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「おばちゃん、どう?」

 風呂から上がり、バスタオルで身体を拭く。拭いても拭いても汗が出る。

 大きな扇風機の最大風速の風にあたり、身体を拭いて、髪を乾かす。

 とりあえず、身体はタオルをまいたまま。

 銭湯のおばちゃんが、

「超オッケーよ!」

 ヤマンバの制服のYシャツとスカート、私の浴衣、そしてそれぞれの下着まで、全部、ハンガーに掛かって、扇風機の風にさらされて、キレイに乾いていた。

「さっすが、おばちゃん、チョベリグ!」

「チョベリグ!」

 おばちゃんもノリノリで返す。

 浴衣は、ちゃんと手もみ洗いをしてから、乾かしてくれたらしい。

「簡単には洗ったけど、ちゃんとクリーニングとか、出した方がいいよ」

 そう言ってくれたけど、何も問題はなさそうだった。

「あ。お金」

 銭湯代に、浴衣まで洗ってもらって。でも、 払おうとしたが、ふたりして拒否された。

「いつものことだし」

 いつも、お風呂代だけ払って、服は洗ってくれてるらしい。なんて太っ腹な銭湯だ。

「すみません」

 そういうと、彼女とおばちゃん、ふたりして渋い顔になった。

「え、何?」

『チョベリバ〜』

 ヤマンバとおばちゃんが、ハモって言った。

「違うっしょ」

 なにが?

「人に何かしてもらったら、すみませんじゃなくて、ありがとうでしょ」

 そうだ。

 情けない。そんな当たり前のことが、すっかり頭の中から消えていた。

 ずっと、人と関わらず、人を避けて生きてきたから。ありがとうなんて感謝より、自分みたいな人間が、申し訳ない気持ちになるだけで、心が歪んでしまってたから。

「……ありがとう」

 おばちゃん、にかっと笑って、

「チョベリグ〜!」

 浴衣の着付けは、手伝ってもらった。あと、メイクも。

 ふああ。


 銭湯を出た。

 花火はまだやってる。けど、もうそろそろ終わりそうな時間だ。

「もう一回、観に行く?」

 言うが早いか、彼女は、グッと私の手を握った。駅は目の前だ。

 今の彼女は、バケモノでもなければ、ガングロでもない。

 ただ日に焼けた、健康的なスポーツ女子高生。

 白い髪の毛はさらさらで、化粧気のないきめ細かい褐色の肌は、ただただうらやましくて、すらりと伸びた手足と、厚底のおかげで私よりも背が高くなってる彼女。

 その手を握り返した。ぎゅっと。誰にも渡したくないと意志を込めて。


 電車に乗り、2駅進み、改札を抜け、最初に出逢った神社に着いた。

 花火は、もう終盤。残りの花火が、これでもかと怒濤のように打ち上がる。

 ドドパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパ!

 昏い夜空が、真っ黒なキャンバスが、赤、青、黄、紫、橙、ピンク、世界に存在すると考えられるあらゆる色彩で、埋め尽くされる。明るい。

 人気のない神社から、手を繋いで、花火を見る。空には、煙が充満している。

 この場所にも、これから先にも、2人しかいない世界のように思えた。

「キレイ」

 ぽつりとつぶやいた。訂正された。

『チョベリグ〜!』

 ひゅーるるるるるるるるるるるる……

 どどどどーん。

 ぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱら。

『た〜まや〜!!!!』

 力の限り、大きな声で叫んだ。たったの一代でなくなりながら、その親とも言うべき師匠と共に、1659年から今まで、360年も残っている名前。玉屋さん。鍵屋さん。なんてステキな関係なんだろう。

『か〜ぎや〜!!!!』

 すーっと、夜空から、音が消えていく。その後に続く、わっという拍手と大歓声。

 川沿いには、本当にたくさんの人がいた。

 私の視界を、彼女の顔が埋めた。目の前に。至近距離に。

 大きな眼が、こっちを見てる。キレイな黒瞳。ドキドキする。

 大きな口が、にかっと笑う。ほんのり赤みが差している。

「超かわいい。チョベリグ〜!」

 心臓が高鳴る。耳に入る音が消えた。静寂。

 汗かいてる。やだ。お風呂入ったのに。汗、臭くないかな。

 私は、私は……。

「海かプール。約束だよ」

 その言葉を最後に、握っていた手の感触が消えた。

 彼女は、ふっといなくなった。


「ぎゃあああああああ!」

 悲鳴を上げたのは、私じゃない。私を池に突き飛ばした、いじめっ子だった。

「ば、バケモノ!?」

 失礼な。これは、ガングロギャルのヤマンバメイク!

 私の顔は、真っ黒に塗られ、眼の周りは白く、唇も真っ白だった。てっきり白い口紅があると思っていたら、違った。コンシーラーを、口紅代わりに使うことで、白く塗ってたらしい。ふええ。いろいろ考えられてる。

 銭湯を出るとき、ヤマンバにやってもらった。おばちゃんは、笑い転げてた。

 今まで、スキンケアは徹底的に日焼けを避けて、美白が最上だと思ってたけど、いつもと変わらないことをするのも、気分が変わって楽しい。

 バケモノでけっこう。今の私は、私であって私じゃない。少なくとも、池に突き飛ばされてた私じゃない。

 なにより、いじめっ子が驚いてるのが、痛快だった。

「何それ、メイク?」「なんで、浴衣乾いてんの?」「なんなの!?」

 なんだ。このクラスメイト、やっぱり普通に可愛いじゃん。矢継ぎ早に、いろいろ質問してくる。

「だいたいあんた! どこ行ってたの!?」

 ようやく慣れたのか、私の方につかつかと寄ってきて、そう怒鳴った。

 息を切らして、半泣き状態になってる。

 彼女の話を要約すると、花火大会が始まる前に、確かに彼女は、私を突き飛ばして、池に落とした。

 落としたはいいが、その瞬間、私がいなくなってしまい、池の中で溺れてるんじゃないか、だとしたら、死んでしまうんじゃないかと、不安になった。イタズラレベルならともかく、人殺しになるのは怖いわけだ。

 怖くなったはいいが、人を呼べば、自分が突き落としたこともバレてしまう。

 一瞬、放っておこうかと思って、クラスのみんなと合流もしたけど、花火なんかと見てもとても見ていられない。段々怖くなってきて、花火大会の間、ずっと、1人で神社の中を、私を探していたらしい。

 花火が終わって、気づいたら、私が暢気に立ってたもんだから、パニック状態に陥ったという。

 それらを、泣きじゃくりながら、ものすごくこっちを責めながら言うのが、如何にもこの子らしい。

 私は、とりあえずまず、巾着袋を返してもらった。彼女は、自分で神社の周りの木々の中に放り投げた巾着袋を、とにもかくにも探し出していた。

 お金も、スマホも、ちゃんと入ってた。ほっ。

「5000円」

「わかったよ」

 ちゃんと返してもらった。

 いつの間にかいなくなった彼女にお金、払わないと。銭湯のおばちゃんにも、お礼を。

 もう一度会いたい。

 その場を後にした。背後で声がする。

「あの……ごめん!」

「チョベリバ〜!」

 謝ったからって許しはしないけど、いじめっ子の彼女なんて、どうでもいい。相手にしなければいい。相手にしてきても、もう怖くない。

 こっちはヤマンバだぞ。

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