甘いのは兄もですよ?

  ◆




「甘い」


 強めの口調で李津は叱った。し口で、隣の莉子を横目で見下ろして。


「また襲われたらどうするんだよ」


 テラスを離れ、イオンの出口へと歩いている最中だった。


「今日は助けに来てくれてありがとです、兄」


 莉子は手を合わせて、祈るように李津へと感謝の気持ちを向ける。


「でもあの人……もう大丈夫だって思うんですよ」


 躑躅つつじが照れながら語った「家族に旅行をプレゼントしたい」という夢。「お客さんにありがとうと言われて心が温かくなった」という思い。あれは本心で、彼の心根の優しさだと莉子は信じたかった。


「あたしだって間違えることあるし、兄とかむぎ子とか……たくさんいろんな人に許してもらって今があるので。自分もそうしたいなって思ったんです」


 莉子が言っているのは理想論だ。


 それは性善説が前提で、人目がある場所で女に手を上げる人間の今後を無条件に信じるなどありえないとは、100人中99人が言うだろう。


 李津は眉を寄せた。なにかあってフォローをするのは俺なんだが、と言いかけて飲み込む。


 なぜなら、初めて会ったときの彼女なら絶対に選ばなかった方法だろうと気づいたからだ。


 李津とつむぎと出会い、莉子は変わろうとしている。


 その勇気を、殻を破って踏み出した彼女の思いを、身近な人間なら支えてしかるべきだ。


 だがそれは、干渉し合うことになるのではないかと李津は迷った。


(……ちくしょう、本当に面倒だな)


 頭の奥がじわじわと熱くなる。


 李津は先にエスカレーターを降りると、振り返って莉子に手を貸した。


「やっぱり甘い」


 黙って何か考えているかと思えば、もう一度同じことをつぶやく兄に、莉子はしょんぼりと肩を落とした。


「……けど、おまえがそう決めたなら反対はしない」


「え。いいんです、か?」


 怒られた子犬のように、不安げにうかがう莉子に、李津は自分の判断が間違っていないと確信した。


 この子には、人を信じる道を進ませてあげたいと。


 本当の兄妹とかどうでもいい。


 ただひとりの人間として、彼女を応援したい。


 長く心に巣食い、彼女を苦しめたコンプレックスを拭えるのなら。


 そのために自分が少しあおりを食うくらいで済むなら、安いものではないかと。


「ただ、危険だと判断したらすぐに止めるからな」


 迷惑だと叱られると覚悟していた莉子は、目を丸くして驚いた。


 ぱぁっと瞳が輝き、頬に赤みが差す。そして思わず、ふふっと小さく声を漏らした。笑顔だった。


「うん! ……でも、甘いのは兄もですよ?」


「どこがだよ」


 不服げな視線が向けられて、もう一度笑ってしまう。


 この兄、自分で気づいていないのがまた愛しい。莉子はガラ空きの腕に飛びついた。


「ね、兄。あたしたちって、バチバチに似たもの兄妹だって思いませんか?」


「ちょ、どうしてくっつくんだ!」


「妹ならこれくらい普通ですが?」


 平気そうに振る舞っているが、彼女も本当はとても怖かった。


 躑躅が手を上げかけて、楽しかったバイトも終わりなんだと覚悟した。


 けれど、そんなときにいちばん来て欲しかった人が来てくれて、どれだけ胸が高揚したか。


 そればかりか、躑躅と自分の関係が取り返しがつかなくなる前に李津が助けてくれたのだ。


 おかげで明日からも、日常はなにも変わらず続くだろう。


 それが、莉子はうれしかった。


「普通!? う、嘘つけ、はっ離れろってー!!」


「んべ!」


 さっきまで偉そうだった李津が、たじたじになって逃がれようとするのがまた面白い。


 何度ありがとうを伝えても足りなくて困る。


 だから嫌がるほどくっついてやると、莉子は意地悪く笑うのだった。





 

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