兄の嫌がることなんて絶対にしません

 



「おい、リツはついて来るな」


「どうしてさ、ボブ。さっきは一緒に遊ぶって……」


「おまえは本当に頭が悪いな! そう言わないと僕がママに怒られるだろ!」


「リツはぁ、もう少し鼻が高くハンサムになって、目がセクシーな色になれば遊んであげてもいいわ。まっ、無理でしょうけど!」


 青い瞳の子どもたちはケラケラと笑いながら、クイーンズの住宅街を走って行った。


 家の前に置いてけぼりにされて、友人たちの背中を恨めしそうに睨みつけているのは、6歳の有宮李津である。





「……あー、くそ」


 上から黒いペンでガシガシと塗りつぶしたい記憶ほど鮮明に蘇り、その都度、心に焼いた鉄を流し込むような違和感をもたらすのはどういう仕様だろうか。


 もれなく李津もそんな感じで、寝転んでいたベッドでシーツを握り締めていた。


 控えめなノックが鳴り、部屋のドアが開く。


「兄?」


 心配そうに顔を覗かせるのは陽キャな妹の莉子だ。


 李津は慌てて入り口に背を向けて寝転がると、スマホをいじっているように装った。


「せっかく躑躅つつじさんが来てますし、一緒に遊びませんか」


「俺はいいよ。いつも通り放っておいてくれ」


「はあー。ま、兄ならそう言うと思ったので、持ってきましたよっと」


 なにがだよと李津が振り返ると、ドーナツ2つと紅茶を乗せたトレイを持った茶髪ツインテールが部屋に入ってきたところだった。


 ローテーブルの上にトレイを置くと、莉子は勝手に座り込む。


「いただきまーす」


「おまえが食べるのかよ!」


「早くしないともぐもぐ、兄の分、なくなりますよ?」


「……食べるっ」


 李津はベッドを這いずると、テーブルの上のドーナツをビーチフラッグのように奪い取った。


「うわ、お行儀悪っ」


「……ふんっ」


 ベッドに腰掛けて、そっぽを向いてもぐもぐタイムが始まった。


 モノが口に入っている間は、無駄話をしないで済む。おかげで李津の警戒心も薄れていった。


 しかし待てども待てども、莉子は何か話すわけでもなくドーナツを頬張っており、さらにはひとつしかない紅茶のカップにまで口をつけ始めた。


「それ、俺の紅茶じゃないのかよ」と痺れを切らした李津は、とうとう自分から口火を切った。


躑躅つつじを待たせてるんだろ。いいのか?」


「兄が降りたくなるまで、粘ろうかなーと」


「んっ、ゴホッゲホッ! なんっ、でっ!?」


 器官に入って苦しそうな李津に、莉子は持っていたカップを渡した。それを一気飲みしてから、同じカップに口をつけてしまったことに気づき、李津は赤面して息を止める。


 一方莉子は、間接キスなど全く気にならないのか、真面目な面持ちで先の質問に答えた。


「兄が自分のことを構うなっていうのもわかってますけど、共通の友だちが来てくれたんですよ。顔を出さないと失礼じゃないですか?」


「失礼?」


「そーですよ。ほら、兄の目指しているシェアハウスでも、こういうときは集まると思います」


「それはパリピのシェアハウスだろ」


「偏見ー」


「とにかく俺は、ホームパーティがダメなんだよ……」


 苦虫を噛んだような顔をする李津を、莉子は心配して覗き込む。


「なにかあったんですか?」


「……」


 李津は答えない。


 代わりに残りのドーナツを口に突っ込んだ。


「兄になにがあったか知らないですけど、あたしたちは、兄の嫌がることなんて絶対にしません」


 もぐもぐによるだんまりは続く。


「信じてください」


 莉子の温かい手が、李津の手の甲に重なる。


 そのうち、もぐもぐは嚥下えんげされた。


「……」


 ホームパーティにはいい思い出がなかった。


 キラキラして、まぶしすぎて、いつだって自分は場違いで、うまく息ができなくなる。


 日本ではしないだろうとたかを括っていたが、近しいことが早速開かれるとは想定外だった。ばっくりと開きそうな古傷をなんとか押さえ込んでいる。そんなギリギリの精神状態だった。


 李津にとって、ホームパーティは鬼門なのだ。


 無理して参加して、またつらい思いをして、誰かに――妹や友人に恨みつらみをぶつけたくなかった。


「……ごめん、やっぱり気が進まないから」


 つぶやいて、李津は莉子に背中を向けた。


 莉子は「そうですか……」とうつむく。


 その気配に、李津はぎゅっと目を閉じる。


 誘ってくれたのはうれしかった。喜んで行くことができないのは、自分自身の問題だ。小さな猜疑心さいぎしんが「行くな、どうせまた傷つくぞ?」と足止めをするから。


 心の奥のわだかまりを振り払えないのは、自分の弱さだ。彼の拳は小刻みに振えていた。


 少しだけ沈黙が続いたあと、莉子は諦めて立ち上がった。そして部屋を立ち去ろうとしたその時だった。


「き、きゃ〜〜!? きゃ〜〜〜〜〜〜っ!!」


「え……。むぎっ!?」


 下からつむぎの悲鳴が聞こえて、莉子が驚きの声を上げた。李津も弾かれるように振り返る。


 莉子がここにいるということは、下ではつむぎと躑躅つつじが二人きり。


 頭に浮かぶのは、イオンのテラスで躑躅に押さえつけられていた莉子の姿だ。


(あいつ、今度はつむぎに!?)




『莉子ちゃんたち遅いですねぇ』


『どしたん、話聞こうか?』


『? に、にのまえ先輩ぅ?』


『どしたん、話聞こうか?』


『え、わたしはぁ、莉子ちゃんとおにーちゃんが、何してるのかなってぇ……』


『どしたん、話聞こうか?』


『うえぇ〜!? この人全然話聞いてないぅ〜〜!?』




 以上、李津の妄想。


「あのバカチンコ!!」


「あああ兄ーっ!?」


 莉子が呼ぶのも構わず、李津は自分の部屋を飛び出した。





 

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