第4話 嘘

 静流と結婚してから、気になっていることがあった。お母さんが亡くなったから、彼女は元の部屋から出て行かなくてはいけなくなったはずだった。しかし、彼女は実家を片付けようとしない。もし、やらなかったら、都営だから税金で片付けるか、別の親族がやらなくてはいけないのではと思う。


 今更だけど、その時、ようやく気が付いたのは、俺が住んでいたのは、単身者向けの部屋だということだ。彼女のお母さんの部屋だってそうだったはずだ。もしかして、お母さんが一人暮らしをしてた所に、上がり込んでいたのかもしれない。両親が離婚して、子どもが父親方に引き取られた後、やっぱり合わなくてお母さんの所に来たなんて話は、普通にありそうな気がする。


「部屋は片付けないの?」

「ああ、面倒くさいから後は東京都にやってもらう」

 俺は意味がわからなかった。

「でも、娘だからやらないといけないんじゃない?俺も手伝うからさ」

「ほっといてよ!」


 俺は頭を抱えた。人に迷惑をかけて平気というのは、倫理観がなさすぎる。俺は彼女に変わってもらいたいという気持ちもあって、何度も部屋を片付けるように諭した。


「あの人、親じゃないし」

「え?」

「実の親じゃなくて、バイト先で知り合った人なんだよ。生活保護受けてて、仲良くなったから家にいさせてもらったんだよ」

「え、そうなの?じゃあ、君は…」

「私は孤児」

「どこ出身?」

「福岡」

「へぇ…。君の親は何してた人?」

「私、施設育ち」

「あ、そうなんだ。両親いないの?」

「うん。親が誰か知らない」

「そっか…大変だったんだね」

「うん」

 俺は気の毒になって、余計に静流を大事にしてやろうと思った。

「いつから東京来たの?」

「施設出てから」

「就職で?」

「違う!私、少年院入ってたんだ」

「あ、そうなんだ。なんで?」

「私、人殺してるんだ」

「え、誰を?」

「喧嘩で。相手が死んじゃった」

「何でそこまで?」

 俺はびっくりした。そんな風には見えなかったからだ。髪も染めていない地味な子なのに。

「人の男を取ったから、締めてやったんだよ!」

「そっか、君の気持ちわかるよ!俺も相手を殺したいと思ったこと、何遍もあるよ」

 俺は本気で追従した。

「珍しいね。あんた」

「脳梗塞で死ぬところまで行ったからね。自分が死ぬも人を殺すも大差ないよ。死ぬ前に一番憎い相手をやってやるのは悪くない」


 あの夫婦を殺してやりたい。子どももろとも皆殺しだ。

 きっときれいなマンションに住んで、出来のいい子どもたちは、名門校に通っていることだろう。ずっと不幸になればいいと願っていたが、そんな噂は聞こえてこなかった。


「少年法だと殺人で何年入ったの?」

「まあ、5年くらいかな。忘れた」


 彼女はまだ二十代後半だ。もしかして、務所から出てそれほど経っていないのかもしれない。


 ******


 ある夜、俺が寝ていると、居間に電気が点いていた。俺は引き戸の隙間から彼女の様子を見ていた。女はリビングのテレビ台の引き出しを開けて、俺の金庫を取り出していた。そこには、通帳や定期の証書が入っている。俺に五千万円も資産があることは静流には言っていなかったが、彼女はそれに気が付いたようだ。今は妻だから、半分は彼女のものと言ってもいいのだが。


 俺は寝たふりをした。静流はよくやってくれている。介護保険のヘルパーさんも頼むのをやめたし、車椅子で買い物にも連れて行ってくれる。

 その代わり、デイサービスに週三回行くようになっていた。その間、静流は家で韓流ドラマやネットフリックスを見て過ごしている。彼女にそういう平和な日々を過ごさせてあげられることを、俺は自慢に思っていた。デイサービスでも、妻が二十代と言うと羨ましがられた。俺が知らなかった家庭の幸せを静流は教えてくれた。


 俺は妻を愛していたから、見なかったことにしようと思った。定期は印鑑がないと下ろせないし、本人確認の連絡が来るだろうと思う。普通預金のキャッシュカードは俺の財布に入っているが、引き出しには暗証番号が必要だ。俺を脅して聞き出すか、印鑑を持って窓口に行くしかない。印鑑は見つけられない場所に隠してあった。彼女は結婚詐欺師じゃない。本当に結婚して家のことをやって、夜のお相手もしてくれる、普通の奥さんなのだ。俺は許すことにした。


 ***


 その後、俺たちは、もう少し広めの都営住宅に申し込んで当選し、引越すことになった。その時通っていたデイサービスがよかったから、越したくなかったのだが仕方がない。新居は前より古く、不便な場所にあったが、俺は働いてないから関係なかった。妻だけは事前に下見をしていたが、引越したのは坂の多い地域だった、上がったら下がったりが面倒で、二人で一緒にスーパーなどに買い物に行くことはなくなった。


 妻が廊下で誰かと立ち話をしていた。

「お父さんとお二人暮らしですか?」

「あ、はい」

「親孝行ですね」

「いいえ、そんなことないんですよ」


 俺ははっとした。前と同じパターンじゃないか?親子のふりをして住んでて、近所からはそう思われているってのが。妻は最近冷たくなっていた。前みたいに優しくないし、セックスもお触りも禁止になった。食事も白米にお茶漬けなどしか出してくれない。または、ほとんどレトルトだけになった。会話もまったくない。


「生活費ちょうだい」

 

 彼女はきつい口調で俺に言う。こうして、俺から障害年金が振り込まれる通帳を取り上げた。スーパーに行く金がないから、仕方なく暗証番号も教えた。


 時々、静流が布団に入って来て、気持ちのいいことをしてくれる。


「この先をやって欲しかったら、印鑑のある場所教えな!」


 それで俺は教えてしまった。


 俺はそれからしばらくして、静流に誘われて近所の公園に桜を見に行くことになった。子どもの頃は桜なんてつまらなかった。それが今は愛おしい。俺は何日も前からそのお出かけを楽しみにしていた。俺は今幼児で、静流は母親だ。


 妻は坂道をうんうん唸りながら車椅子を押した。


「ごめんね」


 俺は静流の様子を見ていて、外出するならレンタルおじさんでも頼んで、車椅子を押してもらえばよかったと後悔した。妻が行きでこんなに体力を使ってしまったら、疲れ果てて、桜を愛でるどころではないだろう。妻はずっと無言だった。連れて来なければよかったと思っているだろう。


 介護保険でレンタルしている車椅子は、大きくて安定しているけど、すごく重たい。介助者に押してもらうタイプで、自走用のハンドルは付いていない。乗っている人間も、車椅子が斜めになっていると怖い。悪いなぁ。お礼しないと行けないかなぁ。でも、俺にはもう金はない。カードを使うと怒られて、顔を殴られるだけだ。


 


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