6話 妹は求愛される

バイトをさせてくださいっ!

「兄、ちょっといいですか?」


 とある平日の夕方。


 李津が自分の部屋で寝転んでソシャゲをしていると、ノックのあとドアの隙間から莉子が顔をのぞかせた。


 いつもよりもシリアスな様子だ。


 李津はスマホをベッドの上に投げると、体を起こして聞きの態勢に入った。


 莉子は足音を立てないように兄の部屋に入り、ローテーブルの隣に正座した。かなり緊張しているのが、落ち着きのなさから存分に伝わってくる。


 やがて、おずおずと双眼を兄へと向けると。


「バイトをさせてくださいっ!」


 頭を下げたと同時に、ツインテールが宙に舞った。


 覚悟していたほど妙な話じゃなくて、内心李津はホッとした。残った余裕が彼の声音を優しくさせる。


「バイト? えっと、小遣いが足りないとか?」


「いえ。自分が遊ぶお金くらいは稼ごうと思うんです」


 有宮家の小遣い事情だが、三人で相談して一人1カ月5000円と決めていた。


 もし足りなければ追加も要相談としていたのだが、妹は今、居候の身。友人が多く放課後もマックやイオンに誘われがちな莉子は、そのシステムで遊ぶことに気が引けていたのだ。


「そか、わかった。だったら好きにすればいいよ」


「ほんとですか!? ありがとです、兄!」


「おまえの自主性に任せるけど、変なバイトとか夜に働くとかはやめてくれよ」


「大丈夫ですよ、コンビニの高校生募集枠なんで。安心・安全!」


「ふーん。まあなんでも経験になるし、やってみれば?」


「やった! 兄愛してますー!! 初給料はなにか買ってあげますからねっ!」


「いらん! ひっつくな!」


 どさくさに紛れて抱きつこうとする莉子だったが、李津は迷惑そうに平手で押し退けた。





 さて、李津に承諾を得てからの莉子の行動は早かった。


 その日中に近所のコンビニに電話して、翌日には面接へ。陽キャのコミュ力でとんとん拍子に採用は決まり、さらには3日後から働くことになった。


 シフトは週3〜4。平日3時間で休日は7時間労働だ。


 土日が潰れるのは痛かったが、お金を使う回数はなるべく控えたいと思っていた莉子だ。友人の誘いを断るにもノリが悪いと思われてしまうと、せっかくキープしていたカーストトップの地位も危うい。バイトを口実に遊びを断り、かつお金も手に入るのは願ったり叶ったりである。


 そんなわけで莉子のアルバイト一日目。学校帰りに奮っての参戦となった。


 まずはバックヤードにて、50代後半の穏やかな女性店長からオリエンテーションを受けた。30分ほどで終わって、一同店内へ。レジではバイトの男性がワンオペで接客をしていた。


