妹をずいぶん可愛がってくれたみたいだな
「……けんな」
ふるふると震える
先ほどまでの和気あいあいとしていた空気は一変し、莉子は身を固くする。
「きゃっ」
「ふざけんなよぉ! どいつもこいつも偉そうに!!」
「い、痛いですっ」
「うるせえ! アバズレ女が!!」
乱暴に、首を締めるようにして壁に押し付けられて、もはや莉子に体の自由はなくなった。
莉子は真っ青になり、目の前で豹変した
あ、ないわ。アイス店店長・原田洋子の目は素に戻っていた。DVはいただけない。ちょっとやりすぎではないか。というか、店のカップをそばに置いたまま喧嘩されるのは営業妨害である。警備員を呼びに行こうと決めて店を出たとき、近寄り難そうにアイス店とケンカを交互に見ている小さな子を連れた母親と目が合った。親子をどうフォローしようかと原田が考えていると、さらに別の男子高校生が入って来て目を見開いている。もう勘弁してちょ……。原田の冷や汗は止まらない。
怒りが最高潮に達した
「こっちが
「そんなつもりじゃ、落ち着いてくださいっ」
「じゃあなんだ!? 俺がブサイクだからか!? てめえ、ちょっと顔がいいからって調子づきやがって!」
「そんなこと思ってないですっ」
「うるせぇクソがよぉ! おい、奢った金、返せよ。ガソリン代もだ。俺から、
そんな彼女の態度で、余計に腹の中がぐらぐら煮えたぎる。悔しさにぎりりと奥歯を噛み締めた。
まだ高1ならスレていないと思ったが、やはり顔に恵まれた女はダメだ。男を、ブサメンをナメて見下すのだ。だから自分がわからせてやらないといけない。
(そうだ。俺はこいつの教育係だったもんな。だからこれも教育だ!)
躑躅は、大きく腕を振り上げた。
莉子もぎゅっと目をつむる。
しかしその腕は、パシッと誰かに掴まれて宙で止まった。
「なあ莉子。学校帰りに寄り道するなんて聞いてないんだが?」
男の声に躑躅が振り返れば、真後ろになぜか転校生の有宮李津が立っていた。
「げっ、有宮!?」
「兄っ!?」
「兄? だって、有宮って……あっ!!」
ようやく躑躅も思い出す。
彼も莉子を名前で呼んでいて忘れていたが、莉子の姓が有宮だったことを。
「はっ、離せ!」
女に手をあげているところを、しかも兄だというクラスメイトに見られてバツが悪い。デカい声でわめいて腕を引き抜いたと同時に、莉子を押さえつけていた手も離れた。
その隙に、莉子はささっと李津の元へと駆け寄る。
「兄、どうして?」
「
「兄は? 心配しました?」
「うるさい」
こつんと拳の裏で莉子のおでこを軽く叩いてから、李津は妹を庇うように前に立つ。
「うちの妹をずいぶん可愛がってくれたみたいだけど」
いつか声に出したかった日本語を、思う存分の披露である。
一方、クラスのときとは打って変わっておとなしい
(やべえ……。公共の場じゃねえか。やっちまった!!)
チラと周りを確認すれば、アイス屋の店員とアイスを買いにきた親子連れがばっちりとこちらを目撃している。
いくら頭に血がのぼって正気じゃなかったとはいえ、今回の騒動がコンビニ本社にバレたら確実にバイトはクビだ。今から言い訳ができないものか。「なーんちゃって、サプラーイズ!」は無理か?などと、頭をフル回転させていた。
だから、隣に置いたままだった莉子のリュックが李津に回収されるのにも直前まで気づかず、躑躅は驚いて飛び上がった。
口をぱくぱくさせるだけで謝りもしない躑躅を、李津はにらみつけた。
「アメリカだったら、おまえの頭に風穴開けてやるところだったわ。ここが日本でよかったな」
「っ!?」
ごくりと、緊張で躑躅の喉が鳴る。額には冷蔵庫から出したペットボトルのように、汗の玉がびっしりと浮かんでいた。
そんな顔の前に、ひらりと紙幣が舞った。
三つ折りのあとがついた2000円札は、そのままベンチの上に落ちる。おつりでもらって珍しくてとっておいた、李津のとっておきの金だった。
「それ、妹のアイスとガソリン代。足りるよな?」
「え、あ、ああ……」
躑躅は震える手で、素直にそれを拾った。
正気に戻れば、振られて暴れ、挙げ句の果てにデート代を返せなんてダサいことを吠え散らかした男である。
自分がどれだけ無様で惨めだったか、3つも年下の同級生の軽蔑した目を見れば一目瞭然。頭をかきむしりたい衝動に、チンピラの顔はしかめっ面になっていた。
「帰るぞ」
反撃がないのを見て、李津は背中を向けた。莉子も館内方面へ歩き始めたが、数歩進んで足を止めた。
「あの、
「お、おいっ」
踵を返した莉子に
これでも震え出しそうな足を必死に抑えていたのである。なにせ喧嘩なんてしたことがない。ただ「喧嘩は気概から。ハッタリでも余裕を見せろ」と、日本ラノベの教えを守っただけである。ゆえに、一刻も早く立ち去りたかった。
背中を丸めて落ち込んでいた躑躅は、今にも死にそうな顔で、ゆっくりと顔を向ける。
「今日はありがとうございました。多分、勇気出して誘ってくれたんですよね。だったら、すごく嬉しいって思ったので」
何を言っているんだと、二人の男の目が語っているが、彼女は堂々と続ける。
「あたしにも、仲良くしたいけどあたしのことどう思ってるかわかんない人が身近にいて、いつも話しかけるのにも勇気出してるから、その気持ちならわかります。……そんな気持ちを無下にしたんだから、そりゃ怒りますよね」
チラと隣を見上げる莉子に、李津は少し眉を動かした。
「あたし、もしかしたら家の都合でまた引っ越すかもしれないんです。だから、今は誰かと付き合うとか、恋愛したいとかは考えていなくて……。理由はそれが主です。ごめんなさい」
莉子は深々と頭を下げた。そして顔を上げたときには、いつもの笑顔で。
「もし躑躅さんさえ良ければ、これからもバイトでよろしくお願いしますね、先輩っ!」
これにはまるで魔法にかかったように、躑躅は彼女から目が離せなくなってしまった。
あれだけのことをして、まさか本人に許されるとは思ってもいなかったのだ。
目を潤ませ、口をあんぐりと開けて。
そうして、やっとのことで。
「……っ。……ああ、よろしく……」
絞り出すような声だが、最後までイキリ通した
テラスの入り口で、親子連れと並んで一部始終を見守っていたアイス店店長・原田洋子は、涙を浮かべて音のない拍手をして何度もうなずく。彼女、なによりもハッピーエンドが大好きであった。
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