あと1時間ぎゅーってして

「うえぇ〜おにいちゃん〜」


「つむぎ?」


「やだぁ、もっとぎゅーてしてぇ〜〜」


「つむぎ? お、落ち着いて? 言ってることおかしいのわかる?」


 こちら妹の部屋。ベッドでつむぎに四方固めされた兄は逃げ場を失っていた。


(だから体勢、近い近い近い近い!!)


 二人きりになったときのつむぎはつよつよである。


 全体的に柔らかなこの子に抱きしめられていると、一生このままでいいかなという悪魔的な心地よさがある。


 しかし正気を保たねば、いつスタンド背後霊に背骨を折られるかわからない。お陰様で常時玉ヒュンだ。


「だってぇ、わたしと莉子ちゃんが我慢してるの、おにーちゃんのためなのにぃ、全然おにーちゃんわかってない〜〜!!」


「う、うん? なにを我慢してるって?」


 いろいろと我慢しているのはこちらですが!?と抗議したいが、グッと抑える兄だ。


 つむぎはつむぎで、この鈍感系主人公に怒り心頭である。いつもは控えている気持ちを、二人きりだからと大爆発させた。


「あんまりおにーちゃんの手がかからないようにしてるのにぃ、アルさんはそういうの関係なくてぇ〜〜」


「わかったわかった、ごめん。ちょっとアルのこと構いすぎてた」


 胸元で泣き顔を上げ、つむぎはこくこくとうなずいた。


 間近で行われるかわいすぎる仕草に、胸がもげかける。


 しかし少しでも心拍数を上げれば即座に幽霊の朝比奈さんの首筋責めにあい、心臓が止まりかける。「正気に戻してくれてありがとう!」とは、全く思えなかった。


「それで、機嫌は直りそう?」


「んー、あと1時間ぎゅーってしてくれたら直るかもぉ」


「10秒な」


 1時間後に命が無事だと思えないため、この提案は仕方がない。


 ご希望通りつむぎの頭を抱え込むと、李津は思いっきりつむぎを抱きしめた。


 つむぎは莉子よりも背が高いけれど、李津が抱きしめれば小動物みたいにすっぽりおさまる。それがまたかわいらしく思う。


 力加減が強かったのか、苦しそうにバタバタもがく妹からきちんと10秒後に手を離した。


「ぷは! おもてたのと違うかもぉ!?」


「じゃあ俺はこれから用事があるからどいてくれ」


「うえぇ〜〜〜!?」


「今日くらいは莉子を怒らせたくないんだよ」


 ぽんっとつむぎの頭を撫でて、李津は体を起こす。


「今日くらいってぇ……えっ? おにーちゃん、もしかして」


「ごめんな、つむぎ。莉子のために怒ってくれたんだよな? だって今日は――」


 李津がボソボソと恥ずかしそうにつぶやく言葉に、腹の上に乗っていたつむぎの顔がパッと明るくなった。




 ◆




 ガチャン。


「あ、最悪」


 誰もいなくなったキッチンで、洗い物をしていた莉子の手から皿が落ち、シンクで割れた。


 みんなでお揃いで買った白い皿。100均のものだが、それなりに愛着があった。


 ぼんやりしていた自分が悪い。


 皿の破片を拾い集めていると、指先が切れて血が滲んだ。


「いたっ……」


 この擬似家族はいつか壊れる。


 どういう結末だろうが、必ず傷付く日が来る。


「そんなのバチバチにわかってますよ。それでもあたしは……」


 消え入りそうな声でつぶやくと、涙があふれて目の前の血がぼやけた。


「莉子!」


 手首が乱暴に取られた。


 血相を変えた李津が、莉子の怪我をした指とシンクの皿を交互に見ていた。


「血が出てる。破片で切ったのか?」


「あー全然、大丈夫ですよ。すみません、お皿割っちゃって」


 力のない声で答え、莉子は掴まれていない方の袖で涙を拭った。


「皿なんてどうでもいい。消毒取ってくるから、手を洗ってリビングにいろ。それは触るな、あとは俺が片付ける」


「こんなの全然平気です」


「おまえが平気でも俺が心配なんだよ!」


「……っ」


 今、いちばん側にいてほしい人だった。


 今、いちばんかけてほしい言葉だった。


 うれしくて、拭ったばかりの涙がポロポロと落ちる。


 そんな莉子の顔を見て、李津は怪我が悪いのかと焦った。


「そんなに痛いのか? ちょっと座ってて!」


「兄ぃ、いっ、行かないでくださいぃ」


 李津の服の裾がつかまれる。


