ハグしましょう?

 ◆




 場所は戻って2年2組、李津のクラスである。


 こちらは新学期早々、授業は通常通り行われた。さすが進学校、学生への忖度が一切ない。


 海外のスクールでは成績トップだった李津だが、日本での授業内容の違いに慣れるまでには時間がかかりそうだと眉間を揉んでいた。


 自分の知識と教科書を照らし合わせながら授業を受ける。神経を張り詰めて過ごす午前は、彼の体力を容赦なく奪って行った。


 しかし厳密にいえば、疲弊の理由はそれだけではない。


「1年のギャル見てきたぞ! ずば抜けてかわいい子がいるよな!」「今朝、男と腕を組んで登校したらしいぞ」「ビッチじゃねーか!」「俺もワンチャンねーかなー!」


 休み時間ごとに濃くなる噂話に、李津は頭を抱える。絶対に莉子のことじゃねえか。


 腕を組んでいたのが李津のことだとバレるのも時間の問題だろう。


 彼は、それまでのわずかな時間を余生と決めた。せめてそれまで静かに過ごそう……と意気は消沈している。


 先んじてはランチタイムの充実を求めようと、つむぎが作った弁当を机の上に出していると。


「あ、いました、兄ーーっ!」


「ぶっ!!」


 嵐は急にやってきた。


 莉子が、教室の前方ドアから李津を見つけて、うれしそうにぶんぶんと大手を振っているのである。


 クラスメイトの注目は、突然現れた噂のビッチギャルと、ある意味噂の李津との間を何度も往復している。R.I.P。短い余生だった。


「失礼しまーす」


 おびただしい数の視線なんてなんのその。莉子は2年のクラスに入ると、ずんずんと一直線に李津の席まで進んだ。


 一方、李津は大量の汗をかき、蛇に睨まれたカエルのように固まっている。


「あたしのお弁当にお箸二つついてたんですけど、これ兄のですよね? はい、どーぞ!」


 真っ直ぐな笑顔で箸を手渡す莉子。背景に「清純派」といわんがばかりにシャボン玉を背負っている(イメージ)。


 ビッチギャルだと思っていた周りの男子たちは、このまぶしいやりとりに心をつかまれた。胸を押さえてうずくまる重傷者も出ている。


「悪い、ありがとう」


「いーえ!」


「?」


 用事が終わったはずなのに、莉子はその場を動かない。チラチラと眼球を動かし、さりげなく李津の周りの女チェックを入れている。ひとまず好意的な視線は一切感じないので、安心する妹だ。


 そんな彼女の挙動に李津は眉をひそめた。目が合い、莉子はにへりと笑みを浮かべる。


「兄、もしかして、お昼食べる友だちいない系ですかー?」


「!」


 配慮のかけらもないデカい声で、痛いところをつかれた。その通りだった。


 というか、ランチタイムがこういう、ご自由に体制だとは思っていなかったのだ。


(友だちを作るという行為は、ランチで役に立つのか……くそっ!)


 間違っていないが、間違っている。


 しかしここで妹に見下されては困るのが兄心。


 李津はすばやく周りを見渡し、ピシッと指を突きつけた。


「い、いるけど? この人が!」


「ええっ!?」


 白羽の矢が立った隣の席の女子は固まって、この世の終わりのような叫び声を上げた。


 同じく、この世の終わりのような顔で莉子も目をぱちぱちとまばたかせている。


「えっ、女の子と? うそ……」


「うそって失礼だな。本当だよ、もういいだろっ」


 ボロが出る前に帰そう……。李津は妹の背中を押すが、莉子は納得ができない。


 李津の腕をくぐり抜け、大人しそうな女子の席にバンっと両手をつく。


「あたし、妹の莉子です! えっと、何さんですか?」


「わ、渡邊です」


「渡邊さんですね! 兄のこと、どうぞよろしくお願いします!」


「えっ、あの……、う、うん?」


 にぱっと笑顔を浮かべて手を握る距離なしの莉子に、渡邊さんは戸惑いながらも赤面した。


 失礼ながら、地味めな渡邊さん。派手なギャルに迫られて、反射的に肯定するように体が動いてしまった。


 もう一度にこりと微笑んでから、莉子は兄を意味ありげに見上げた。嫌味ひとつでも言われるのかと、李津は身構える。


「じゃあ帰るんで、ハグしましょう?」


 まさかのハグの要求。


 教室中が大きくどよめいた。


 内訳は「あんなかわいい妹に、なにハレンチな習慣教え込んでるのヤバキモ!!(女子)」と「かわいい妹とハグZURYYYYYYYYYYYY(男子)」の対極でありながらも、気分は全員が見事に害していた。そしてこの瞬間、隣のクラスでは「軽い地震来てない?」と噂していたという。


「は? まあ、いいけど」


 ハグは普通のあいさつだと思っている李津に、羞恥心はない。腕を広げて待つ莉子に軽くハグし、すぐに離れた。


「はよ行ってくれ」


「んふふ。じゃあです」


 満足した莉子は、帰りがけにチラリと渡邊さんに視線をよこす。どうですか?と言っているような、勝者の目だった。


 しかし渡邊さんは、マジでどうでもよかった。1ミリも羨ましくないし、他人に変な転校生に気があると思われてることが辛抱ならなかった。


 ガタンと音を立てて椅子から立ち上がった地味子さん。絶対に文句を言ってやると意気込み、隣へ顔を向ける。


「あのさ、有宮く……」


「おいい! あの子ってば、有宮の妹だったのかよ!!」「莉子ちゃんのこと紹介してくれ!!」「一緒にメシ食おうぜ、有宮!!」「俺、実は宇宙人な気がしてきた」「待てテメー、それはずりーぞ!」


「は? ちょ、うおおっ!?」


 渡邊さんの声は、別の嵐にかき消された。


 始終を見ていたクラスの男子たちは、少しでも莉子の情報を引き出そうと必死である。


 騒ぎは騒ぎを呼び、隣のクラスの男子まで集まってくる始末。


(なんだよ、これなら一人のほうがよかった!)と、李津は額を押さえてうずくまる。


 本日の昼休みは、彼の机が台風の目となっていた。




 

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