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「ぎゃあああああああ」

 真っ白な髪を振り乱し、真っ黒な顔面、目の周りと唇が真っ白にひん剥かれて、これでもかってくらいに大きな口は、私を食べようとしている! あれだ、えーと、昔話に出てくる、

「ぎゃあああああああ」

 鬼婆だ!

「チョベリバ〜! 誰が鬼婆だっての!」

 バケモノが、突っ込んできた。えっと、ここで言うのは、ボケツッコミのツッコミで、その言葉の後、物理的に、突っ込んできた。つまり、池の中を、私めがけて突進してきた。

「ぎゃあああああああ! 食われる!」

「食わねえよ!」

 この古びた人気のない神社には、かつて、村人たちを恐怖のどん底に突き落とした鬼婆の伝説があって……

「ねぇよ、そんな伝説!」

 そのバケモノは、案外冷静だった。捕まった。

 ものすごい勢いで、ジャブジャブ池の水をこっちにかけてくる。

 なんなの、このバケモノは?

「チィーッス」

 ショートカットの髪は白く、肌はこんがり焼けて真っ黒、そのくせ目の周りと唇は真っ白、高校生らしき体格に、制服、ただし池の水に浸かっているスカートは極端に短く、そして同じく池の中にある、めちゃくちゃぶっとい白いソックスに、分厚い底の黒い革靴。

「鬼婆じゃなくて、ヤマンバね」

 ヤマンバ? え。似たようなもんじゃないの?

 ヤマンバ(自称)は、池の中で、仁王立ちしてる。かと思ったら、どこからか、棒付きのキャンディを取り出して、ペロペロなめだした。

 ……女の子、……だよね?

 なんなの、これ?

「……誰?」

「……ねぇ」

「は?」

「あんまり楽しくないんだけど〜」

 何を言ってるのか、言葉の意味がさっぱりわかんない。

「服着たまま池に飛び込むのとか、楽しいのかなと思ってマネしたのに」

 そりゃあ、楽しくなどないわ。何言ってんの。

 たっぷり間を取って。

「チョベリバ〜」

 何語なの?

「なんかこれ、池の水、ぬるぬるすんだけど〜?」

 言われてみれば確かに。あまりきれいな水ではないのかも知れない。考えれば考えるだけ、現実は最悪だ。

「てか、あんた、ヤバいね。池の中で何してんの〜?」

 いや。どこからどう見てもヤバいのは、顔面真っ黒な、バケモノ=ヤマンバの、あんただ。

 え。何がどうなったら、そんな顔になるの? 生まれつき?

 ところがこのヤマンバ、なんの屈託もなく、こちらに手を伸ばしてくる。

「出よ〜ぜ」

 躊躇していると、強引に腕を捕まれた。グイグイ引っ張られて、池から出る。

 ザブザブザブザブ、池の中をまっすぐ進む。

 池の外に、あの子はいなかった。私のいじめっ子。

 このバケモノを見て、びびって逃げたのかな。

「あんさ」

 え?

「寒くね?」

 そりゃ、池の中に浸かってたからね。

 そうだ。どうしよ。もういい加減、帰ろうかな。りんご飴、食べ損なったけど。焼きそば、たこ焼き、お好み焼き。

 どれ食べたって、今さら、美味しく思えないと思うけど。お金ないし。

 そうだ。バイト探さなきゃ。

「いくべ」


 夜空に、花火が上がってる。そこかしこで、歓声が聞こえる。

 火薬のにおい。人いきれ。

 ヤマンバは、花火大会の観覧場所である、川の土手方面じゃなくて、駅の方へ私を連れて歩き出した。

 駅から、たくさんの人たちがやってくる。あっちもこっちも、楽しそう。

 浴衣を来てる男女。親子連れ。小学校、中学・高校生たちの、男子女子、それぞれの集団。みんな、顔を見上げて、花火を楽しんでる。

 私は、びしょ濡れになって、頭から、水をボタボタ垂らしながら、真っ黒顔面のバケモノに連れられて歩いている。

 周りから見られてる。恥ずかしい。

 顔を上げていられない。なんでこんなことになってるのか、理解できないし、理解する気力もない。

 人の流れに、私たちだけが逆流していた。みんなと違う。そんなことが、とてつもなく、自分自身が悪いことをしていると感じさせる。あまりにも自分が惨めに思えてきた。

「どした?」

 力一杯立ち止まって、ヤマンバが掴んでる手を、思いっきり振りほどいた。

 ヤマンバが、不思議なモノを見るように、同じく立ち止まって、こっちを見ている。

「もういい。帰る」

 何か悪いことをしたとかじゃない。今の自分が、悪い存在なんだ。そう思うと、もうこれ以上、歩くのすら、嫌になった。

「やべえ」

 は?

「趙ウケる」

 はぁ? このヤマンバは、人の気も知らずに、指さして笑った。

 むかつく!