 驚く前に、そのまま手綱を引くように、背中にことんと妹は額を預けた。


「だって、最近あんまり二人で話せないし、今くらいここにいてほしいです」


 李津は振り返れなかった。


 そんな風に思わせていたのかと、胃の中で暴れまわる罪悪感を服の上から押さえつける。


 ぐすっと鼻をすする音のあと。


「兄は、あたしが初めて安心して好きだってぶつけられた人なんです。あたしのお兄さんなんですっ! あたしだって本当に大好きなんですよ!? 誰にも渡したくないって思って悪いですかっ!?」


 いつも明るい妹の痛ましい叫びが、李津の心を引き裂こうとする。


「莉子……」


「うう、もぉなに言ってんのか自分でもわけわかんない」


 李津は頭をかいて天井を見上げた。


 そして、その手をポケットに突っ込む。


「なあ莉子」


「なんですか。ぐすっ」


「後でと思ったけど……誕生日、おめでとう」


「…………え?」


 ポケットから取り出したのは小さな赤いビニール袋だった。


 受け取った莉子は、呆けた顔でそれを見つめる。


「大したものじゃないけど」


「あ、いえ。なんかいろいろびっくりして……ぐすっ、開けます、ね?」


 ゴールドの紐を解いて出てきた中身は、うさぎ柄のタオルハンカチだった。


 うさぎのように目を真っ赤にした妹が、ぽやんとハンカチを見つめている様子はなんだか少し間抜けでかわいい。


「うさぎ……」


「おまえよく泣くから」


「!! 泣いて……! ますけどっ」


「とにかく消毒、待ってろ」


 そう言いつけて、耳を真っ赤にしながら李津は救急箱を取りにリビングへ行った。


 残された莉子は、キッチンでハンカチを握って。


「ふふ。兄からの初めてのプレゼント、だ」


 涙をひとつぶ落として、にへりと笑った。




 ◆




「兄ぃ」


 怪我の処置とシンクの片付けが終わった李津に、リビングで待っていた莉子が声をかけた。


「誕生日だから、わがまま言っていいですか?」


「……なんだよ?」


 含みのある言葉に、李津は思わず身構える。


「そんな不安そうな顔しないでくださいよ。全然大したことないですから……多分」


「多分?」


「妹は今、バチバチにアイスが食べたくなったんですけど」


「コンビニに行けってこと?」


「んー。イオンの2階の外にあるワゴンのジェラートがいいです」


「イオン? 駅の?」


「そーです。おごってください♡」


「おまえさっき、プレゼ――っ」


 文句を言いかけて李津は口をつぐんた。


 少し考えて、小さくため息をつく。そしてソファに座っている妹を見下ろして。


「じゃ行くか。着替えてくるわ」


「うん! あたしも着替えるので、15分後、リビングで待ち合わせましょう!」


「そんなかかるか?」


「覚えておいてください、兄。女の子は支度に時間がかかるものなんですよっ」


 莉子がようやくいつもの笑顔を向けて、李津も自然と笑みがこぼれる。


 二人が廊下に出ると、階段横の和室からひょっこりとハウルが顔を出した。


「あれぇ? なになに、どっか行くの?」


「あ、はい。兄とイオン行って来ます」


「そーなんだ! いいな、ぼくも一緒に行っていい?」


 無邪気に目を輝かせるハウルに、階段を登りかけていた李津が振り返る。


 そのとき、後ろで不安そうにしている莉子と目が合った。


「えっと……アルごめん、今日は莉子と二人で行くから」


 胸が痛いが、李津はキッパリと断った。


 莉子が本当に望んでいるのは、ジェラートじゃなくて、二人で話す時間だと思ったから。


「兄〜〜〜〜〜〜〜っ!! 兄! 兄! 兄っ!」


「なに、やめろよ! 尻を叩くな!」


「えへへ、そりゃ叩きますよー、早く着替えてきてくださいっ!!」


 破顔した莉子が、後ろからケツドラムでかす。


「?? 断られちった」


 ハウルは楽しそうに階段を登っていく兄妹に首をかしげた。




 長尺になるので割愛するが、夜はもちろん有宮家で莉子の誕生日パーティが開かれて、とても楽しい夜になったことは記しておく。






 

 

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