」

「人並みには」


 ニコラはひたすら桃の匂いを嗅いだり、産毛の感触を味わったりしだした。それを見たガルマは真顔でイチトの方へ向く。


「これが人並みなのか?」

「知らん。それより用は終わったか」

「冷てえ野郎だ。ああ、終わったよ。話がしたけりゃ好きにしろ」


「俺は宙域警備隊を辞める。どこの星でもいいから今すぐ降ろせ」

「それは出来ないな。この船の行き先をお前の一存では決められない」


「なら出発時刻変更を決めた奴にでも頼めば良いのか」

「艦長が決めた。俺も賛成だから取り次ぐ理由はない」


 そう言うとガルマは即座に立ち去ろうとする。

「なぜ出発を早めた?」

「お前は使えそうだから、逃さないようにな」

「警部とやらの顎に青あざ一つ作るのに満身創痍のガキがか」


「俺が強すぎるだけだ。それに、『星群』で重要なのは出力だけじゃない。その力を使うのに必要な対価も考慮に入れる必要がある」

「対価?」


 ガルマは端末を起動し、健康診断結果を開いた。氏名の欄にはクロイ•イチトと書かれている。


「検査、やった覚えがないんだが」

「寝てる間にな。治療するにもデータは必要だそうだ」

「宙域は個人情報保護法の違反は取り締まらないらしいな。それで、健康診断に何の関係が?」


「ああ、俺たちの仕事はもっと凶悪な犯罪者を捕まえることだからな。ここを見ろ」

 ガルマが指さした所は様々な器官の異常を記す欄だった。そこには右腎の機能低下、嗅覚不全など、身体の異常が所狭しと並んでいる。


「ボロボロだな」

「自分で言うのか。ともかくそれがお前の払った対価だ。それだけ払ってあの威力じゃ少し弱いが、問題はそこじゃない。肝心なのは既に払い終わってるって事だ」


「どういう事だ?」

「例えば俺の『星群』は『力が強くなる代わりに、使用後に意識を失う』ってのだ」

 イチトは手を顎に当てて目を閉じた。


「代わりに、が入ると代償は都度必要で、それ以外なら一度払えばいい、ってことか」

「正解だ」

「俺が降ろせと言い出すとわかってて、こんなタイミングでここに来たのも代償のせいか。本当はさっさと籠置いて逃げるつもりだったんだろ」


「……嫌なとこまで当ててくるな。ともかくお前は『星群』を使っても代償が必要ない。つまり継戦能力が高い。単純な力の強さなら俺の圧勝だがな」


 喩えるなら拳銃と大砲のようなものだ。

 威力はそこまで高くないが、ある程度連射ができる拳銃と、火力は文句なしだが連続で使えない大砲。

 どちらもあった方が、戦略の幅は広がる。


 だがガルマの攻撃は大砲と呼ぶにはお粗末なものだった。

「確かに強かったが、圧勝は言い過ぎだろ」

「あんなとこで本気だすわけがないだろ。あれの三倍はやれる」


 もう既に力で負けたというのに、その三倍も出せる相手に勝てるはずもない。

 イチトはまんまと餌に釣られてしまったと改めて認識し、強く舌打ちをする。


「聞こえるようにやるなよ。結構凹むぞそれ」

「聞きたくなきゃどっかの星に下ろせ」


「欠片も敬意がねえな……って、そういや、前は敬語で話してたのになんでタメ口なんだよ」

「どうせ辞めるつもりだ、今更上司の印象気にして何になる」


「……合理的だな。で、他に聞く事ないなら行っていいか。俺は広間壊しまくった始末書書かなきゃならないんだが」


 ガルマは少しうなだれる。その顔は後輩に辛く当たられたせいか、もしくは始末書が待ち受けているからか、哀愁を帯びていた。


「次に脱隊できるのはいつになる」

「一ヶ月ぐらい後の任務後だろうな。例年その時期にまあまあ辞めて行く」


「作戦は、あの女と組まされるのか?」

「いいや、自由だ。ただ、『星群』なしでどうにかなるなら、全員に与えないとは言っておく」

「そうか。なら、宙域の中で任務が終わるの待つだけだ」


「情報がほしいなら、昇進してから辞めるって手もあるぞ?戦果は隊の人数で等分だし、一人で戦いたいお前には有利だと思うが」

「二度も騙せると思うな。お前と競って成果なんて残せるわけがない」


「次の任務には新人しか出ない。言う通り、並みの任務は俺が出たら全部終わっちまうからな。まあ今回は敵に『星群』持ちはいないって話だし、一人でも少しぐらいは活躍できるだろ」