「とりあえず、ノープロ! いくべ!」

 また、腕を掴んできた。

「離してよ!」

「うっひょい〜。パねぇ!」

 思いっきり腕を振り回して拒絶してるのに、ヤマンバは、全然構わず、私の両手を軽々と捕まえて、あっさりと連行を再開した。

 なんなの!? 全然話通じないんだけど!

「ねえ、切符あるー?」

 駅について、ヤマンバが言う。お金、ない。

「おけおけ、ノープロ〜」

 ヤマンバは、飴をなめながら、2人分の切符を券売機で購入した。

「うい」

 切符を一枚渡してくれる。硬い。

 ホームで、発車ベルが鳴り出した。

「やべえ。急ぐよ!」

 行きたくなかったはずなのに、強引に連れて行かれ、改札に到達。

 駅員さんが、改札に立ってる。カチカチカチカチ。珍しいこともあるもんだ。

 花火大会だから? 今まさに、駅から大量のお客さんが、電車を降りて出て行ったところだ。

 改札なのに、改札機がない。ヤマンバのマネをして、駅員さんに、切符を渡す。

 カチカチカチカチ。切符に切り込みを入れられた。

 切符返してもらい忘れそうになって怒られた。走る。

「ギリギリセーフっしょ!」

 ぐしょ濡れの2人が、乗客が降りきって、ガラガラの電車に乗る。

 今日の花火大会のために、この駅で降りる人はたくさんいるが、乗る人は少なかった。

 ベルが鳴り終わり、

『駆け込み乗車はおやめください。危険です』

 車掌のアナウンスで怒られたのは、きっと私たちだ。

「チョベリバ〜」と不服っぽく言いつつ、「見て!」

 ヤマンバに促されるまま、座った座席から、窓の外を見る。

 窓の立て付けが悪い。左右にあるレバーを力一杯持ち上げ、開ける。

 風が。火薬のにおいを運んできた。

 車窓から花火が見える。川沿いで見るよりも、花火の高さに近い。キレイだ。

「ふわあああああ」

 電車が、速度をゆるめた。川を渡る橋の上で、徐行になる。ほとんど、止まりそうになる。

『本日、花火大会です。ほんの少し、停車いたしますので、お楽しみください』

 粋なことをやってくれる。

「チョベリグ〜!」

 どうやら、ヤマンバも喜んでいる。

 花火が上がってる。赤、青、黄色。大きくて丸く、いくつも、重なって。

 どーん、どどどどーん。

 どどどーん。どーーーーん。

 ぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱら……。

 開けた窓から、風が入ってくる。気持ちいい。また花火が上がる。大きい。

「たーまやー!」

 ヤマンバが、叫んだ。

 その時、初めて、電車内の明るい光の下で、ヤマンバの顔を見た。なんというか、想像を超えたバケモノだった。

 真っ白な白髪は、ショートカットで、ふわりとしていて、色は、ハイブリーチをしたシルバーっぽかった。もしかすると痛んでそうだけど、私にはそう見えなかった。風にさらさら流れてる。きれい。

 顔は、確かに黒い。日焼けした肌に、濃いブラウン系のファンデーションで塗りたくっていて、目の周りは白く抜いてるようだった。

 唇は、白い口紅なんてあるのかな。

 どうも、これらはほとんど、メイクで作られてるっぽい。

 だから、その本体は、バケモノでも鬼婆でも、ヤマンバでもなくて、ちゃんと若い高校生女子のようだった。

 確かに、メイクはどぎついけど、それ以上に、なんというか、きれいな顔だった。

 大きな目、つんと伸びた鼻、大きな口、整った輪郭、そして、さらさらヘア。

 服装は、制服のYシャツをだらしなく着て、スカートはかなり短く、ダボダボの白いハイソックス、そして、15cmはあろうかという、厚底の靴。

 すごいセンス。そのくせ、アクセサリは、安っぽいネックレスとブレスレットだけ。何ともちぐはぐに感じるセンスだった。

「た〜まや〜!」

 ヤマンバは、花火に合わせて叫んでおいて、眉間にしわを寄せて、ものすごく不服そうにこっちを見た。

「『た〜まや〜!』っていったら、『か〜ぎや〜!』って、叫べやあ!」

「ぎゃああああああああああああ」

 襲われる!

 なんなの!? それ、やんなきゃいけないの!?

「誰もいないじゃん。大丈夫っしょ!」と言ったかと思うと、「あんたも言いなよ!」矢継ぎ早に促される。

「かーぎやー」

 じっと見つめてくるから、なんか恥ずかしくなった。

 あんまり大きな声を出すと、周りのお客さんの迷惑になる……と思ったけど、そもそも、お客さん、この車両には、他にいなかった。

「たーまやー」

 ヤマンバ……彼女の十分の一の声も出せない。

「声が小さい!」

 怒られた。なんなら、腹式呼吸で出せとか言われた。

 これでも、中学の時は、合唱と吹奏楽をやってたから、ちょっとむっとした。

「た〜まや〜!」

 最大限、出せるだけ出した。すると彼女は、その真っ白で大きな口でにっこり笑って、

「チョベリグ〜!」

 それ、褒め言葉の単語で合ってる?

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