悪い妹に、勇気をくれますか?

 ◆




 莉子を引き上げたあと、しばらく三人とも歩道に尻をついて荒い息を整えていた。


 莉子はまだ成長途中で軽かったから良かったものの、発育のいいつむぎだと落としていたかも……とは李津の感想である。



 やはり気になるのか、先ほどからチラチラとつむぎを横目で伺うのは莉子だ。


 そんな彼女の視線に気づき、つむぎは「へへっ」と慣れない笑顔を浮かべてみたりした。


 気まずそうに莉子が顔をそらし、つむぎはショックを受けて涙目になる。そんな一連を見届けてから、李津は静かに話し始めた。


「……ここ、俺がつむぎと初めて会った場所だよ」


 後ろに手をついて息を整えながら、李津は橋を見回す。


 すっかりコンビニで出会ったのだとばかり思っていた莉子は、驚いて二人に視線を行ったり来たりさせた。


 そんな彼女へ、李津は鋭く言い放つ。


「なにをしてたと思う? つむぎ、ここから飛び降りようとしてたんだ」


「えっ」


 莉子の瞳が大きく開かれた。青い顔からさらに血の気が引いていく。


「わかるよな、おまえが家を追い出したからだ」


「おにーちゃん、それはもういいよぉ」

 

 つむぎはわざと明るい口調で割って入るが、李津は険しい表情のまま莉子を見据えた。


 他人に深く関わりたくはないが、莉子の言動のちぐはぐさはさすがに目にあまっていた。だから、口を出さないといけない。放っておいてはいけない。妹のためにも、自分のためにも。何かあってからでは遅い・・・・・・・・・・・から。


「……あた……し……」


 そんなつもりじゃなかった・・・・・・・・・・・・。ただ彼女の存在が疎ましくて、気持ちのやり場がなくて本人にぶつけただけだった。


 その配慮のない言動が、どれほどつむぎを傷つけるかも想像できずに。


 そんなつもりじゃない、なんて、使い古されたいじめの常套句だ。自から自分のレベルを下げていたことが、莉子は情けなかった。


「もしかして、俺のパ…………下着も、莉子?」


「……はい、ごめんなさい」


「謝るのは俺にじゃないよね」


「……でも……」


「そんなにつむぎを認めたくない? それとも、怖いのか?」


「っ!」


 李津に尋ねられて莉子は気づく。


 あの子が怖いという可能性に。


「いろいろ腹に溜めてたんだな、おまえも」


「……」


「でもな、だからって許されない。おまえ、うちの妹・・・・を追い詰めたんだぞ」


「あっ……」


 ショックに震えて、莉子は李津を見上げた。なんだか突き放された気がした。


 妹は自分なのに。その自信がぐらつきはじめる。


「だけど、がそんなに溜め込んでいるって気づかなかった俺も同罪だと思う。それはごめんな、莉子」


 所詮夏休みの宿題は前半で終わらせるタイプの男である。溜め込むタイプの気持ちを今まで考えたことがなかった。


「違います、あたしの問題なんです……」


 首を振る莉子に構わず、李津は言い切る。


「本来なら、トラブルは当人同士で解決してくれって考えだけど、俺も関係なくないとなれば話は別だな。だから俺も好きにやらせてもらう」


 兄は不安そうな妹に、まっすぐ視線をぶつける。


「俺はおまえと違って、トラブルは翌日に持ち越したくないんだよ。だから今ここで解決してもらいたい」


「そんな、急にっ」


 所詮夏休みの宿題は前半で終わらせる男である。彼女たちのペースを待つ気はない。


「いいか莉子。おまえは“自分の問題”だと言ったな。それに俺やつむぎを巻き込んでコトを大きくした責任は、おまえ自身が取らないといけない」


「っ!」


「だけどこれは俺の問題でもある。言いづらいなら俺が仲介してもいい。ただ、自分が飲み込んで終わらせるのだけはナシだ」


「……」


 緩めるつもりのない李津の言葉に、莉子は肩を落とした。


「兄、ひとつだけお願いがあります」


「うん」


「こんな悪い妹に、勇気をくれますか……?」


 うつむく莉子の手を、李津は両手で包んだ。


「――大丈夫。最後まで見てるよ」


 莉子は力なくうなずいて、つむぎへと視線を移す。


 とうの本人は二人を心配そうに見比べていた。


 そういうところが、莉子を傷つけた・・・・


「存在がイラつくんですよ、おまえ」


 これで完ぺきに二人に嫌われただろう、と莉子は薄く笑った。


 もっとうまい言い方もあったかもしれない。だけど自分の今の気持ちは、それ以外に言いようがなかった。


 つむぎがいると、莉子の心に安らぎは訪れない。いつだって気を張って、彼女のことを目で追ってしまうのだ。


「おまえを見てると、鏡を見ているようなんですよ。それはあたしが捨てて、忘れようとしていた理想の姿。……見たくないんですよ! 傷ついても純粋で、人を信じて、真っ直ぐに優しさをぶつけてくるのが眩しくて。うらやましくて……仕方がなかったっ!!」


 つむぎは驚いた。まさか莉子に「理想だ」と言われるなんて夢にも思っていない。


 むしろグズな自分が迷惑をかけて、嫌われていると。


 だけど、同じように施設で暮らしたつむぎには、莉子がどんな苦労をしてきたのか、なんとなく想像できる気がした。


「わたしと莉子ちゃんは違うから。もし莉子ちゃんがなにかを諦めてしまったとしても、それは莉子ちゃんにとって必要なことだったんだよ」


 つむぎは、莉子の手を両手で包んだ。


 大事に、優しく。


「し、知ってるんです。こんなあたしのこと、弱いって笑っているんでしょう!」


「思ってないよぉ。かっこいいよ」


「嘘、おまえに最低なことをしたんですけど!?」


「うん。でも莉子ちゃんも辛そうだったから。全然いいよ」


「気遣うふりですか? いっそ本音でブチキレたらいいじゃないですか、このウジ虫って!」


「怒らないよぉ。もう許してるから」


「ふざけないでください! こんな汚いあたしを、きれいなおまえが許すべきじゃないんです!」


「うん。でも、それを決めるのはわたしだから」


 決して莉子のことを見捨てずに掴み続けた手は、小さくて、細くて、だけどどこか安心する温かさがあった。


「汚くなんてないよ。弱くもない。莉子ちゃんの選択は間違ってないからね」


 つむぎを見つめる莉子の瞳が揺れた。

 

「ああっ、ああああああっ……!」


 優しさを握り返して。


 莉子は自分の内側のわだかまりを払うように叫んだ。 


「ごめん……あたし、ごめんなさい……!! うああああああっ!!」


 そんな莉子に、つむぎはいつまでも寄り添うのだった。





 

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