「今回はってことは、やっぱり『星群』持ってる敵もいるんだな」

 しまった、という声が聞こえそうな顔だ。ガルマはどう言い訳しようかと考え、唸り声を上げる。

 だが解決策はなかったようで、更に落ち込んで口を開く。


「お前と話すと、疲れる。ああ、そうだよ。『星群』を持った犯罪者は確認されている」

「どうやって確認したんだ。それと、どうやって手に入れるんだ」


「変な力があるところには妙な噂が立つもんだ。特に、犯罪者は自制しねえから噂が広まりやすい。んで、犯罪者が『星群』を手に入れる方法は、知らん」

「知らんって、随分と適当だな」

「それを突き止めるのも宙域の仕事だ。それで、もう帰っていいか?」


「いいや、あと一つ」

「疲れるってのが聞こえなかったのかよ……何だ」

「退職願の出し方を教えてくれ」

「あー、教える代わりに一つ、聞きたいことがある。さっき、あの女は指示と逆に動いただろ。アレのタネ明かししてくれよ。まあ想像はつくが」


 ガルマは戦場で生きる人間として、予想外の行動があった場合は、実行に至るまでの思考や方法を調べることにしている。


 その戦闘に関する知識欲があるからこそ、長年宙域で生き残れているのだ。

 言及されたニコラは聞こえなかったかのように、リンゴの皮を糸のように細く剥いていく。


 イチトは面倒な奴が話に入ってこなかったことに安堵しつつ、画面を指で叩いて言った。

「先に教えろ」

「どこまでも信用ねえな……」

「外部協力とはいえ、警察のお仲間だろ。信じる方がおかしい」


「お前、歯に衣着せるって言葉知ってるか?」

 ガルマは仕方なく事務員に連絡し、イチトのタブレットにテンプレートを送らせた。


「辞めたこともねえし、出来るのはこの程度だ。それで、どうやったんだ?」

「手だ」

「やっぱりか」


「ジグザグに動いて近づく時、移動する向きに手を引っ掻いて、口と違う方向に移動できるように布石を敷いた」

 音による伝達だと、情報を盗まれて対応される可能性がある。


 実際、最後はイチトが口頭で指示した方向に合わせて攻撃された。

 だから敵に知られず情報を伝えるため、五感の中で関係ない相手に伝わりづらく、指示に使える触覚を利用したのだ。


「近づいてからは膝を蹴り飛ばした時に手に記号書いて、崩してほしい時に同じのを書いた。背中はあいつのアドリブだ。本当なら相談して指と体の部位を対応させとくべきだったんだろうな」

「そっちもだったか。まあ、親指から順に頭、手、足、足、手とかって対応させとけば、何すればいいかぐらいわかるしな。次は、お前らの手も警戒しとくよ」

「もう辞めるから、戦う機会もないがな」

「ここまで根性あると逆に部下として置いときてえな」


 ガルマは肩を竦め、これ以上話すことはないというように病室を去っていった。

「そんじゃねー」

 果物籠を貰ってからずっと黙っていたニコラは、思い出したかのように言う。


 ガルマは振り返る事もせず、手を力なく振っただけだった。ニコラは扉が閉まるのを見ながら、リンゴに食らいつく。桃は手付かずのまま籠に鎮座していた。


「いい加減その芝居止めたらどうだ」

「芝居?なんの事?」

「明らかに様子がおかしいだろうが。大方俺に協力したくないから馬鹿の振りしてたんだろ」


 手のリンゴを皿に置き、口に含んだ分をゆっくりと咀嚼する。暫くしゃきしゃきと小気味良い音を響かせた後、胃に送る。そしてイチトへと向き直ると、拍手をし始めた。


「正解。私からすれば君に辞めてもらっちゃ困るからね。『星群』無くなるし」

「不便な力だ。二人でしか使えない癖に代償が多い。本気を出してもいない奴相手に負ける」

「そうかもしれないけど、私達にはこれしかないんだよ。任務の為に慣らして行こう」


「断る」

「ほえ?」

 ニコラは馬鹿のふりをしていた時よりも間抜けな顔を晒した。イチトはそんな顔にすら一切の興味を向けず、電子書籍を読み始めた。


「いやいやいや!私の話聞いてた!?昇進したいんじゃないの!?」

「そうだ。だがお前と行く理由は無い」

「あるよ、あるある。『星群』が使える。逆に聞くけど一人で行く理由は何なのさ。無いでしょ?」


「一つ、俺はこの手で犯人を殺さなければならない。誰の手も借りずにだ。だから最初から一人で戦った方が良い。二つ、戦果を等分と言っていたから、昇進が難しくなる。三つ、お前を信用できない。四つ、復讐を笑ったお前が嫌いだ。お前の理由よりも多い」


