第3話 結婚
「その点、前田さんは紳士的ですよね」
「あ、そうかなぁ…」
彼女はわかってくれていると思うと嬉しくなった。
「次はどの辺に住むの?」
「この辺が好きだから…同じ駅でと思ってるんです。お母さんとも思い出があるし」
「そうなんだ」
うちに来ればいいのに…。
俺は言い出せなかった。さすがに唐突過ぎるだろう。また、遊びに来てくれたらいいのに!
「前田さんはどうしてここに住んでるんですか」
「建物が新しくてエレベーターが付いてるからね。俺、高いところが好きだから」
「じゃあ、ずっとここで暮らすんですか?」
「うん。もっと介護度が重くなったら施設に入るかもしれないけど、今はお金使いたくないから」
「障害年金もらってるんですか?」
「うん。前の勤務先で企業年金があったから、両方もらってるんだよね」
俺はついつい自慢してしまう。彼女の顔がぱっと明るくなる。
「おじさん、小銭持ってるよ」
うわぁ・・・変なこと言っちゃった。
「君、いつも地味な服着てるから、何か買ってあげるよ。一緒には買いに行けないけど。通販とかでよかったら」
「え、いいんですか?」
「うん。君、かわいい洋服着て、化粧したらきっと映えると思うよ」
「え、私なんて・・・」
俺たちは何をしてるんだろう。人が亡くなってってのに。しかし、俺がそれを忘れるくらい、彼女は全く悲しんでいなかった。
俺はダイニングのテーブルを片付けると、パソコンを置いて、楽天のホームページを見せた。
「好きなの買っていいよ。寒くなって来たから、コートなんてどうかな」
「え、いいんですか?」
「うん」
俺は気前よく言った。1時間くらい一緒に楽天のホームページを見ていた。若い子がこれかわいいなぁ、なんて呟いているのを見ているのは楽しい。俺からすると親みたいな感覚だ。人に喜んでもらうのは一番のご褒美。
最終的に彼女が選んだのは、三万八千円のウールのコートだった。意外と高いなと思ったが、彼女に嫌われたくなかったから俺は注文した。
「受け取ったら持って行くから」
「嬉しい!なんかお礼させてください。お掃除とか。私、何でもします!」
何でもしますと言うから俺は照れた。何でもと言っても実際はそうじゃないもんだ。
「じゃあ、おっぱい触らせてもらえない?服の上からでいいから」
「え、そういうのはちょっと」
彼女は恥ずかしそうに言った。
「ごめん、ごめん。何でもするなんて言っちゃ駄目だよ。今のは静流ちゃんを試しただけ」
俺はとっさに胡麻化した。はっきり言って服の上からおっぱいを揉んだって仕方ない。彼女は黙ってしまった。やばい、嫌われた。俺は悲しくなった。せっかくのチャンスを無にしてしまったんだ。
「前田さんも寂しいってことありますか?」
「う、うん。一人だからね。何で元気なうちに結婚しなかったんだろうって後悔してるんだよ。仕事が忙しいから奥さんもらうのが面倒でね」
そうじゃない。婚約していた彼女に浮気されて破談になってから、人間不信になってしまったのだ。彼女の浮気相手も同じ会社の人だったから、俺は彼女のニュースを逐一聞いていた。彼女はその男と半年後に電撃結婚した。キャリアウーマンだから、その後、出産して、復職して、管理職になっている。相手の男も一橋大卒で出世コースを歩んでいる。俺はずっと独身で昇進もその男ほどではなく、浮気された可哀そうな人と思われていただけだった。俺は人に蔑まれたくなくて、タワーマンションに住んだり、美女と交際した。イベントコンパニオンやマイナーな航空会社のキャビンアテンダント、白人女性とそうそうたるメンバーだった。
しかし、結婚には至らず。そして、四十代半ばで脳梗塞で障害を負ってしまった。
彼女に裏切られ時のショックを俺は一生忘れることはできない。今でも彼女が好きだ。俺は理性を保つために歯を食いしばった。
「私でよかったら奥さんの代わりしましょうか」
「え?」
「私…前田さんみたいな人好きです」
再び脳の血管が切れそうだった。捨てる神あれば拾う神ありだ。こんな若い子と俺みたいな死にぞこないが付き合うなんて。二十以上年下の彼女。これは自慢できるぞ。どんな美女より若い子と付き合うことが、おじさんにとっての一番のステイタスだ。しかも、静流ちゃんは地味な顔して巨乳だった。決してスタイルはよくないが胸だけはパンパンだった。
「俺も前から君のことが気になってて…」
俺は正直に打ち明けた。
「え、本当ですか?」
「うん。毎日掃除してたのも君に会いたくて…」
「私も毎朝、会うのが楽しみでした」
俺はにやにやしながら静流ちゃんを見つめていた。相変わらず目やにが付いている。鼻の下には髭が生えていて、鼻毛も出ていた。それでも、俺にとってはかわいかった。若いっていうのはすべての欠点を打ち消す魅力がるもんだなと思う。
「じゃあ、もう、ここに住んじゃなよ!」
俺は笑いながら言った。
「あはは!じゃあ、仕事やめよっかな」
「うん。やめちゃいなよ。で、俺たち夫婦になってさ」
「うん。じゃあ…もう私、働くのやめるぅ!」
「そうだよ、今まで苦労してるから、これから楽しいことして生きて行こうよ」
俺たちは見つめ合って笑った。その後、静流ちゃんは家に帰って荷物をまとめると、俺の家に越して来た。家にある物は全部捨てると言っていて、持って来たのは、百均で売っているような大きなショッピングバッグ一つだけだった。
***
俺たちは翌日、入籍届を出した。保証人は近所に住んでいる知的障害のある人と、痴呆のお爺さんの二人になってもらった。
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