第5話 後からならば何とでも言える 1

 その日もケヴィンは、リズの墓の前にいた。今日もモニカは来ていない。モニカは、リズが生きていた頃は、数ヶ月に一回、亡くなってからも年に一回は必ずグレース孤児院に、リズに会うために来ていた。


 モニカに会えないまま日々がすぎ、ケヴィンは落ち着かずにいた。リズが生きていれば、既に成人している。モニカが区切りをつけた可能性があった。


 ケヴィンを気遣ってか、ロバートは、ケヴィンには全く読めない故シスター長の日記を、ケヴィンに読み聞かせてくれた。日記は、ケヴィンが知らなかったことを教えてくれた。


 グレース孤児院が母親のいたリズを預かったのは特例だった。夫が身なりの良い誰かに、突然連れ去られたというモニカの訴えに、故シスター長が不穏なをなにかを感じ、リズを預かると決めたそうだ。


「Mは、夫を連れ去った男に無理矢理握らされた金貨を、孤児院に寄付すると言った。断った。彼女のための金貨だ。必ずもどってくるといった夫に、また会うために、Mが生きるために使うように説得した」


「ジュードだ」

ケヴィンには、ジュードが渡したという確信があった。父と兄の命令に逆らえないジュードは、ジュードなりにモニカを助けようとしてくれたのだ。


「Mは貴族の館で、住み込みの下働きになった。女性一人でもあの家であれば、安心だ。あの金貨を使って身なりを整えてくれてよかった。いかにも不審者という格好では、義に篤いあの家でも雇えない。よかった」


「Mは、仕事に慣れたら、子供がいることを打ち明けて、一緒に暮らしたいとお願いするらしい。リズは悪さなどしないから、すぐにお願いしたらどうかとMに伝えた。Mの願いを主が聞き届けてくれるよう、神様にお祈りをする。リゼが寂しがるだろうから、一緒には無理だろうか」

モニカが望み、故シスター帳が祈った日は永遠にこなかったことを、ケヴィンは知っている。


「この年は、夏になっても寒く、作物の収穫量が減少し、冬の冷え込みも厳しいものでした」

「グレース孤児院で、寒さと飢えと病気で、沢山の子供が、リズも、死んだ年か」

「はい」

ロバートは、ページを繰った。


「今日はリズが亡くなった。迎えに来てくれるお母さんのいるリズが死んじゃって、誰も迎えに来てくれない私が助かってしまったといって泣くリゼを、どう慰めたら良いかわからない。リゼは沢山の子を助けたが、一番仲良しのリズを助けられなかった。可哀想に。神様に、リゼの悲しみが癒える日が早く来るようにとお祈りをする」


「Mが来た。子供を引き取りたいと相談したら、主はすぐに許可してくれたらしい。大雪のせいだ。大雪がなければ、Mはリズを孤児院から引き取り、お屋敷につれていくことが出来た。Mとリゼは、リズの墓の前で抱き合って泣いていた。神様へリズの魂の安らぎをお祈りする」


 ロバートの淡々としていた声が、僅かに揺れた。


 リズには生きていてほしかった。だが、別の子供が死んでも良いということではない。夏の寒さがなければ、飢えはなかった。冬の寒さが例年程度なら、子供達が凍えることもなかった。大雪が降らなければ、モニカは、リズを働いていた屋敷につれていくことが出来たはずだ。孤児院で病気が流行らなければ、沢山の子供が死ななかった。


「なんてこった」

 今更どうしようもない。あまりに不運が続き、沢山の子供が犠牲になり、リズもその一人だったのだ。リズだけが、不運だったわけではない。防げなかったのかと思うと悔しい。悔しいが、いくら悔しがっても無駄なものは無駄だ。


「この後です。グレース孤児院での寄付金および物資の横領が発覚しました。長く厨房に務めていた老夫婦です。既に彼らは処刑されています」


「敵(かたき)はとってもらったようなものか」

ケヴィンの言葉に、ロバートはゆっくりと首を振った。

「横領に気づいたのは、我々ではありません。長年、横領は見逃されていました。横領に気づくことが出来ていたら、少なくとも飢えは改善できたはずです」


 正当な自己弁護すらしないロバートにケヴィンは苦笑した。ケヴィンはジュードから色々聞かされた。リラツ王国が把握していることが全てではないだろう。当時、ライティーザ王国は、血生臭い権力争いの只中だった。


「ティタイトとの戦のあと、ライティーザも内政の安定には時間が必要だったはずだ。そのあと、アレキサンダーの立太子前に、反対派がかなり苛烈だったとジュードから聞いている」


「傷が見えた。相当危なかった。違うか」

ケヴィンは自分の左脇腹に軽く触れて尋ねると、ロバートは頷いた。

「後少しずれていたら、助からなかったと言われました。刃に毒が塗ってあったので、かなり後まで、あまり、思い出したくないですね」


 鍛錬のあと、ロバートが着替えているときに、偶然目に入った傷だ。一番大きな左脇の傷が目立っていたが、他にも傷があった。


「生きるか死ぬかだ。死んでいたかも知れない。今は生きている。でも当時は、明日生きているかなんて、知らなかったはずだ。戦争とその後の混乱が収束するかしないかでの、反対派との闘争だ」

相当際どいところを切り抜けてきたはずだ。幾度となく刺客に襲われ、怪我をしながらも、今も生き延びているほうが不思議なのだ。


「確かに、どこかの時点で助けてくれていたらとは思う。それにかまけていたら、死んでいたかもしれない。それこそ孤児院を餌におびき出して、孤児院もろとも焼き討ちもあっただろう」

それが殺し合いだ。


「後からならなんとでも言える。それに俺は何もしていない。俺は、何もしていないのにあとから口だけ出すような卑怯者にはなりたくない。なにかが僅かに違っていたら、狼の当主ロバートやアレキサンダー王太子が死んでいたら、俺は未だに手がかり一つなしだ。その日記も読めない」


「そうおっしゃっていただけると、少し、助かります」

ロバートが微笑んだ。


「俺だって、もっと前に野垂れ死にしていたかも知れない。それこそ、ジュードが来てくれなかったら、奴隷商人の用心棒だ。絞首刑で今頃、骨になっている」

「否定はできませんね。リラツ王国の関係者だと全く気づかなかった可能性すらあります」

「真顔で、恐ろしいことを肯定されても、困るな」

どちらからともなく笑った。



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