しゃーいらっしゃいませ

っすこちらにどうぞ

あ?あたためますか

っす汎用性のある言葉

りゃーすありがとうございました


 これで問題なくお客さんを捌けているのだから、コンビニ店員は奥深い。


 お客さんが途切れたのを見計らい、店長はニコニコ顔でレジの男性店員を呼びつけた。


躑躅つつじくん、彼女が今日から入る有宮莉子ちゃん。高校1年生なんだって。先輩として仕事を教えてあげてね」


「莉子です。よろしくお願いします!」


 莉子が頭を下げると、男性店員は小さくあごを前に出すことでお辞儀をも簡略化した。


「ども躑躅つつじす」


 接客業にそぐわない、仏頂面のいけすかない男である。


 だが莉子は萎縮いしゅくすることもなく、「初めてのバイト楽しみー!」とか思っちゃうポジティブ陽キャなので、何も問題はなかった。




  ◆




 その男、コンビニ店員歴2年、20歳学生アルバイターである。


 例の無愛想な男性店員とはシフトがかぶることが多い莉子だったが、彼にも莉子と同じ高校の3年に妹がいるという共通点で話が盛り上がり、距離はみるみるうちに縮まった。


躑躅つつじさん! ウチの兄ってばめちゃ塩なんですけど、そういうのどー思います!?」


「兄妹ってそんなモンじゃね? ウチも妹と全然話してねえわ。生意気でうぜーし、顔を思い出すだけで吐き気が……オエッ」


「え、うそでしょ。あたし、兄にそんなこと思われてたらバチバチに辛い」


「いやいや、ウチはっていう話よ? 莉子ちゃんみたいにかわいければ俺だって優しくするっての!」


 初見では近づきづらい雰囲気だが、話してみればノリがよく、意外とカワイイ先輩なのである。


「そういえば躑躅つつじさんって、どうしてバイトしてるんですか?」


 商品の品出しをしながら、莉子は隣で同じ作業をする躑躅つつじに話しかける。


 最初のうちは作業中は会話どころではなかったが、今では慣れたものだ。


「あー……俺、ずっと親に迷惑かけてきたからさ、学費くらい自分で稼ごうと思ってなー。金が余ったら親を旅行に連れて行ってもやりてえし。……妹も、来たいなら別にいいけどよ」


 ばつが悪そうに頭をかく躑躅つつじ。見た目と違い、バイトの理由は硬派だった。


 そんな家族思いの彼に、莉子はますます好感を覚える。


「素敵じゃないですか! あたし応援してます!」


「そ、そうか? ありがとな、へへへ……」


 莉子の賞賛を受け、ボリボリと頭をかいて照れる見た目のゴツい先輩だ。


 いつもつるんでいる仲間に話したこともあったが、その時は鼻で笑われてしまったのに。正反対の反応を見せる莉子に調子が狂う。


 品出しの内容はいつもと変わらないが、心拍数が異様に速い。


 躑躅つつじは、自分の体が自分のものではないような初めての感覚を心地よく感じていた。


「「いらっしゃいませー!」」


 自動ドアのチャイムがお客さんの入店を告げ、二人は急いでレジへと戻る。


「そういえば躑躅つつじさん、最近あいさつ変えましたよね? 初めて会ったとき、『しゃー』とか言ってませんでした?」


 初日に聞いて衝撃を受けたあいさつだから、忘れるはずもない。


 お客さんに聞こえないように莉子が小声で尋ねると、意外にも躑躅つつじはまた少し照れた表情を浮かべた。


「うん、莉子ちゃんのハキハキしてるあいさつ聞いて、いいなって思って直したんだよなー俺」


「あたしが、ですか?」


「まあ、ね。変えてみるとさ、よく来る客から『ありがとう』って声かけられる機会が増えたんだよ。それで心が温かくなるつーか。だりーと思ってたバイトも、最近は悪くねーかなって」


 2年目の勤務で仕事にも慣れてくると、勤務態度にも怠慢が出てくる。


 どうせ、店員なんて空気みたいな存在だろう。どこかでそんな気持ちがあった。


 しかし、丁寧なあいさつをしてみればあいさつは返ってきた。それどころか「いつもありがとう」や「がんばってね」などの労いの言葉をかけられることも少なくない。


 お客さんはきちんと躑躅つつじを見ていた。空気みたいな存在には、自分からなっていただけだったと気づいたのだ。


 うとまれる方が多い人生に優しい言葉がかけられる。そこに初めて、やりがいというものを感じた彼だった。


 莉子は躑躅つつじの横顔を眺めて、ふっと笑みをこぼす。


「あたし、そんな躑躅つつじさんが相方でよかったです」


「……え」


 おぼこな莉子にはよく事情がわかっていなかったが、かわいい女の子にそんなことを言われて、恋に落ちない男なんているはずもないのである。




 ◆




「おにーちゃん、ちょっといい?」


 李津が自分の部屋で寝転んでソシャゲをしていると、ノックのあとドアの隙間からつむぎが顔をのぞかせた。


 シリアスだった。


 またこのパターンか。嫌な予感がした李津はスマホをベッドの上に投げ、話を聞くために体を起こした。


 つむぎは部屋に入るとローテーブルの隣に正座し、もじもじしながら李津を見上げた。


「あのぉ、莉子ちゃんがぁ、大人の男の人とLINEしてるっぽくてぇ〜」


「…………」


 新たな頭痛案件に、李津は大きくため息をつくのだった。





 

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