 イチトは動く方の指で数を示しながら協力しない理由を淡々と述べていく。その間一度も電子書籍から目を離す事はなかった。


「……まあ、そういう意見もあるよね。とりあえずお互いを理解するとこから始めようよ」

「そのセリフを吐く奴は理解するつもりはない。それに、嫌われるように言ったはずだが」

「元から嫌いだから無意味だよ。んで、何読んでるの?」


「よく話しかけて来れるな」

「そりゃ金がかかってるからね。君の心をこじ開けるまで続けるよ」


 イチトの顔は普段から不愉快そうだが、今はそれと比べても一段と不機嫌だった。

 金の為なら文字通り骨を折る女が、金の為に自分と仲を深めようとするなど、こんなに悍しいことはない。


「星の本だ。もう良いだろ」

「へえ、意外。なんで?」

「アステリズムってのは、星群、ようするに星だ。だから少し調べてるだけだ。話しかけるな」


「へえ、面白いじゃん。私にも教えてよ」

「話、聞いてるか」

「都合のいいとこだけね」


 引く気は全く無いようで、何度追い払おうとしても、ニコラは変わらず話しかけてくる。

 あまりのしつこさに耐えかねたイチトは、タブレットを軽く横に振る。

 するとニコラのタブレットが震え、画面に一冊の本が表示された。


「ん、何これ」

「一冊貸すから、もう話しかけるな。自分で学べ」

「ほほう、良いもん貰っちゃった。まあ黙る気は無いけど」

「今すぐ返せ」


「ま、五分ぐらいなら黙ってやらんこともないよ」

「返せ」


 ニコラは全く取り合わず、貰ったばかりの本を読みだした。

 先程無視されたことへの当てつけという面もあるのだろう。

 イチトは静かになるなら問題は無いと思い直し、タブレットに視線を戻す。


「結構エグいね、神話って」

「きっかり五分で話しかけて来るな」

「まあまあ。ほらこれ、目抉ったって」

「……オリオンか」


 次はどう話しかけようか、と考えている気配を感じ取り、イチトは諦めて返事をした。

「お、良く知ってるね」

「今調べてるんだから当然だろうが」


「まあそうだねって、ああ、ケダリオンって男が道案内で神様のとこに行って、治しちゃうんだ。うーん、なんかなあ」

「何が言いたい?」

「いやあ、たかが一時的に失明した程度って、女の子襲った罰には軽い気がするなあ。もっかい失明しないの?」


 オリオンの目は、とある王女を襲ったことで、その父に抉られた。

 確かに因果応報と言えばそうなのだが、だがイチトは、そのセリフがニコラから発されたことに違和感を覚えた。


「お前が気にするのは、そこなのか」

「?」

「目を抉ったのはその女の父親。つまり、復讐だ。お前が大声をあげて笑った、な」


「そうだね。でも私が文句を言ってるのは、オリオンに罰が下らないこと。それを為すのが誰かは問題じゃない」

「誰でもいいから罰を下すべきなら、復讐でも良いだろ」


「欲望の為に人を殺すなら、君も殺人鬼。罰を受ける側だよ」

「それでいい。復讐が終わった後なら、捕まろうが殺されようが構わない。これなら、邪魔をする理由はないだろ」

「罰受けるなら何したっていいわけじゃないよ。それと、もう一つ」


 ニコラはいつも以上に口角を引き上げて、歪んだ笑顔で言った。

「君が嫌いだから失敗してほしいんだよ」

「……心底気に入らないが、理解はできた」


「まーでも、連続殺人なんかやりやがったクズに罰は与えられるべきだし、他の誰かに先越されるのが一番面白いね。できれば私もそれ見たい」

「そんなこと言う奴と組むと思うか」

「思わないよ。でもそれなら組まなきゃいけない状況を作ればいいだけ。無様に頭下げて懇願させたら、絶対楽しいしね」


 ニコラは細く剥いたリンゴの皮を取ると、口の中に放り込む。

 勢いのまま、端末を必要以上に強く叩き続ける。そして最後に実行と書かれた所を、リンゴを持った手で殴りつけた。

 すると二人の間から板がせり上がり、部屋を二つに分けていく。


「それじゃあね。覚悟しときなよ、クロイ・イチト」

 イチトはいつの間にか顔を上げ、壁の向こうに消えるニコラをじっと眺めていた。

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