第13話 モニカ

 ロバート・マクシミリアン公爵とモニカの主との話し合いは、なかなか進まないようだった。


 約束通り、モニカと再会出来た。それ以上何も進まない焦燥に、ケヴィンは苛まれた。だが、ケヴィンには何も出来ない。交渉してくれているロバートは多忙を極める宰相だ。

 

 ロバートは、宰相として、公爵としての責務を果たすために、寝食を惜しんで働き詰めだ。気心の知れたローズやエリックが、気を配ってやらないと、寝食どころか、己の身まで削り、痩せこけてしまうロバートを急かすことなど、ケヴィンには出来なかった。


 ロバートは気を使ってか、事情を教えてくれた。

「先方が、モニカさんのことを、随分と信頼してくださっているようで、手放してくださらないのです」

ケヴィンの素性は機密だ。ケヴィンが、モニカの主のところに押しかけるわけにもいかない。ケヴィンには待つことしかできなかった。


 モニカとケヴィンは、グレース孤児院で定期的に会っていた。モニカの主は、ケヴィンが孤児院の警護にあたる日に合わせて、モニカを孤児院に寄越してくれた。モニカとケヴィンの仲に反対しているわけではないらしい。それもあって、ケヴィンは、進まない話し合いを待つことが出来ていた。


 ロバートはマクシミリアン公爵邸を使って良いと言ってくれている。だが、孤児院には子供達がいる。子供達が、リズの父ちゃん、リズの母ちゃんと、纏わりついてくるのが、ケヴィンは嬉しかった。


 マクシミリアン公爵邸にはローズがいる。二人の子供のユージーンもいる。モニカは、娘のリズを亡くしている。リズが生きていれば、ローズと同じ年頃だ。今のローズと会うと、モニカが辛いのではと、ケヴィンには思えた。リズと会ったことのないケヴィンも、ローズが息子を抱いているのを見ると、時に胸の内がかき乱されるのだ。


 ローズは、モニカに会いたがっているが、モニカがローズに会いたいのか、ケヴィンには、分からなかった。ケヴィンは未だに、モニカに、自分が誰の家で世話になっているかを言えずにいた。


 人の口に戸は立てられない。子供ならば尚更だ。

「ねぇ。リズの父ちゃん。ローズ様はお元気?」

「赤ちゃん生まれたんだよね。おっきくなったかな」

「いつまた慰問に来てくれるの」

「赤ちゃん一緒に来てくれるかな」

「抱っこしたいなぁ」

子供達の質問に、ケヴィンは焦った。子供達に口止めをしていなかった。


「あら、ローズ様って、マクシミリアン公爵夫人のローズ様」

モニカが首を傾げた。


「えぇ。実は、リゼなのですよ。そういえば、お話していませんでしたね。ほら、リゼを貴族が引き取ったと、お話していましたけど。王太子様でしたの」

「リゼなりに、万が一の時に、孤児院にお咎めがあってはと、ローズと名乗ったそうですわ。口止めされてはおりませんけれど、あまり表沙汰にすることでもないでしょうから」

「聖女ローズ様が、このグレース孤児院出身であることは、公表されておりますけれど」

どうして、マクシミリアン公爵は、シスター達に口止めをしなかったのだろうか。ケヴィンに向けられた、モニカの笑顔が怖い。


 ローズ・マクシミリアン公爵夫人は有名だ。王太子アレキサンダーに、疫病から街を救う術を伝え、奴隷商人達に囚われた人々を救い出し、王国の歴史を影で支えていた武王マクシミリアンの子孫の妻となった聖女ローズ。聖女ローズが孤児で、グレース孤児院で育ったことはよく知られている。当時、リゼという名前だったことは、知られていない。


「ローズ様はあのリゼですわ。小さな可愛い泣き虫リゼが、母親なのですよ。今はマクシミリアン公爵夫人ですけれど」

「あの可愛いリゼが、母親になるなんて。私達も歳を取るはずです。お元気にしておられるかしら」

「今は、お子さまが小さくていらっしゃるから大変でしょうけれど。ぜひ、またいらしてくださいなとお伝え下さいね」

シスター達は、笑顔でケヴィンに、ローズ・マクシミリアン公爵夫人への伝言を託してくれた。


「ケヴィン、どういうことかしら」

モニカの笑顔が怖い。

「あなた、今、どなたのお屋敷でお世話になっているの」

ケヴィンは観念した。


「あなた、気を使う方向が間違っているのよ」

ケヴィンは、モニカの言葉に身を竦めた。

「面目ない」

「リズの一番仲の良いお友達だったのよ。いつも二人一緒に居て、双子のようだったわ。リズのお母さんと呼んでくれて、慕ってくれて、本当に可愛らしかったのよ。もうひとりの娘みたいだったわ。賢い子だったから、見込まれて貴族に引き取られたと聞いていたけれど、心配していたのよ。利用するだけ利用して、捨てるなんて、ありそうじゃない。安心したわ。リゼがローズ様で良かった」

モニカは、楽しそうに喋り続ける。


「引き取ったのは、王太子様だったのね。あの子の賢さを見抜くなんて、きっと見る目をお持ちの方なのね。素晴らしいわ。リゼも、あぁ、ローズ様なのね。リズもきっと喜んでいるわ」


 モニカは笑顔のまま、リズの名を口にした。

「お母さんになったのね。赤ちゃん、可愛いでしょうね。きっと。マクシミリアン公爵様も、お美しい方なのでしょう。吟遊詩人の言っていることが本当なら。リゼ、あぁ、ローズ様なのね。公爵夫人だなんて。赤ちゃんを見せてなんて、簡単にお願いできないわ。でも、可愛いでしょうね」

モニカは、楽しそうに話している。


「つらく、ないのか」

ケヴィンは、おそるおそる尋ねた。


 モニカは、呆れたように微笑んだ。

「リズのことは、つらくないとは言わないわ。でも、リゼが、あのローズ様で、あの子がお母さんになったことは、嬉しいことよ」

モニカの笑顔に、ケヴィンの肩から力が抜けた。


「じゃあ、今度は、マクシミリアン公爵家で会おう。ロバートは、いつでもいいって言ってくれているから」

「あなた、公爵様をそんな風に呼んで良いの」


 ケヴィンは天を仰いだ。モニカにも、ケヴィンはまだ、自分が誰だか説明をしていなかった。ただ、実家に連れ戻され、紆余曲折はあったが、円満に勘当されて、今はケヴィンという名になったとだけ説明していた。これは駄目だ。このままでは駄目だ。だが、許可がいる。


 ケヴィンは、浮かれていた自分に反省した。


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